第42話 豚は丸焼きに限る。ただし骨つきで。
それでも僕は、夢がいつか覚めものだと知っている。
池袋でリュウや鯱と暮らしていた事も、天音や弥生達と学校生活を送った事もあるいは夢で、未だに僕は小さな子供のままナンをかじっているのかもしれない。
アマテラスが”僕”を作ったとしたら、刃向かった子供を許すだろうか。
天音が蛭子ならその答えを知っている気がする。
「ぐおー、ぐおー」
誰かのいびきがうるさい。耳を塞ぎたかったけど腕が上がらない。国選の豚は有事の際、いびきをかかないように訓練されている。つまり、いびきの主は豚じゃない。
白い天井に焦点を合わせる。僕は清潔なベッドに寝かされていた。右手からチューブが伸びており、ベッド脇の点滴に繋がっている。
僕の寝ているベッドの隣にもベッドがあり、天音が足を開いて寝ていた。大きな口からイビキが聞こえてくる。
僕も天音も着脱が簡単な病院着のようなものを着ていた。頭がぼーっとして状況が掴めない。
「あ、起きた」
天音が目をこすりながら起き出した。僕も同じ動作をしたかったが、体が強ばってうまくいかない。
「ふわふわ大変だったね」
「天音、ここどこ?」
「埼玉にある防衛医大。ふわふわは三日も寝てたのら」
段々、頭が物を考える体勢になってきた。車で酒を飲んだことは覚えている。あれから嶽魅火槌はどうなったんだろう。天音によると僕の乗った車は晴海埠頭で発見されたらしい。
「テロリストはふわふわを置いて逃げたみたい。変なことされなかった?」
「僕は胸を触られたくらいで何ともないけど……」
「なにっ!? けしからん。あーちゃんにも触らせなさい」
憤慨した天音が僕の胸を両手でもみしだいた。
「岩永さん……、僕の護衛がどうなったか知らない?」
もみもみ。
「日本橋で発見された二名は共にほぼ即死だったみたいだじょ。使われた凶器は空気変圧銃っていって、指定した座標の空気圧を変えられるのら。深海並みに圧力を増して、内蔵をポン! こわいねー」
もみもみもみ。
僕は左手で顔を覆った。助からなかった。僕だけ生き長らえて何になるんだ。
もみもみ。
「って、いつまで揉んでんだ! 痛えんだよ!」
僕の友達は僕のオチチを触りすぎる。見かねた僕が左手で平手打ちすると、天音はひっくり返ってベッドの柵に頭をぶつけた。すごい音がしたので僕は狼狽えた。
「あ、ごめ……、天音死なないで」
「へーき、あーちゃん、丈夫だから」
「日本の安全保障を守る隊員だから?」
僕の問いに天音は答えず、自分のベッドに戻った。何をするかと思ったら、ヘチマ型の溲瓶を開いた足の間に置いた。前触れもなくじょぼじょぼと水音が聞こえてくる。排尿というプライバシー行為は僕を気まずくさせた。
「せめてカーテンを閉めてからしろ」
「照れるなよ。ふわふわとあーちゃんの仲じゃないか」
そういう問題じゃない。相変わらずの天音だった。
独特の臭いを意識しないようにして耐えていると、天音が、あ! と素っ頓狂きょうな声を上げた。
「何? どうした」
「溲瓶が一杯になりそう」
溲瓶って一回で満杯になるのだろうか。首を傾げながら、僕のベッド下にあるものを天音のベッドに放り投げた。
「すまんのう。あーちゃんの膀胱はとっても柔らかくて尿が一杯入るのら」
二つ目の溲瓶にも勢いよく放尿している。よほど我慢していたのか。それにしてもよく出る。全部出し終わるまで三分はゆうにかかった。
「さて、出すもの出し終わった所で仕事に取りかかるか」
「仕事って?」
ばすん!
僕の顔のすぐ脇の枕にナイフが深々と刺さった。いつの間にか天音が僕の上に馬乗りになっている。
「屠殺のお仕事。全てを知ったふわふわを生かしてはおけないとアマテラスからのお達しが出たよ」
残念なことに、嶽魅火槌の説は正しかった。天音は特殊部隊蛭子の一員で、学校の屠殺人だったのである。
「ねえ、ふわふわ。国選の子が綿のパンツを履いてるの何でか知ってる?」
天音は僕の耳もとに唇を近づける。僕の髪が何本もベッドに散っていた。ナイフで切られたのだ。
「肌にやさしいからだよう。お母さんの愛情なんだ。あーちゃんはいつもそれをチェックしていた。言うこと聞かない子はお尻ペンペンだ」
ずいぶん淀みなく喋るなこいつ。本当に天音かと疑いたくなる。
「バニラはアマテラスに逆らったから殺したのか」
天音はよくぞ聞いてくれましたとばかりに僕の目をのぞき込んだ。
「そう! このナイフで解体! した。肉は堅かったけど、どの子も脳ミソは柔らかい、イヒヒ」
僕の心はすっと冷えていくのを止められなかった。冬の雨に打たれた時のように体も強張ってくる。
「お前ら、友達だったじゃないか」
「友達? ああ、勝手にそう思ってくれていつも助かるよ。白痴の振りしてれば、ふわふわみたな出しゃばりが守ってくれるからね」
僕が獅子心中の虫を作り、クラスのみんなを危険に晒していた。確かに天音を下に見て面倒を見てやるという奢りは僕にもあったかもしれない。それは反省するとしても天音のやったことは手酷い裏切りだ。
「友達って言えばさあ、ふわふわと仲が良い子いたよね」
天音は親指をしゃぶりながら、天井を見上げた。よせ、考えたらこいつの思う壷だ。
「弥生って言ったっけ。最後にふわふわに会いたいなんて可愛いお願いされたから叶えてあげた。その後もう思い残すことはありませんなんて顔してたから死ぬまでブン殴ってあげたー。最後は瑞樹はん瑞樹はん助けて助けてってー泣いてたよーん。どうして助けてあげなかったのー? ふわふわ」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
」
僕が堪えきれずに絶叫すると、天音はくねくねと腰をくねらせ珍妙なダンスを踊った。いっそのこと発狂できればよかったのに、僕の精神はかろうじて延命していた。
「や、弥生は外国に行かなかったのになんで」
「わかってないなあ。弥生たんは安売りして国選の権威を傷つけた。アマテラスは自己評価ができない子が嫌いなんだ」
たったそれだけのことで弥生は命を落としたのか。あの夜、弥生はそんなそぶり微塵も見せなかった。もし気づいていたら……
「さあて絶望のスパイスはこれくらいで十分かな。ふわふわは焼き豚に興味があったよね」
天音はベッドの陰からポリタンクを引っ張りだした。
「な、何を……、する気だ」
「が、そ、り、ん、でし。豚は丸焼きに限る。ただし骨付きで。心配ないよ、ふわふわの恐怖も絶望も愛しさも切なさも心強さも全てアマテラスに捧げられ、いずれ新たなふわふわが生み出されることだろう。母の愛は偉大! 可愛いは作れる! ふわふわ、またあーちゃんと友達になってえねええん!」
僕は天音に殺される。これが罪に対する罰なのか。あまりに惨い夢の終焉だった。
さてここからはふわふわに代わりまして、あーちゃんの提供でお送りします。
あれから三カ月。
国選の教職員棟の地下十三階に、あーちゃんは向かっていました。
あやせんせーにお別れをしに行くためです。
地下には、資料室があります。デジタル化されてとうに必要になくなったアナログ紙ぺっぺの部屋ですが、悪い子を閉じこめておくのに役立ちます。
あやせんせーは、テロリストにじょうほうろーえーした悪い子なのでお仕置き中です。
一ヶ月くらいあーちゃんが食事を運んでいます。仲良くなったので、あーちゃんが火傷した箇所をけしょーで隠す方法も教えてくれました。
「天音ちゃん、次はどこ行くの?」
あーちゃんは福島に行く予定です。東北に結集しつつあるてろりすと、奥羽なんちゃら同盟をぐちゃぐちゃにするための従軍です。
アマテラスは言いました。強い軍隊にはガス抜きが必要だと。そのために階級社会を作り、不満分子を残しておいた。弱い人には弱い人なりの使い道がある。テロリストにはロシアが武器を横流ししていますが、関係ありません。ぼこぼこにしてから停戦をもちかけ、ついでに北方四島も返してもらいましょう。
アマテラスはもう人間同士の小競り合いにさほど興味がありません。アマテラスの関心は、いかにこの地球という傷ついた子供を救うかに変わっていたのです。アマテラスはかわいそうな子供が大好きですからね。
あやせんせーは、中央で裁判を受けるそうです。適当な弁護人が見つからないそうですが、むりもないです。アマテラスに勝てるAI(あい)は存在しないのだがら。
「あやせんせー、ひとつきいてもいい?」
「何かしら」
「あやせんせーと、嶽魅火槌は付き合ってたの?」
軽くおでこを押されました。
「女の過去は詮索しないものよ」
白髪の老婆のようになってしまったあやせんせーでしたが、その時だけは出荷間近の豚のようにきれいでした。
誰のためでもなく心のままに生きなさいと背中を押され、あーちゃんは部屋を出ます。資料室のドアを開けることはもうありませんでした。
次に向かったのは、6Gのクラス。あーちゃんは、ぽつんと一人でいた車いすの女の子の前にしゃがみました。
「清音。お姉ちゃん行ってくるね」
呼びかけても彼女は壁の一点を見つめたまま。
この子は清音。あーちゃんの妹です。折り鶴を作れるくらいには回復してきましたが、後遺症はまだ深刻です。
清音は目線で操作できるキーボードで返事をしてくれました。
「あなたはお姉ちゃんじゃない。誰ですか?」
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