第8話 上級生はあまりいない、が口説き文句。

 知り合いたちに顔をあわせないように、駅の反対側にある小さな児童公園にむかった。

 自動販売機でお茶を二本買い、ベンチに座る。

 滑り台では小学校低学年くらいの姉弟が遊んでいた。

 のどかな昼下がりの風景だ。

 俺はペットボトルの十六茶を一気に半分ほど飲み干す。

 大学に行っただけなのに、ひどく疲れてしまった。

 サキが俺の隣に座る。うっかり肩でも触れて精気を吸われないように、俺はサキとのあいだにバッグを置いた。

「さっきの部室での雷同さんのキャラ。あれはいったいなんだったんですか? 鬼神のように攻撃的だったじゃないですか?」

 あぁ……。

 まずはそこから聞くのか……。

 大学入学からの今までの行動が俺の童貞構築に関与している。そう思うと、避けて通れない話だ。


 地方から上京してきた学生には二つの選択があった。

 その一、高校まで慣れ親しんできた故郷の言葉、すなわち方言を使い続ける勇気。

 その二、慣れ親しんだ方言を封印し、不慣れな標準語を使い、みなに溶け込む努力をする勇気。

 どちらにしても勇気が必要だが(環境が変わる時、例外なく勇気は必要だ)俺は方言を使い続ける選択をした。

 青森や沖縄などのマニアックな方言であれば標準語を使うことを余儀なくされただろう。わからない言葉があまりに多すぎる。だが、俺が使っているのは方言の中でもメジャーな関西弁だ。たとえ東京に暮らしていても、テレビで関西弁を聞かない日はない。

 普通にしゃべるだけで個性が滲み出るのなら、関西弁を使わない手はないぜ。

 まわりの同級生たちに俺の関西弁は受け入れられた。これで身長が一八〇以上あろうものなら、周囲に威圧感を与えただろうが、一六〇そこそこの小柄な体格と童顔がうまく作用したのだろう。

 日常会話におけるツッコミは珍しがられ、面白がられた。思ったことは遠慮なく口に出し、パンチの効いた発言も許されるようになった。

 俺は悪ガキキャラとして容認されたのだ。

 しだいに俺は、どこまで失礼な態度をとると相手がキレるのか、そのボーダーラインを模索するようになった。

 場の空気と人を観察し、自分の中でOKが出れば、軽く頭をしばくことなど、全然平気。

 いつしか俺は女子にたいしても気軽に飛び蹴りをするような化け物に成長していたのだ。

「え、えーっ! 女子にたいして飛び蹴りするのですかぁ!」

 サキがせきこんだ。おおよそ、お茶が気管にでも入ったのだろう。

「もちろん、軽く当てる程度やけどな。ジャンプする寸前にいったん勢いを殺し、ほぼ垂直にジャンプし、スネを軽く接触させるレベルや」

「そんな失礼なことをして怒られないですか?」

「むろん、人を選んで飛び蹴りをしている。彼氏がいる子やプライドが高そうな子にはけしてやらへん。そのかわり、黄色い声で笑っているような子にはなんぼでも飛び蹴りするで」

「なっ、なにげにセコいというか、狡猾ですぅ」

「それは褒め言葉としてとらえておくよ」

 浮いた思い出がまったくない男子校の三年間に比べて、女子は普通にいるし、多少のわがままが許される特異なポジションも手に入れた。が、俺をとりまく人間の数は男女あわせて十人程度と少なく、恋愛関係には発展しなかった。

「クリスマス前やバレンタインに告白されたりしなかったんですか?」

「告白は……されなかった。が、チョコレートならもらったことがあるわ。本命ではなくギリギリチョコってとこやけどな」

「ギリギリチョコ?」

「本命か義理チョコか際どいライン、ギリギリ義理チョコのラインをそう呼んでるねん」

「そんな際どいチョコをもらって、そこからモーションをかけなかったんですか?」

 そう、そこがまさに俺の弱点だった。

 高校三年間、母親以外の異性と会話をする機会にめぐまれなかった俺は、異性の細かい心情を読むのが非常に苦手だったのだ。

 そんな俺に転機が来たのは二回生の春だった。

 友人の秋草という男が、サークルを立ち上げることを決意したのだ。夏はテニスをしたり、冬はスキーをしたり、遊ぶことならなんでもやるオールラウンド系のサークルだ。

 秋草は一回生のときに、その手のサークルに入っていたが、一回生は荷物運びやパシリをやらされるばかりで、可愛い女子とつきあえるのは先輩たちだった。

 その時の悔しさもあったのだろう。

 それと、彼の親戚が若くして映像系の会社を立ち上げたことに感化されたらしい。

 幸せは歩いてこないというが、大学時代がまさにそれ。四年間なんてあっというま、いつ、なにが起きてもわからない世の中だからこそ、めいっぱい遊んでやるんだ。

 そう高らかに宣言した秋草は輝いているように見えてしまったが、冷静に考えると様々な不安から逃げているだけのようにもとれた。

 ちなみにサークル名は『オルたなっ!』だ。

 四コマ漫画が原作の深夜アニメみたいなので反対したが、他にいい案もなかったので、それに決定してしまった。

 秋草は親の仇のように、ひたすらにビラを配りまくり、熱心に勧誘をしまくった。根津や俺も秋草に協力した。下級生ばかり狙ったとはいえ、知らない人間に声をかけるのは初めてのことで新鮮な体験だった。

 なにかに真剣に取り組んだのは初めてのことだった。もしかすると大学受験以上に頑張ったかもしれない。

 勧誘時に多用した口説き文句『上級生はあまりいない』が思いのほか、効いたのかサークルの説明会にはおよそ百人以上集まってしまった。

 百人ほどの生徒を前に俺たちは緊張しまくった。生徒百人、俺も秋草も根津もプレッシャーに弱く、サークルに関する説明はぐだぐだになってしまった。

 はっきり言って、説明会は失敗だった。

 それでも、ヒマ人、冷やかし、はたまた本当に入りたいサークルが見つかるまでのつなぎとしてなのか、四十人ほどの新入生が『オルたなっ!』に入会してくれた。

 まずまずの結果といえよう。

「その新入生の中にいたのが、さっきのマヤと智子って人なんですね」

「そう話を急かすなや。格別に仲良くなったのにはきっかけがあるねん」

 四十人以上入ったとはいえ、飲み会に一回参加しただけで来なくなる幽霊メンバーも多数出てきた。

 秋草は思った。男女比率六対四の状況で男が減るのはかまわない。去る者追わず。が、女子が来なくなるのは困る。

 そして俺が行動を起こすことになった。

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