輝くもの天より堕ち


万里天音は、最近夢をよく見る。橋から落ちる夢だ。


「めがね橋、おっこちた。おっこちた♪」


天音が石橋をよちよち渡っている。学生鞄を頭と肩に乗せ、さらに背中に一つ。手には二つ。彼女は計六つの鞄を支えて歩いている。


「おっこちた? 何が?」


天音は立ち止まって自問自答する。


バランスが崩れると、全ての鞄が重力に従い地面に落下する。天音の前方を歩いていたセーラー服の女子校生たちが、悲鳴を上げた。


「天音ー! 何やってんのよ!」


天音は友人の鞄を運んでいる最中だった。いじめではない。公正なジャンケンの結果である。天音がジャンケンに弱いと知っていながら誘導しても、いじめではないと本人は言うだろう。


坂の多い町の唯一の喫茶店ハウステンポスに、女子たちは集結する。


彼女たちは自嘲を込め、自分たちをリタイア組と呼ぶ。少子化による地方の過疎化の煽りを受け、未来を描けない中高生の間で流行っている言葉だ。


軽いニュアンスとは裏腹に、半グレの情婦になるか、広島の軍需工場で女工になるくらいしか道がない彼女たちの問題は深刻である。都心に行きたくとも、東京はもはや誰でも住める場所ではなくなっている。人口の過密を避けるため、定住資格に厳格なチェックを設けるようになったのだ。


現実を直視するのは辛い。そんな彼女たちにとって、万里天音は現実逃避の格好の材料だった。


天音は、中学に上がる前に子役をしていた。


当時、子役のあーちゃんをメディアで見ない日はなかった。シチューのCMを皮切りにブレイクし、バラエティーに引っ張りだこだ。


芝居にも手を広げ、活躍の場を増やしたあーちゃんに隙はないと思われたが、予期せぬ危機が訪れる。


成長期による体重増加で、見た目が激変。ネットでは避難殺到。子豚ちゃんという悪名まで定着してしまう。


本人によれば、仕事のストレスとプレッシャーに負け、過食と拒食を繰り返したせいだという。


仕事が減った天音は中学進学を期に芸能会を引退し、長崎に戻ってきた。


万里天音を迎えた人々の反応は、二種類に分けられた。短いながらも天音の成功を羨み、嫉妬する者。そしてもう一方は、天音を終わった存在として捉え、安心感を得たい者。


天音の友人たちはもちろん後者で、天音を側に置いて自分たちの不遇を慰めているのだった。


天音はそれを知りつつ、道化を演じている。芸能界が天音に教えたのは、政治だった。人民が求めるものを与えれば彼らは言いなりになる。天音は幼くしてポピュリズムを理解する天才だった。


友人たちが夢破れた可哀想な少女を所望なら、頭の弱い自分を演じるのは苦ではない。天音は自分のことを空気のような存在だとみなしており、居場所を与えられなければ息をするのも辛いと思うのだった。


無意味なお茶会の最中、天音のウェアラブル端末に着信が入る。


「バット持って裏山集合」


天音は立ち上がり、店の入り口に走った。突発的な動きに気づいた友人Aが呼び止める。


「天音、まだ支払い終わってない」


「さっき払っておいた」


「天音……!!!」


天音は水しか飲んでいなかった。友人たちは感動に打ち震える。友情は、プライスレス。そんなわけない。



中学の裏山では一人の少女が複数の少女に押さえつけられ、うつ伏せに倒れていた。


「クソがあ! サシでやらんかあ」


押さえつけられている少女が怒鳴る。鼻血を垂らして、唇は砂にまみれていたが、悪態をつく元気はかろうじて残っていた。


「あんたが校則破ったのが悪いんでしょ? ほら! 長い髪見せつけてくれちゃってさ」


イジメの主犯格の少女が、地面に伏している少女の髪を乱暴に掴む。そして百円ライターの火を近づけていく。


「あ、ここにいたんだ」


あわや蛇の舌のような凶暴な火が届く寸前、軽い足取りで天音がやってきた。イジメの現場は道から外れた雑木林の中にある。偶然やってきたとは思えない。


「おねえ……」


捕まっている清音は落胆した声で、天音をそう呼んだ。助けを呼んだのは確かだが、丸腰だとは思わなかった。


天音は締まりのない頬を揺らしながら、清音の元にしゃがみ込む。


「帰ろう。立てる?」


天音は中学生たちに突き飛ばされ、袋叩きにあった。ただで帰れるとは思っていない。頭部を庇ったが、腹を何度も蹴られた。


「お姉さん、これは私刑ではないんですよ」


頬骨の出た目の細い主犯格が、諭すような声で言う。


「清音がルールを破ったからいけないんです。私たちは何も間違ったことはしていない。社会のルールを逸脱したら誰かが引き戻してやらなきゃ」


善意とはほど遠い行いにもかかわらず、天音は一瞬納得しそうになる。自分が皆を欺いてきたことと何が違うのか。皆が求める行いは正しいはずではないのか。十六年間の積み重ねを全て否定された気がした。


「すみませんでしたこの通り」


天音は額を地面にこすりつけて謝罪した。それでも許されず、清音の代わりに断髪する羽目になった。


「なんでバット持ってこなかったんだよ」


いじめっ子がいなくなると、清音は天音をなじった。清音は天音より背が高く、すらりとしている。嫉妬の対象になるほどの艶のある黒髪と、大人びた顔立ちは匂い立つよう色気を漂わせる。雷のような気性の荒さをのぞけば、町一番の美少女と言っても差し支えなかった。


「だって怪我しちゃう」


天音はカミソリで切られた後ろ髪を撫でた。毛先は無惨にばらけている。


「口で言ってもわからないから怪我させるんだよ。二人ならやれたよ。病院送りにしてやれたのに」


「そんなことしたら少年院……」


天音が恐る恐る将来を危惧すると、清音は虚勢を張るように笑うではないか。 


「それがどうした! そうなったらそうなったで筋モンとくっついてヤクザにでもなってやる」


強がりはそこまでだった。自棄になった清音を諫めるように、天音が平手打ちしたのだ。それは今日受けたどんな暴力より、清音の心を抉った。


「何だ! 今更姉貴面して。私はお前を絶対許さない」


清音は目を拭いながら、山をかけおりていった。取り残された天音は、足腰が立たず見送るしかなかった。


清音は天音を恨んでいる。天音の子役時代、両親は東京で暮らし、天音にかかりきりだった。清音は一人、長崎で祖父母に育てられた。愛情が足りなかったのだろう。清音は学校で問題ばかり起こし、両親は頭を悩ませている。


天音は自分が悪いのだと思いこみ、できるだけ清音を守ろうとしてきた。その行動が清音をさらに苛立たせ、溝は深まるばかりだった。


「清音のお姉ちゃんでいるにはどうしたらいいの……?教えて、アマテラス」


天音は空を見上げた。学校で流行っているおまじないだ。衛星アマテラスにお願いすれば何でも叶えてもらえる。半信半疑だったが、祈るしかなかった。応えるように空が二回ほど瞬いた。



顔にガーゼを張った清音が明くる日、学校に行くと、いじめの主犯格はまだ学校に来ていなかった。せっかく野球部からバットを奪って持ってきたのに、肩すかしを食らった。


イライラしながら清音が待っていると、担任が難しい顔で現れた。彼は開口一番、この場にいないクラスメートの消息を伝えた。


昨夜九時過ぎ、眼鏡橋からクラスメートが何者かに突き落とされた。彼女は軽傷だったが、精神的なショックから立ち直れていないという。容疑者とおぼしき人物はまだ捕まっていない。みんなも気をつけましょうという話だった。


清音は担任の話をろくに聞いてなかった。頭にあったのは、最近の姉の口癖だった。


「めがね橋おっこちた」


授業が終わるとすぐ、清音は我が家に急いだ。


天音は部屋でごろごろしていた。部屋は相部屋で、天音は二段ベットの下段を使っている。


「おねえ!」


清音が興奮した様子で呼びかけると、天音はのっそり体を起こし尻をかいた。


「おかえり、清音。クッキー食べるかい?」


「それどころじゃない! おねえがやったの?」


天音はきょとんとしていた。清音はかまわず畳みかける。


「やったのおねえでしょ! 見直したよ。せいせいした」


天音は奇妙な符号に気づいていないらしく、クッキーをぼろぼろこぼしながら食べている。清音は落胆を隠せなかった。


「はあ……、んなわけないか。罰が当たったんだね、きっと」


清音は鞄を置いて、姉の手にあるクッキーの袋を取り上げる。


「清音、もう喧嘩はよしなよ」


「関係ねえだろ、あんたには」


「モデルになりたいんでしょ?」


清音はよろめいて、勉強机に手をついた。誰にも話していない夢を、よりにもよって姉に知られるとは思わなかった。苦しげに否定する。


「違う……、あたしはあんたみたいにはならない」


「そうだね。清音はお姉ちゃんとは違う。絶対成功するよ」


天音の無条件の信頼を清音は鼻で笑い飛ばす。


「そんな楽観的な性格だから失敗したんじゃないの」


「あはは、そうかも。清音は慎重な性格だから大丈夫」


終わった人に太鼓判を押されてもなんの保証にもならないと、突っぱねようとして思いとどまる。内心、清音は天音が終わった人認定されるのを受け入れられなかった。姉はスターだ。清音は、物心つく前から天音の出る番組を録画して何度も観ていた。それなのに姉は、都落ちしてヘラヘラしている。清音にはそれが許せなかった。


姉の顔を見ているのが辛くなり、清音は部屋を出ていった。


天音は胸をなで下ろした。長崎に帰ってきて初めて清音の姉でいられた気がしたのだ。どんな相手に承認されるよりそれは嬉しいことだった。


清音が東京に行くためには大金がいる。天音は政府が実施する実験の被験者になることを決めた。ついさっき、家の郵便受けに封書が届いた時には運命を感じたものだ。


「めがね橋おっこちた。あーちゃんがおーとした♪」


昨夜も夢を見た。映像のように生々しく、鮮明な夢だった。天音はめがね橋から誰かを突き落とした。相手が清音を傷つけようとしたからだ。自分は姉として正しいことをしたのだから、胸を張れる。


てんとう虫が飛んできて、何かの使いのように天音の肩にとまった。天音は、アマテラスに選ばれたことをまだ知らない。



輝くもの天より堕ち おわり

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豚は丸焼きに限る。ただし骨つきで。 濱野乱 @h2o

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