第36話 暗くしてもらえると脱ぎやすいんですけど

 やることはただ一つ、俺はマヤの枕に顔を押しつけ、くんかくんかと匂いを吸い込んだ。

 けして、変態的行為などではない。どうせ後から使うことになる枕だもの。

 遠くから聞こえてくるシャワーの音。それが終わるとドライヤーの音。

 いろいろ想像をかき立ててくれる。

『入るよ、いい?』

 マヤがドアをノックする。

『君の部屋やん、そもそも』

 彼女はパジャマ姿だった。薄いピンクにハートマークや音符のあしらわれた女性らしいデザインだった。

『や、男の子って、母親がいきなりドアを開けたら怒鳴ってるイメージがあって』

『あれは違うやん。最中に入ってくるからとかやん』

『なんの最中? 雷同さんも母親に怒鳴ったりしたことあるの?』

 シコシコの最中、とは言いにくい。ちなみに俺はシコシコに関しては完璧主義者だったので、自室でエロ本やエロサイトを開くときには必ず施錠をしていた。なお、事後のティッシュボールは自室のゴミ箱には捨てず、トイレに流して証拠隠滅をはかっていたくらいだ。

 マヤは俺の隣にすとんと腰をおろした。ベッドがきしむ。

 ほのかにただよう柑橘系のシャンプーのにおい。さっき枕から吸引していたのと同じ匂いだ。だが、枕から吸引するのと濡れた髪から吸引するのとでは刺激の強さがまるで違う。

『じゃあ、次、雷同くんがシャワー浴びてくる?』

 パジャマ姿のときはノーブラなんかな? と思いを巡らしていた最中に声をかけられ我にかえる。

『ん? 俺は、ええわ。冬やし汗かいてへんし、街中も歩いてへんしな』

『じゃ、そろそろベッドに入ろうっか』

 マヤはベッドに横になり、掛け布団をアゴまでかぶった。

 俺は思わず立ち上がる。

『え? こっちで寝るの? じゃあ俺はどこで? 姉の部屋? それともリビングのカーペットの上?』

『お客様にそんな失礼なことできないよ。もちろんここ。いっしょに寝ようよ』

 マヤが掛け布団をそっと開け、空いたスペースをポンポンと叩く。

『いやいやいやいや、まずいやろ! 若い男女が! 俺、リビングで寝るわ!』

『だめ! それだとベランダから変態が侵入してきた時、対処が遅れるじゃない。雷同くんが隣で寝ていたら変態も襲ってこないでしょ?』

 ううう……俺自身が変態と化し、あなたのことを襲ってしまいそうなんですけど……。

『わかりました。じゃ、僕、いっしょに寝ます』

『うん、冬だし、一緒に寝た方が暖かいと思うよ。省エネ、省エネ、節電しなきゃ、ね』

『はい、それはとてもいい心がけだと存じます』

『……急にこんなことになってごめんね。雷同くんはふだんどんな格好で寝ているの?』

『Tシャツにトランクスで寝ています』

『じゃあ脱いで入ってきたら』

 俺はベッドの縁に尻を乗せ、マヤに背中を向けた。

『あの、ちょっと、暗くしてもらえると脱ぎやすいんですけど』

 部屋の照明を豆球だけにしてもらい、俺はセーターと靴下、ジーンズを床に脱ぎ散らかした。

 そして布団に入り、マヤに背をむけた。

 マヤが両手を背中にあててくる。手のひらがめちゃくちゃ熱い。

 正直、俺はギンギンに勃起していた。

『男の人の背中って大きいね』

『皮膚面積的には変わらんと思うよ、俺、小柄やし』

『どうせならこっちむいてほしいな。そのほうが自然に見えるでしょ?』

『あ、不自然でしたか……そりゃすいませんでした』

 自然に見えるってなにが?

 俺は勃起をしていることがバレないように、ヒザを突き出し腰を引いたままの姿勢でくるりと反転した。

 鼻息が完全にあたる距離にある。シャンプーとボディソープの香りが生々しい。俺はバンジー台の上で跳びおりる勇気を持てずに、目をぎゅっとつぶり、震えていた。

 そしたら急に背中を押されたのだ。

 首の裏に熱い感触が走る。マヤの手に引き寄せられ、俺の唇は彼女のそれによって、塞がれていた。

 これが俺の人生における初キスだった。

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