第35話 僕は臨時カウンセラー
岩永さんにジュエリーショップを調べてもらい、車で向かった。
二丁目にあるその店は外にまで宝石の光を放射しており、僕を後込みさせる。
「僕はこういうの興味ない」
誰に弁明するでもなく、僕は言った。育ちが育ちだけに高価な代物とは無縁の生活を送ってきた。国選に入ってからもそれは変わっていない。鯱が残したアクセサリーを大事に使うくらいだ。今日もお守り代わりにイヤリングをしている。
「そうね。不破さんは自然体が似合うよ。こういうのはお相手が決まってからの方がいいね」
岩永さんはタブレットで別の店を調べてくれている。宝石だけじゃなく帽子とか靴とかバカ共が注文をつけたせいだ。でも悪いことばかりじゃない。豚がいずれ有力者とくっつけばコネができる。そうなったらせいぜい今回の貸しを利用してやる。
謝さんは僕らから少し離れたところでしゃがんでいる。僕と岩永さんがこっぴどく叱ったせいで覇気がなくなっていた。酔いも醒めたみたいだし、段々可哀想になってきた。
「おじーちゃん、行くよ」
やさしく声をかけると、どんよりとした目を向けてくる。今にもお迎えが来そうだ。もしそうなったら曾孫さんに申し訳ない。
「もう怒ってないから、しゃきっとしてよ」
「本当かい……、瑞樹はやさしいねえ」
許しを与えた途端、老人とは思えない身のこなしで僕に組み付いてきた。最初に会った時も思ったけど結構力強いなこのじじい。ひきはがすのにも苦労する。
「はいはい。今回は許すけど次触ったら今回の依頼料の十倍請求すっからな。……、じゃ、行こうか。僕こういう店初めてだから怖いよ、おじーちゃん。ちゃんとエスコートしてね」
店の扉は高そうな木でできていたが、国選の大扉よりは軽かった。
店内には商品の入ったショーケースがあるが、素人の僕では見分けがつかない。店員に訊ねるのが一番だろう。
入り口に近い所に、ひっつめ髪の女性店員がいた。色白で肌がきれいだ。国選の連中はよく白豚に例えられる。学校から滅多に外に出ないせいもあるのだが、彼女はうちの豚に負けず劣らず肌美人だった。
「……?」
そんな彼女は目を丸くし、僕らの前で首を傾げている。僕と爺の組み合わせがよほど珍しかったのだろう。おのぼりさんに見られないための先制攻撃は成功したのだ。
僕は僕で店の奥に目を奪われていた。一組の男女が鼻と鼻をくっつけるようにして笑いあっている。近づきがたいほどの多幸感を顕している。幸せを謳歌している二人に波風立てないように大人しくしていようと誓った。
「このリストにあるアクセサリーを見せてもらいたいのですが」
岩永さんが率先して場を仕切る。僕とじじいは店のソファーに座り、優雅に紅茶を飲んでいるだけでいい。
だが問題が起きた。宝石を見ていた二人のうち、男の方が僕をちらちら見だしたのだ。初めはたまに目が合う程度だったが、今では他の動作を忘れて僕を見ている。連れの女が腕を引いても意に返す様子はない。
僕の美貌に魅入られたようにふらふらと近づいてくる。彼の口から出たのは、もう誰からも呼ばれるはずのない忘れ去られた名前だった。
「奈美……?」
僕の足はきれいだとよく誉められる。弥生や他の豚の評価はもちろん、僕の合格を決めた審査員も同じことを言っていた。
「ユーの足きれいだね。国選に入っちゃなよ」
合格の決め手はキックベースでの僕の活躍だった。人生はどう転ぶかわからないものだ。
僕が足を組み替えれば、男の視線を引くのはたやすい。目を奪われる者、泳がせる者、反応は様々だが誰もが僕に魅入られる。
そう思っていたけど例外もいるようだ。彼は僕の目だけをまっすぐ捉えて離さなかった。難敵かもしれない。
「失礼……、知り合いに似ていたものだから。隣、よろしいかな」
彼は隠しようのない焦りを見せつつ、どうにか大人の体裁を取り繕っていた。二人掛けのソファーは僕と爺と一杯なはずだけど、爺がいつの間にか消えている。断る理由もないので頷くしかない。
男のお相手の女性は「向かいのカフェで時間潰してるね」と言って大股で店から出た。屈辱的だろうな。出ていく時にすげー睨まれたし。
さて移り気な彼氏さんのお顔をとくと拝見しよう。年齢は三十代、中性的な雰囲気で目鼻立ちが整っているのはもちろん、薄手のジャケットに白パンツが誂えたように似合っていて憎たらしいほどだ。身長も目測で百八十はあったし、彼女さんが不安になるのも理解できる優良物件。そんな彼が僕に何用だろう。
「そのイヤリング」
彼は長い指を僕の耳に近づけた。
「私の母の形見に似てる。失礼だけれどどこで」
僕は震えそうな手つきでカップをテーブルに置き、イヤリングに触れた。
「友達に選別にもらったんです」
「その友達は今どこに」
相手が身を乗り出してくる。並々ならぬ一念を感じて僕は身を引いた。
「さあ……、どこか遠い空の下で幸せに暮らしてるんじゃないでしょうか」
男性は僕の煙に巻くような答えに傷ついたのかうなだれる。普段優位に立つ機会が少ない僕はそんな彼に好んで意地悪をしていた。
「僕は国選の学生です」
相手がはっと、顔を上げ僕を凝視した。それからその視線が不躾だとわかり目を背けた。
「そう……、なんだ。どうりで普通じゃないっていうか。……、あ、綺麗だって意味だよ」
「よく言われます。今日はクラスメートのおみやげを買いに。お兄さんは?」
「ああ、妻と結婚指輪を買いにね。でももうそんな気分じゃ」
僕はお兄さんの太股に軽く爪を立てた。嗜虐的に微笑んでみせる。
「お兄さんの気分なんて聞いてません。さっきのあれなんですか。奥さんほっぽりだして僕の所に来たりして。信じられない」
僕が怒ったふりをすると、お兄さんは苦笑して眉間を押さえた。
「君の言うとおりだ。私はなんて愚かなんだろう」
落ち込むお兄さんを励ましたい衝動に駆られる。加減を間違えて意地悪しすぎたかも。男は意外とナイーブな生き物であるのを忘れていた。
「不安なんだ。家庭をもってやっていけるのかって」
よく知らない女に弱音吐くなよ。何でそんなに自信ないのかな。これ以上責めても逆効果だ。どうしたら背中を押して上げられるだろう。
「今でこそ画商の仕事をして生活できているけど、私は元々孤児だ。それに一緒に暮らしていた家族を見捨ててしまった。彼らのことが頭から離れない」
「見捨てられたなんて思ってませんよ」
僕は年齢相応に刻まれた男の目尻の皺に触れた。涙で光る男の瞳は美しい。かつての誇りを失わず、僕の前に現れてくれたことを神に感謝した。
「このイヤリングの持ち主は言ってました。二人の兄に育てられたと。一人は力ばっかり振り回す馬鹿野郎で、もう一人は母親のようなやさしい人だったって」
何かを言いたそうな男の手を握って僕は続ける。
「人はそれぞれの道を歩くようにできてるんです。どうか幸せになることを恐れないで」
岩永さんの受け売りだったけど、僕にできる花むけはこのくらいだった。奥さんを待たせるのは良くないからと、退席を促す。お兄さんは未練がましく僕に訊ねた。
「しまった。どうすれば妻の機嫌が直るだろう」
「この店で一番高い宝石を買ってあげれば?」
「それなんだが、実は妻の浪費癖に悩んでる。結婚式も日本でやりたいとごねるし。何か対処方はないかな」
僕はカウンセラーじゃないんだぞ。でも頼られて悪い気はしない。夫婦円満の秘訣を教えてあげた。
「お兄さんが浪費家になっちゃえばいいじゃないですか。そうすれば奥さんがしっかりするしかなくなるもの」
僕の解答にお兄さんは腹を抱えて笑った。店中の人間が一斉に振り向いた。
「いやー、君の方が私よりよっぽどしっかりものだ。会えて良かった」
「もう会わない方がいいでしょうね。夢中にさせちゃ奥さんに悪いから。イヤリング返しましょうか」
「いや、それはもう君のものだ。お守り代わりにどうぞ。あれだけ強気に出たんだ。君も幸せにならないと駄目だからね」
さよならの代わりに握手を交わし、お兄さんは店を後にした。その背中はさっきまでよりたくましく見えた。
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