第40話 僕の友達は蛭子だった


嶽魅火槌は日本橋の欄干に手をつき、暗い川面に目を落としている。仕事帰りのサラリーマンが三人通り過ぎたが、僕らには見向きもしない。風のない蒸し暑い夜だった。


「バニラが死んだ……、そんなことあるわけない」


嶽魅火槌は天音にバニラ殺害の嫌疑をかけている。


バニラはあの後、渡米したと聞いている。僕は引っ越しを手伝ったのだ。送別会の後に何かあったとしても嶽魅火槌の言い分には説得力がない。それでも後味の悪さが残る。


「引っ越しの時、その娘は立ち会ったのか?」


引っ越しの手伝いを頼んできたのは隣室の白木で、僕がバニラの部屋に行った時には既に天音が荷造りをしていた。バニラはその場にいなかった。身請けお披露目の舞踏会にも出席していない。


「確かに僕がバニラを最後に見たのはこの送別会だった。だからってバニラが死んだなんて信じられないし、それに天音が関与してるなんてどうかしてる」


嶽魅火槌は天音に罪をなすりつけて、この場を乗り切ろうとしていると考えるのが妥当だ。天音が怪しい行動をしていたのは認めるにしても、嶽魅火槌の罪が減じることはない。


「これだけじゃ決定的な証拠にならないのは百も承知さ。万里天音の話は一先ず置いとこう。聖女さま、久しぶりの外出の感想はどうだ」


「あんたのせいで最悪」


「俺のサプライズは刺激が強めだからな。俺が知りたいのはこの街の感想だ」


街とこいつに何の関係がある。何を言っても、こいつの殺人に正当性が与えられるとは思えない。


「過ごしやすい街だと思わないか。自動車事故は起こらず、犯罪やテロは監視ドローンで減少し、スコア型の健康保険のおかげで住民は自分の生活に気を配る。移民に寛容で、子供たちは緑化された環境でのびのびと成長する」


「結構なことじゃないか」


「裏では、可哀想な女の子たちが慰みものにされているのにか」


僕は自分が犠牲になったとは思っていない。自分の意志で国選に入ったし、他の豚も軒並み同じ気持ちだろう。逆に日本の発展に寄与できて、誇りに思うくらいだ。


「そんなわかりきった話を聞かせるために僕を連れ出したのか。もう警察行っていい?」


僕が最後通牒を突きつけると、嶽魅火槌は指をぱちんと鳴らした。


「自分の運命を受け入れてる顔。いいね、さすが聖女さま。ここからが、本題だ。それを聞いてから警察に行くか決めてくんな」


この後、話を聞き終わっても、僕は警察に行かなかった。嶽魅火槌の話はあまりに荒唐無稽で、冗談にしてもあまりにおぞましいものだったからだ。


「空には何がある?」


嶽魅火槌は空を指さす。日本橋の真上にはかつて道路が走っていたが、今は地下に移設されている。したがって、真上にあるのは痩せ細った赤い月なのだが、僕が見たままを答えても納得してくれない。空を突き抜けた先にあるのは、宇宙、天体、衛星。


「あ……、アマテラス」


人工衛星アマテラスは、球体の核と二つの輪が絡まりあった不思議な形をしているのを映像で見たことがある。


2038年官民が総力を上げて作り出した日本の技術の結晶。受信機に6Gの高速通信規格が使われ、高度な測位システムを誇る。と、辞書に書いてある。


「それは仮の姿。アマテラスの真の姿は、託宣の巫女だ」


明日が子供の遠足だとしたら、晴れて欲しいと思うのが人情ではないだろうか。


アマテラス、「明日の天気は?」と気まぐれに問いかけた研究者がいた。


アマテラス、答えていわく、


「明日の天気は晴れでしょう」


明日が明後日、来週、一ヶ月後になるのに時間はいらなかった。アマテラスは本来、気象衛星ではない。本来のスペックを越えた機能が拡充されていることに、研究者が興奮を覚えたのは想像に難くない。


アマテラスはタカマガハラというAIを搭載していたが、その後、KYO06、MURAKUMO、YSAKANIという三つの量子コンピューターが追加された。


その結果、何が起きたか。


「今現在、国の政策の九割はアマテラスが決定している。政治家もアマテラスが選び、国民がその枠の中の候補者に票する。ほとんどの奴は異を唱えない。アマテラスに任せた方が結局、生活は良くなるからだ」


世界各地から吸い上げた情報を元に、アマテラスが問題提起を出力。三つのコンピューターが、最適な組み合わせを選出し、アマテラスが結論を下すというプロセスを一秒間に数京回行う。移民の受け入れもアマテラスの政策の一つだという。一時期テロが頻発したが、それを監視するためのドローンや警備ロボの開発が進み、日本は軍事防衛の分野でシェアトップに躍り出た。そこまで読んでいたとしたら先見の明という領域をとうに超えている。


「お前さんの7G技術もアマテラスが開発した。コンピューターが処理を負担してくれてるから脳が壊れずに済んでるんだぞ」


額を嶽魅火槌につつかれる。第六世代と第七世代の差はアマテラスにアクセスできるかどうかの差なのだという。こいつが僕を聖女と呼ぶのは嫌みだけじゃなく、アマテラスの子供という意味もあるのだろうか。


「6Gは所詮、人間が作った技術だ。かたや無限に近い計算速度を持つアマテラスが作った7Gは超常の力を持っている。全く素晴らしい」


僕がにらむと、調子に乗っていた嶽魅火槌が手を離した。


「救うなんて言っておいて、お前は僕の脳の秘密が知りたいだけなんだろ」


「うーん、惜しいっ。半分正解。いいせんいってるう!」


体をくねらせてキモいなこいつ。僕の脳ではなく、本丸のアマテラスが狙いなのか。こいつにアマテラスが乗っ取られたら世界が悲惨な目に遭いそうだ。絶対秘密を渡すもんかと決意を新たにした。


「アマテラスが憎くないか」


「何で?」


「アマテラスが移民政策を決めなければ、お前さんの兄貴は死ななかったかもしれないぞ」


一瞬だけ考えたが、答えはノーだった。


「リュウはああいう奴だからね。遅かれ早かれ似たようなことになってたと思う」


「そうか……」


僕はリュウの死を自分のものだけにしておきたかった。わけのわからない機械のせいにしたら、それこそ罰が当たりそうだ。


「それで、天音がバニラを殺した与太話はどうなったの?」


「与太じゃねえ。ここに繋がってくるんだ。いいか? 7Gの基本設計はアマテラスが行ったって言ったよな。バニラはどこに行こうとしていた?」


「アメリカ……、あっ。でも、日本と同盟国でしょ」


「形の上ではな。だが、アマテラスは7Gを独占したがっている。俺はそう睨んでいる」


天音は機密を守るために、殺人を実行した? 天音って一体何者?


「万里天音はただの学生じゃない。陸上自衛隊の隊員だ」


僕は思わず笑いそうになった。どんくさい天音がそんな大それたことできはずがない。それでも嶽魅火槌はいたって真剣に天音の素性を説いた。


「組織名簿にも乗っていない。ましてやまっとうな部隊でもない。第二次大戦期、ナチスと共同で極秘理に結成された特殊部隊、蛭子ひるこが万里天音の所属だ」


蛭子……、捨てられた子供。

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