最終話 僕が上級国民の妻になるわけがない
「はい、カーット!」
天音は僕に跨ったままナイフを脇に置き、手を叩いた。僕はこれから裁きを受けるのだと信じていたから気は抜けなかった。
僕が一縷の望みをかけ、ナースコールを探していると、天音は野球ボールのような機器のスイッチを押した。
「電子ジャマー。これでアマテラスに聞かれることはない」
「僕を……、殺さないのか」
天音はいつもの間の抜けたような笑みを浮かべた。
「するわけないじゃん、あーちゃんとふわふわは親友だろ」
さっきまでのあれは狂言? 一体何のための。決まってる僕を助けるための行動だ。
「演技うますぎて小便漏らした。趣味悪過ぎなんだよ、ふざけんな」
「つい昔の血が騒いでな。あーちゃん昔、子役やってたのら。ほら見たことない? この愛くるしい顔。シチューのCM……」
「知らない」
「あ、そう、まあいいや。時間ないからこっからは飛ばすよ。他の子はみんな生きてる」
信用していいのか。弥生やバニラは無事。もしそうなら希望は残っている。
「弥生は中国ファンドの協力を得て、旅館を立て直そうと頑張ってる。最近、一つ歳上の彼氏ができたみたい」
「けしからん。僕はひどい目に遭ってるというのに」
「まあ失恋の痛みはいずれ癒えるよ。バニラは除隊した旦那さんと、シンガポールでラーメン店を開く予定。ダシは豚骨。念のため整形はしたけど、おっぱい共々元気だ」
天音は、卒業生たちの近況を事細かに語った。みんな生きてる。それだけで僕にも生きる力が湧いてくる。
「バカ野郎……、くだらないサプライズするならさっさとそれ教えろよ。らしくないことしやがって」
「へへ、かたじけない。アマテラスには不破瑞樹を殺したってことにしなきゃいけなかったから」
知りすぎた僕をアマテラスは消したがっている。でも天音はその方針に逆らっているように思える。
「やっぱりお前は万里天音だよ。すっきりした。逆らったらお前もヤバいだろ。一思いにやれよ」
今のこいつになら殺されるのも悪くない。さっきまでのサイコパスになら抵抗しようと思ったがその気もなくなっていた。
「ううん。ふわふわは死なない。死ぬのはあくまで不破瑞樹だ」
天音は断固とした口調でそう言うと、自分の喉にナイフを突きつけた。
「おま……、やめろ。何度僕に死別を味合わせる気だ」
「ふわふわが寝ている間に脳のチップを取り出させてもらった」
いつの間にそんなことを。体が思うようにいかないのはそのせいか。
「アマテラスは万能じゃない。個体を完璧には識別できないんだ。ふわふわのチップがあーちゃんにあってもどっちがどっちかわからなくなるくらいに」
天音は黙った。僕も黙る。喋ったら天音が死んでしまうというのが目に見えて明らかだったからだ。
「あーちゃん、膀胱ガンなの。肺にも転移してる。もって三ヶ月だってさ」
天音の溲瓶は血尿が混じっていた。排尿障害。僕は側にいて何も気づかなかった。
「だからって! 命を粗末にすることなんか」
「粗末になんかしてないよ」
天音は僕の頬を優しくなでた。
「これは賭けなの。あーちゃんがアマテラスに一矢報いるための。自分の意志でふわふわを助ける。機械に命令されたこと以外の事を最後にさせて欲しい」
アマテラスが個体識別を不得手といっても、最先端の顔認証システムやDNA検査など個人を特定する技術が欠けているわけではない。だからデータの改竄だけでなく損壊した死体が必要だった。
「そうやってあなたは姉を殺し、ガソリンをまいて火をつけたんですね。そして姉の振りをしてのうのうと生きている」
僕は天音と心中したはずだった。なのに僕だけが生き延び、天音として生きることになった。
清音ちゃんに声をかけずに出ていくことだって出来たはずだ。天音の振りをして彼女の前に現れるのはリスクを上げるだけで僕には何のメリットもない。それでも肉親に何も伝えないという不義理は犯せなかった。
「馬鹿な人」
清音ちゃんは天音と違い、毒舌で辛辣だった。毎朝天音が通い、折り鶴をもらっていたのは妹だったのだ。僕はつくづく天音のことを何も知らなかった。
「どうせなら私が殺してやりたかった」
「清音ちゃんは天音が嫌い?」
「姉は、困っている人を放っておけない人でした。6Gの手術を受けたのだって、難病の治療に役立つと聞いたからです。私は姉に誘われて軽い気持ちで手術を受けました。姉はそのことを気に病んでいたようです」
6Gが人間に適応することはなかった。清音ちゃんの自由を奪い、天音も脳に障害を負った。
「あなたはこれからどうするつもりですか? 万里天音の皮のままで生きますか? それとも国選に入る前の自分に戻りますか」
「わからない」
虫が良すぎるけど、その答えを探して清音ちゃんの所に来たのかもしれない。清音ちゃんの答えはやっぱり辛辣だった。
「苦しめばいいです。苦しんで苦しんで、みじめに一生を終えて下さい」
許して欲しいなんて思わない。僕にはそんな資格はないのだと清音ちゃんはありがたく教えてくれる。
「君はこれからどうするの」
「学校部分が縮小されるので、長崎の実家に戻るつもりです。お金は姉が残しておいてくれました。私のことは心配しなくていいです。アマテラスは第六世代の子供に手を出しませんから」
機械に哀れんでもらっても嬉しくないですけどねと、付け加えた。
「姉はあなたのことを愛していました」
教室の出口まで見送りに来てくれた清音ちゃんが、そう漏らした。
「ここに来ても、あなたの話ばかりしてましたよ。後悔しました? 姉に謝りたいですか? そんなことをするくらいなら今すぐ死んでください。さようならお元気で」
学校のエントランスから外に出る。学び舎の外観は高層ビルと変わりない。
僕はここで初めて天音と出会ったのだ。
入校の際、新入生は胸に花をつけることになっていた。天音は花の係を一人で行い、新入生の対応をしていた。けれどあまりにどんくさくて非難轟々。見かねて僕が手伝ったのが始まりだ。
「髪ふわふわだね。ふわふわ、あーちゃんと友達になってよ!」
生まれて初めてできた僕の友達。
昨日のことのように思い出される、あいつの匂い、息づかい。それを終わらせたのは他ならぬ僕だ。
「ふわふわ、何度生まれ変わっても、あーちゃんと友達になってね。約束だよ」
さようなら、国選花嫁専門大学校。校歌なんて知らねえ。もう僕は豚じゃないから歌うのは止めたんだ。
自衛隊員と共にトラックに乗り込み、僕は福島を目指した。群馬と福島近くの峠でトラックが横転した。地震かと思ったが、仕掛けられていた地雷を踏んだのが原因だった。
「ご無事デスか?」
二十歳くらいのロシア兵が僕を引っ張りだしてくれた。トラックは崖すれすれのガードレールに運良く引っかかっている。幸い、僕はかすり傷ですんだ。
「崖に転落したらどうする。死んでたぞ」
「論美男さんが聖女さまは運が良いから死なないと言ってマシタ」
とぼけた感じのロシア人を銃でぶん殴った後、福島に入った。
嶽魅火槌と落ち合ったのは、広い牧草地だった。離れた所に古びた厩舎らしきものが見える。野生の牛がのんびり草をはんでいた。
「ここは俺の実家だ。震災の時に先祖代々の土地を手放さざるを得なくてね」
「嘘つくな。死ね」
僕が清音ちゃんばりの暴言を吐くと、論美男は大げさに肩をすくめた。
「よくわかったな。大事なのはブランディングとパッケージ。つまり中身は」
「どうでもいい」
「ご明察。また会えて嬉しいよ、聖女さま。さあ俺と一緒に行こう。その痛ましい姿で国連で演説し、世界の同情と罵声を諸共に浴びよう。そして親友殺しの聖女さまは、アマテラス打倒の旗印となるのだ」
一体いつからこの手は準備されていた。僕が三浦に会う前か、それとも国選に入るずっと前からか。みんなこいつに踊らされて死んでいった。それを忘れてはいけない。これは救いの手なんかじゃない。
僕は意気揚々と差し出された手を思いっきりひっぱたいた。
「……、何の真似だ? 聖女さま」
「僕はお前とは行かない」
両肩をすさまじい力で掴まれる。鎖骨が折れそうだった。いや折れたかもしれない。
「おいおい、今更それはないぜ。万里天音や三浦彩矢、諸々の犠牲はどうなっちまうんだ。お前さんがいなかったら今回の戦争も大義がなくなっちまうだろうが」
いくら脅されても僕が考えを変えることはない。嶽魅火槌に聖女として担ぎ出されれば、アマテラスと戦う体制は作れるのかもしれない。
でもそれは今までの境遇となんら違いがない。操り人形だ。天音は支配に抗ったが、アマテラスと戦えとは一言も言っていなかった。
「僕は誰のものでもない。誰かに踊らされることはないし、自分の意志で生きていくって決めたから」
嶽魅火槌は憤激した様子で煙草を吸っていたが、僕の翻意を期待できなくなったのだろう。ついに折れた。
「わーった。お前さんの意志を尊重しよう」
ロシア兵がすかさず銃を構えたが、嶽魅火槌はそれを手で制した。
「僕を殺さなくていいの?」
「殺される気で来たのか。ちっ、腹が座ってんなあ。いっとくが俺は諦めてねえぞ。これは貸しだ」
僕は痛んだ肩を回しながら、背中を向けた。嶽魅火槌が嬉しそうに話しかけてくる。
「俺さ、アマテラスが考えてることわかっちゃった」
「へー、すごい。大発見だ」
僕と嶽魅火槌の距離はどんどん離れていく。後ろは振り返らない。
「遊び相手が欲しかったんだよ。仕方のねえ奴だからもう少し付き合ってやることにしたわ」
遊び相手が欲しいのはお前だろ。
誰かに必要とされたい。まるでリュウみたいだ。僕はあなたに感謝しているアマテラス。あなたが不破瑞樹という殻を与えてくれなかったら、僕はリュウの亡霊に押しつぶされていただろう。
その殻を破れて今はせいせいしている。どこに行こう、どこでもいい。木漏れ日の差すこの道を進めばいずれ誰かに会える。
上級国民の妻になるのは諦めることにしたけど、百歳まで生きて曾孫を持つのは諦めていない。天音の生まれ変わりに会うためにも、僕を待つ誰かの所に行くしかないのだ。
そう、たとえば、君の所に行くかもしれないよ。
(了)
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