第17話 場所がカラオケだということをすっかり忘れてます

 一週目のときとはカラオケの選曲が微妙に違っていた。

 バタフライ・エフェクトという言葉があるが、俺が雷同のもとにおしかけたのは蝶の羽ばたきどころではなく影響をあたえているのだろう。そりゃあまぁ、選曲くらい変わるわ。

 そして智子が雷同のヒザに倒れ込んだ。

 十倍速で見ているのにも関わらず、二人ともなかなか動きがない。

「なぁ、悪魔もやっぱ失恋したりするん?」

 興味を失ってきた俺はサキのほうをむいた。

「ん、少なくとも私は失恋したことがないですけどねー。あ、あー!」

 サキは急に画面を指差した。

「なんやねん、いきなり大声出して」

 スクリーンを見て、俺は驚愕した。

 ソファに仰向けになっている智子に向かって、雷同が背中を丸めてキスをしているのだ。

「く、口か? それともおでこか?」

「く、唇です。ガッツリと唇をいただいちゃってますぅ!」

「う、うおおおお! ご、ごちそうさまぁ!」

 なんだか嬉しいと同時に淋しい気分でもある。自分がなしえなかった覇業を息子がなしとげてしまったような、そんな嬉しさと淋しさ。

「なにあれ? 積極的に動いたじゃん。自分からキスしたやんけ。俺のくせに!」

「きっと、ホテルに行けってさんざん煽ったから、溜まっちゃったんですぅ!」

「身も蓋もない言い方すんなや……いや、でも嬉しい。この流れやと、もしかして逆転もあり得るなぁ!」

 逆転って具体的になんだ?

 性行為?

「いっちゃうのか? そしてその場合はモザイクまでかかっちゃうのか?」

「雷同さん、場所がカラオケだということをすっかり忘れてます」

 キスが終わる。

 雷同が顔を上げて一段落つく。さぁ、次の一手はなんだ? たたみかけるんだ!

 雷同はマイクを手にとり、レミオロメンを歌い始め……あれれ?

 歌うの? そこで歌うのって、いいの?

 それは正しい選択なのかい?

 他に、なんか、こう……子供のときの思い出話をするとか、将来の夢を語るとか、他にいろいろあるんでないの?

 しかも歌は甘く切ない歌でもなく、ド下手だった。

 普段は過剰なまでに巻き舌で歌うのだが、緊張しているせいか、思いっきり平坦な歌い方だった。

「歌にも棒読みってあるんですねぇ」

 サキがしみじみとつぶやく。

 この歌のカロリー消費量が十二キロカロリー。

 十二キロカロリーあれば、どれだけ行動できるのかはわからないが、有意義な使い方だったとは思えない。

 そして雷同はマイクを起き、ソファに身を沈めた。

 彼のヒザには今だ智子の頭が置かれている。

 なのに彼は、新撰組局長のように仏頂面で腕を組んでいる。

「どうしたんですか? 次のステップに進むのをあきらめたのですか?」とサキ。

「違う。雷同はくじけてしまったわけではない。怖じ気づいてしまったわけでもない。彼はいま……戦っているんだ」

 ときおり雷同の顔は苦悶に歪んでいた。

 手を出すべきか出さざるべきか、内なる自分と戦っているのであろう。

 傍目には腕組みをしてソファに沈んでいるようにしか見えないが、本人はいたって苦しい戦いをしているのだと。

 雷同はなんの行動も起こせずに一週目と同じ軌道にのってしまっている。

「いいんですか。このままで。この辺りで発破をかけますか?」

 サキが心配そうに俺の顔を覗き込む。

「……いや、いい。他人に頑張れと言うことはできる。けど、絶対にうまくいくという確約を与えることなんてできないよ」

「……他人でなく、本人ですけどね」

「だったら、なおさらやわ。俺はもう背中を押した。あとはあいつが動くか動かないかだ」

 男前に見える角度でサキに微笑み、俺は親指を立てた。

 俺は少し期待していた。

 が、あいつは微動だもせず、そのまま始発の時間が来てしまった。

 外に出た二人は手をつなぐこともなく、まっすぐに駅に向かう。

『ほな、俺、あっちやから』

 完全に終わりにつながる流れだ。

 雷同は尻ポケットからICカードを出した。その瞬間に智子が雷同を呼び止めた。

『どうしてさっきはキスをしたんですか?』

 周囲の人間が振り向くほどの大声だった。なんか映画かドラマみたい。

 雷同が立ち止まる。この映像が始まって、一番シリアスな表情になっていた。

 正解はただ一つ。答えはきっと小学生男子にだってわかるはず。

 雷同のこわばっていた顔の筋肉がふっとゆるみ、微笑しているような穏やかな表情になった。

『やだなぁ、そ、そんなん! キスなんて、挨拶みたいなもんやん? そんな、たいした、意味なんて、別に!』

 終わった……。

 逃げるように改札内に吸い込まれていく雷同。

 悲しいような淋しいような怒っているような、微妙な表情の智子。


 そして、終劇の二文字。


「ちょいとスクリーンの中に入れてくれへんかな」

「どうして? もう詰んでますよ。これ以上続けても、もう……」

「ええから、早く!」

「は、はい!」


 俺は駅のホームに立っていた。

 もうじき雷同が階段を上ってくるはず。

 そのときに殴ってやろうかと決めていた。

 雷同の顔が見えた。

 智子と別れたときとは違い、雷同の顔は半泣きだった。

 いや、とても殴ることなんてできない。よく頑張ったと抱きしめてやらなければならない。今、それができるのは俺だけだ。

 階段を上りきった雷同が俺の姿に気づく。

 俺は腕を広げて、ゆっくりと彼に歩み寄った。

 雷同のほうからも、けっこうな速度で近づいて……あれ、猛ダッシュしている?

「よく頑張ったよ。お前はなにも恥じることはな……ぶべ!」

 なぜだか俺は思いっきり殴られた。

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