第29話 僕はリュウに殺される


「リュウ……?」


リュウの様子がおかしい。目の焦点が合っていない。手は冷たいのに、興奮した時のように息が荒くなっている。


今更悔い改めるような性格ではない。海風に当てられ、体調を崩したのだと察した。遠出させたことをわびて帰りを促す。


「リュウ、もうそろそろ帰ろうよ。きゃっ……!」


突然、視界が反転した。

リュウが僕をいきなり船底に引きずり込み、馬乗りになったのだ。


「痛いな……、何すんの」


僕が非難してもリュウ不気味な沈黙を守ったままだ。


僕の腿にリュウの体重がかけられ、身動きが取れない。ひとまずリュウの怒りを鎮めようとした。


「ごめんね。リュウは何も悪くないから。あたしが頼んだって自首するよ」


「んなことはどうでもいい」


今日の出来事はたった一言で片づけられていいわけがない。立派な傷害罪。リュウは成人しているからより重い罪が下る。具体的な年数はわからないが、もう永遠に会えないのではないかと思うには十分だった。


「あたし……、リュウと離れたくない」


縋る声が、波の音にかき消されたらどんなに良かっただろう。


「ああ、俺もだ。奈美」


最も聞きたかった言葉のはずなのに、リュウの顔は別の何かに置き変わったように歪になっていた。


「ずっと一緒にいよう、ずっと」


リュウの言葉は虚ろなやさしさを秘めていた。反面、行動は粗暴でちぐはぐだ。僕の衣服を乱暴にはぎ取ろうとしてきた。僕はようやく危険を感じ、鋭い声を上げる。


「ねえ! 何やってんの!? やめて、リュウ、どうしちゃったんだよ!」


抵抗は無意味だった。逃げようとすれば殴られ、僕はあっというまに下着だけの姿にされた。リュウは何かにとりつかれたように僕のへそ当たりを見つめていた。


普段誰にも見せない部分を露わにされ、羞恥心で死にそうだった。しかも一番信頼していたリュウに辱められ、冷静でいられるわけがない。それでも一縷の望みをかけてリュウに呼びかける。


「お願い……、いつものリュウに戻って」


「いつも……、だと?」


リュウは猿が歯を剥き出したような笑みを浮かべ、僕の下着を引きちぎる。ゴムがぶちぶち裂け、体を守っていた最後の砦が失われた。


「俺はずっとこうしたかった!」


僕は顔を覆いたかったが、それすら許されず、リュウの挙動に怯えるしかなかった。


リュウがズボンを下ろそうとしている。男女の違いがもっとも表れる部分が露出される。ろくな教育を受けていない僕ですら、次に何が起こるのか予想できた。


「それだけは本当にヤバいって! リュウ、駄目!」


泣き叫んでも、リュウは止まらなかった。僕の体をリュウが貫いた。



雲間から月がのぞき、僕の平らな胸に光を投げかけた。


全てが終わってもリュウは僕の髪を撫で続けている。振り払う力は残っていない。


下腹部にまだ異物が残っている気がしたが、触るのも見るのもおぞましかった。


「お前は俺のものなんだ」


何度言い聞かされても理解が追いつかない。僕の意志はどうなる。僕はリュウを実の兄のように慕っていたのに、リュウは違った。それが事実だったとしたらこれまでの生活は何だったのだろう。


望まない行為を強要され、リュウを激しく恨んだ。が、同時に憐れみに近い感情も生まれた。


リュウは行為中もずっとすすり泣いていた。ぎこちない動きで僕を突き上げるたび、リュウ自身も痛みを堪えているのがわかった。力づくで僕をつなぎ止めなければ、リュウ自身も崩れる寸前だったのだろう。


なんて弱くて醜い生き物。


こんな男を兄と仰いだ自分の弱さが憎い。


僕とリュウの絆はこの時、断ち切られたのだ。永遠に。 



母を求めるようなリュウの甘えに嫌気が差し、僕は一人湘南の海を離れる。


バス停で寝泊まりしながら、数日をかけて一人団地に帰った。


帰るとすぐ、鋏で髪を切った。塩風の染み着いた髪に別れを告げると押入に閉じこもり、リュウの呼びかけにも応じなかった。


「飯、ここ置いとくな。仕事行ってくる」


海の一件以降、リュウの態度は明らかに軟化した。それがまた無性に僕を傷つけた。リュウはもう僕を妹とはみなしていないのだ。


妊娠の危険にも怯えなければならなかったが、当時の僕は無知で、そこまで頭が回らなかった。これから先の生活の当てもなく、涙をこぼす日々が続いた。


店長はあの後、どうなったのだろう。事実を知りたい気持ちはあったが、罪を受け入れる余裕もなく耳を塞ぐ他なかった。


警察が団地に踏み込んでくる夢で何度も目が覚める。自首をしたい気持ちはすっかりなくなっていた。


自首すれば、リュウとのことも警察に話さなければならない。


あれは、ことによるとこれまでの悪事より罪として重く、僕は全世界の人に責め立てられる予感がひしひしとした。


進んで矢面に立つ勇気なんかない。卑怯と言われたらそれまでだが、僕を守ってくれる人はもう誰もいないのだ。そう考えるだけでカビ臭い押入れから出たくなくなるのだった。

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