第15話 ほんまに入れたいのは傘じゃなくて……

 雷同が飲んでいたビルの前。スクリーンを見ているわけではなく、その風景の中に俺は存在していた。

 ただ、そこには強烈な違和感があった。

 数多くの通行人がまるで精巧な蝋人形のようにその場で静止しているのだ。大通りを流れているはずの車も死んだように静止している。赤信号が原因などではない。あたり一面がまるで地下深くに作った防音スタジオのように、まったくの無音なのだ。

「今、時間とまってますからね」

 隣に突然、サキが出現した。

「時間がとまっている?」

 よく目をこらすと、空中には雨の粒が静止している。サキが言ったように、俺たち以外の時間は完全に静止しているようだ。

「じゃ、本人に干渉してきてくださいです」

 サキに背中を押され、ビルの中に入ると、エレベーターの前に雷同がいた。蝋人形化した学生たちに囲まれオタオタとしている。

「雷同くーん!」

 俺はおもむろに声をかけた。

「ひ、ひいっ! 誰なんですか! って、俺? ええっ?」

 怯えまくった雷同は後ずさりをし、壁にぶつかり、あげくにしゃがみ込んでしまった。

「な、なに? 俺、死ぬん? ド、ドッゲルベンハー?」

 ドッペルゲンガー……言えてないし。

「そう慌てなさんな。俺は十ヶ月後の未来からやってきたお前。ちょっと忠告することがあってな。お前に会いにきたんや。」

「え、あ、それはわざわざ遠いところからありがとうございます。なんのおもてなしも土産も用意してませんが……」

 自分自身を相手にガチガチに緊張していやがる。まわりの人間には偉そうな態度をとっているくせに、俺って奴はこんなにダサかったのか。

「まぁ、よく聞け。今、ビルの外は小雨が降っている。そして、そこの女が傘に入れてとすり寄ってくるけど、相手にするんじゃないぞ!」

「え? そこを改訂するんですか? なんにも起きないですよ?」

 サキが慌てふためく。

「ええねん、この夜は初心者の俺には手に負えへんねん。今の俺ならともかく、こいつに対応できるわけないねんもん」

「ちょとちょと、どういうことですか? 感じの悪い」

 ヘタレな雷同も少しムッとしている。

「あ、なんか凄いものを見つけちゃいました」

 サキが智子のバッグから折り畳み傘を発見した。

「うお! マジでか! なんて腹黒い! ええか、この女は傘を持っているのに傘に入れてと言うタヌキ女や。化かされたらあかんぞ。バカにされてもあかん。ええな、絶対に傘に入れるなよ! どーん!」

 笑うせえるすマンばりに、眼前に人差し指を突きつけ、俺は念を押した。


 劇場にもどった俺とサキは、雷同がどう出るのか見守る。

『傘忘れちゃったんです。ね、入れてくださいよ』

 智子が雷同に媚びた声でせまる。

 俺が干渉した影響だろう。雷同は蝋人形のようにピタリと静止して思索している。

「ほんまに入れたいのは傘じゃなくてチンコやけどな」

 俺はぼそりとつぶやいた。

「わ、なんですか、それ。どういう意味なんですか?」とサキ。

「いや、気にせんといて。ビデオ見てるときって無意識にしょうもないこと言うてまわへん?」

「ずいぶん下劣な下ネタに悪魔の私も軽く引きました」

「一人暮らしを続けていると、ついつい隣に人がいるのを忘れてしまうねん。あ! 雷同のやつ、動き出した!」

 雷同は露骨にうっとうしそうな顔で、ぶっきらぼうに言い放った。

『嫌やわ。こんなせまい傘にお前入れたら、俺まで少し濡れてまうやんけ! 駅まで近いんやし、走ったらええやん』

 そう言って、まるで鳩でも追い払うように、バサッバサッと傘を広げたり閉じたりして威嚇した。

「そう、それでこそ俺! そうこなくっちゃ!」

「うぐぅ……いいんですか、これで?」

 雷同は小雨降りしきる歩道に出た。が、智子は雷同の傘に強引に入ってきた。

『もう、可愛い後輩が濡れて風邪をひいたら後悔しますよー』

 いけ、雷同! 蹴飛ばしたれ!

『……風邪をひいたら、ちょっと困るわなぁ』

 そう言って、雷同はデレデレしながら智子を傘に入れた。仲良く街に溶け込んでいく二人。さっきとまったく同じ展開になってしまった。

「あれれれれ? いいんですか?」

「俺が素直に未来人の言うことを聞くタマじゃないのを失念していた。とにかく天の邪鬼なんや、あの男は……」

 それにあいつは智子のバッグに傘が入っているのを見ている。異性から好意をよせられ、まんざらでもないのだろう。

「どうします? もう一度、今のところからやり直します?」

「いや、こうなったらグッドエンディングを目指してやる。傘だけじゃなく、チンコも入れたるわい」

「そのフレーズ、ちょっと気にいったんですか? で、どこからやり直します?」

「最大のあやまち、そんなん決まっているやんけ。それは雨宿りの方法や」

 俺はふたたび目を閉じて、あのシーンを思い出した。

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