第32話 甲子園常連校の補欠よりも、弱小高校のレギュラー

 俺にとってスキーは二回目。中学の修学旅行以来だった。

 スピードが出る滑り方はできないものの、転倒することはなかったので、不様ではなかった。

 サークル内のスキー実力にはかなりの格差がついていた。実力ごとに六グループに別れたのだが、俺はその中でも最底辺のグループに振り分けられた。

 だが、それによって惨めな思いをしたわけではない。むしろその逆。俺以外の人間は完全に未経験者だけだったので、そこで俺はイニシアチブをとることができたのである。

 滑りたがる未経験者を前に、骨折してからでは遅いと一喝をし、事前に予習していた安全な転び方をレクチュアする。

 俺の話に真剣に耳をかたむける未経験者たち。雑魚たち。

 このグループにふりわけられて本当によかった。一つ上のグループなら俺は完全に教わる立場だ。甲子園常連校の補欠よりも、弱小高校のレギュラー! 俺はいま、素直な意味で輝いている!

『日本人女性特有の内股を思い出せ! 親指の付け根あたりに力を入れ、スピードを落とすんだ。いいか! スピードとスリルを求めるのは勇気じゃない! ただの蛮勇だ! 長生きしたければ、けして俺の前に飛び出すな! 俺の背中を見ていればいい! 俺に黙って、ついてこい!』

『イエス、サー! キャプテン!』

 部下たちの声がそろう。たまにはこういう体育会系のノリというか、マッチョイズムもいいものだな。

 電車ごっこ、もしくはムカデ競走ばりの整列でゆっくり坂を下っていく俺たち。奇妙な一体感があり、充実していた。三日天下どころか、おそらくは一日天下。翌日になれば、俺以上に上達するやつも出てくるのだろう。噛みしめよう、今日の幸せを……。

 と、俺たちの前に一迅の風がすりぬけた。紫色の疾風は『じょじょに板を広げてスピードを緩めてしまいに止まる』という俺たちの停止とは異なり、急ブレーキをかけ俺たちを待った。

『えっと、どうしたのかな? ぼ、ぼくたちに何か用でもあるのかい?』

 パープルのウェアに身を包んだ上級者、マヤにたいして俺はおそるおそる声をかけた。

『うん、初心者ばかりでかためるのって、なんか身勝手な気がして。経験者も一人ぐらいいた方がいいと思うのね。今日一日、いっしょに滑ってあげるから疑問があったら、なんでも聞いてね。これぐらいしか取り柄がないから張り切って答えちゃう!』

 一日天下どころか、俺の天下はふいに現れたマヤによって二時間ももたなかった。

『じょじょにスピードに慣れてきたら、ヒザの力をちょっとぬいてみよっか。そう、なるべく自然体で思い切りよく! うん、そう、それ! その調子!』

 俺以外の面子はマヤのアドバイスを素直に聞き、上達していった。この女、早くどっかに行ったらええのに……そんな敵意を抱いていた俺だけが上達しなかった。

『雷同さんも今日が初めてだっけ? 少しのあいだ、足をそろえてみよっか? そうしないと一向に上手く滑れるようにならないよ?』

 子供をなだめるかのような、穏やかな口調ではあったが、バスの中で音楽を聞いてきた女と俺の力関係の逆転。認めたくはないものだよ。

『仮に上手く滑れるようになったとしよう。それで本当に幸せになれるのだろうか?

 かつて猿人たちはプロメテウスから炎の扱い方を教わり、人間へと進化した。だが、その結果たるやどうだ? おごった人間たちは自らを殺しあうどころか、地球規模の環境破壊まで……』

『はいはい、御託はいいから、滑りながら慣れなさい』

『あ、おい、やめろ! 急に背中を押すな! うお!』

 なんてこったい。この雷同サマがリアクション芸人ばりにマヤに翻弄されている。だけどみんな本当に楽しそうだ。マヤは気どらない美人なので同性からも好かれている。

 ふ……みんなが楽しんでいるのなら、しかたあるまい。ひとつここは雷同様がピエロになって、みなの衆を楽しませてやっても……。

『ああ、いたいた。こんなところにいたんだ。マヤちゃーん』

 突如、現れたのは上級者グループの男。俺と同じく二回生の遠山だった。

 遠山は俺たちの顔をさっと一瞥すると、まるでそこに誰もいなかったかのようにマヤの方をむいた。

『じゃ、上手い者は上手い者同士で滑りましょっか!』

 遠山は半分ギャグのニュアンスで言ったが、そこには半分のイヤミも混ざっていた。

 マヤは困った表情で俺の顔を見た。

『あぁ、えーよ、行っておいで。行っておいで』

 もともとスキーのレベルが違う。まるで犬でも追い払うように俺はしっしと手を振った。

 マヤが去った後、俺は非難の目にさらされた。男子からも、女子からも。

 もはや誰も俺のことをキャプテンとは呼ばなかった。低いエリアで俺たちは滑り続けた。のろいスピードでこけたり笑ったりしながら。それはそれで正しいスキーの楽しみ方のような気がした。

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