2章 口の悪い妹
第18話 第一希望同士で成立したカップルなんてほとんどいません
夢の世界からの強制排出。
俺は自分の部屋にいた。
ふだん寝相のいい俺はベッドから落ちることなど、まず有り得ないのだが、その有り得ないことが起きていた。
右足だけがベッドの上に残っていて、それ以外の部分は床に落ちていた。
「だ、だいじょうぶですかぁ?」
天井を見つめる俺の視界にサキの顔が入ってきた。
「別に痛くはないんやけど、殴られたという感覚だけは残っているな……なんやろ、これ」
「それは雷同さんが人に殴られた経験があるからこそ味わえた感覚なんですよ。人は自分が経験したことは、だいたい夢の中でもリアルに味わうことができます」
「ということは経験していないことは?」
「寸前で目が覚めてしまったり、別のちゃちい感覚に置き換えられたりしちゃいますね」
つまり、いまだ女性との性交を経験したことのない俺は、夢の中で性交するのは無理。もしくはまがい物の感覚(手でした時と同じ感じ?)で代用させられるということだろう。
「どうでしたか? トラウマ劇場は? なにか勉強になりましたか?」
サキは爛々とした目で聞いてきた。
「……男女の機微は難しいということやね」
「他には? 他には?」
失敗は成功のもと、という言葉があるが、はたしてそうだろうか?
あまりに度重なる失敗は臆病や無謀といった余分な要素をくっつけていき、物事をより後退させている気もする。
「とりあえず、まだ夜中やし、もっぺん寝る!」
俺はふたたび布団に潜り込んだ。
目覚めてから、俺は外に出た。
部屋の中でサキといっしょにいるのは正直キツい。といって大学に出かけるのはもっとつらい。智子の夢を見たばかりなので、万が一にも顔をあわせたくない。
いま、必要としているのは癒しだ。そして癒しといえば、緑、公園だ。俺は大きな池が有名な公園に出かけにいくことにした。
その公園に行くには電車を一回乗り換えて三十分の距離。近所にある手近な児童公園とはわけが違う。
「たかが公園に行くのに電車まで乗るんですか? やめましょ! 公園なんて退屈ですぅ。カラオケにするといいですぅ!」
「お前、わざと言うてるやろ。嫌ならついてこんでもええねんぞ」
と言いつつ、俺はサキのぶんの切符も買わされてしまった。
平日の昼下がりとはいえ、電車の中はそこそこ混んでいた。二つ空いている席を見つけたが、ちょっとした肩の接触でサキのエナジードレインが発動し、俺や他の客に迷惑がおよぶことを考え、座るのはやめておいた。
この公園に来るのは五ヶ月ぶりだ。
俺は少し腐りかけた木製のベンチに座った。池の表面のゆらゆらを見ていると、なんだか心が落ち着く。
川といい、海といい、水槽の熱帯魚や、流れる雲。俺は穏やかな変化を眺めているのが好きなのかもしれない。
隣に座るサキは俺の好みに合わせているのかキャバ嬢の私服みたいなカッコをしている。
あぁ……どうせ、誰かとつきあうことになっても性交までできないのなら、俺はもう、このサキュバスでもいいかも。人であろうが魔物であろうがなんでもええわい。
そんな雑念が頭に混じった。
「たまには、こういう電子音のないところでボーッとするのもいいかもしれないですね。じゃ、癒されたことだし、昨夜の反省でもしましょっか!」
サキは無邪気に笑った。
「えー、マジでか? せっかく忘れかけていたのに……」
「なんのために精密に思い出したんですか! 鉄は熱いうちに打てって言いますぅ!」
サキは目を見開き、拳を握りしめ、鼻をフンフンと鳴らしている。
反省といわれても、一つ一つ反省点をあげていけばきりがない。
「反省……ねぇ。そもそも反省する点なんかあるのかねぇ」
俺は開き直り、ニヤニヤと笑った。
「不敵な笑い! どういうことですか?」
智子との夜に関して、ずっと引っかかっていた点が俺にはあった。
据え膳食わぬは男の恥、だなんて言うけれど、そもそも据え膳とは必ず食べなければならないものなのか?
女のサインをくみとって、男からモーションをかけるべし! そんな風潮は本当に正しいのだろうか?
そうだ。俺は別に智子のことを愛しているわけではない。
ラブにまではいたらず、ライクどまりなのだ。
そりゃあ、サークルの中でも可愛い部類であり、おまけに俺ともよくしゃべる。
だが、あの時点で一番好きだったのは湯月さんだ。
なのに一番好きでもない智子が気のある素振りを見せたからといって、それにのってしまうのは湯月さんにたいする裏切りであり、智子も傷つけているわけで……。
「湯月って、あのカルピスサワーを渡してくれた女ですか? 好きもなにも緊張してほとんど話していないし、雷同さんとは他人同然だったですぅ」
「うう、そこまで言わなくても……」
「ハッキリ言って、湯月さんには欲情していただけなんです。ムッチリ太股や大きめのおっぱいにクラクラしてメロメロになっていただけです、きっと」
「どうでもええけど、おっさんみたいな言葉使いになってるぞ、お前」
「だから雷同さんにはあの時点で智子ちゃんを選択するのがベストだったんです。それに童貞の雷同さんは思い違いをしています」
「童貞っていうな!」
「おたがいにラブ度マックスじゃなきゃ、つきあってはならない法はどこにもないんですよ! ためしにカップリングパーティにでも行ってみてください。第一希望同士で成立したカップルなんてほとんどいませんよ!」
「ゆ、夢のないことを言うなぁ……」
「雷同さんはロマンチックすぎるんですよ。正直、ヤりたくてしかたなかったんでしょう?」
サキが俺の顔をのぞきこみ、無邪気に笑う。
「え、あ、お、おう。でもどう持ち込んでええのかわからんし、怖くてたまらんかってん。補助輪なしの自転車にいきなり乗せられるようなもんでさ。心の準備もなんもあらへん」
あの夜の俺は正直、どぎまぎしていた。いきなりガンダムやエヴァンゲリヲンに乗せられる状況のほうがまだ、落ち着いていられたかもしれない。
「そんなものはノリです。ノリでパーッとやっちゃえばいいんですよ!」
俺は考えてから行動にうつすまでにタイムラグがあるタイプだ。そんな俺には重くのしかかるアドバイスだ。
サキの顔から目をそらすと、近くの砂場で鳩がヤッていた。あんな脳の小さな動物でもうまくやってきているというのに、俺ときたら……。
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