第2話 コンビニで五百円くらいで売っている図鑑

 俺はゲレンデにいる。

 白銀の雪原に黄金色の日光がふりそそぐ。その中にピンクや紫、オレンジなどの色鮮やかなスキーウェアが見える。まるで白いケーキに飾り付けられた菓子みたいだ。

 手招きをして、さっと滑り降りるマヤの姿。

 俺はその後ろを、まるでボートでも漕ぐように不器用に両手を動かしている。

 が、ちっとも彼女の背中に追いつくことができない。

 いっそ、手の届かないところに消え去ってくれればと思うのだが、視界の端、こんぺいとうくらいの大きさになったところで滑るのをやめてくれる。俺は汗だくで追いかけるが、やっとその背中に手が届きそうになると、閃光のように俺の前から離れていくのだ。

 そんな追いかけっこを繰り返しているうちに、牧歌的だった風景が一変している。いつのまにか、シャレにならないほどの吹雪がすごんでいる。

 次のシーン、俺とマヤは山小屋にいた。

 暖炉に灯をともそうとするも薪がしけっている。俺たちは寒さに震えている。

 マヤがニット帽を脱ぎ捨てた。濡れた茶色の長髪。腫れぼったい唇に切れ長でシャープな目。なんだかエロい。

「あー、吹雪やみそうにないなー」

 外から聞こえる風の音は強くなるばかりだ。

「あのさ」

 二人同時に声をあげる。

「あ、雷同くんからどうぞ」

「いやいや、先に言うて。レディ・ファーストってことで」

「あ……じゃあ言うね」

 マヤは困ったように笑う。

「このままだと、凍えて死んじゃうよ。だからさ、人肌で暖めあわない?」

 人肌……だと? 日常会話では滅多に耳にしないフレーズだ。

「もたもたしてると体温が下がっちゃうよ」

 俺の考える間もなく、次の瞬間にマヤは下着姿になっていた。

 ブラジャー、パンティ、ともにドギツい真紅。ザ・勝負下着。

 そして俺をベッドに押し倒すと服を脱がしにかかってくる。

 されるがままに一枚、また一枚とひんむかれ、生まれたままの姿に近づいていく俺。

 なんなんだ? この逆レイプ状態は?

 男として、こんな情けな……喜ばしい状況はない。

 熱い感触が俺の唇を包んだ。奪われてしまった唇。もはや体温の低下とか、ぜんぜん関係ないじゃん。

 ついにマヤの手が俺のトランクスにのびる。

 おかしい。

 雪山で遭難したあたりからリアリティが欠けている。

 なにがおかしいのか、よく考えてみるんだ……。

 さっきのキスの感触、あれはどう考えても本物のキスだった。

 夢では、ない……のか? 思い出せ。どうしてこうなっているのか、経緯をよく思い出すんだ。

 昨夜は根津と酒を飲んでいて……それで。

 なんてこった!

「お前、マヤちゃんじゃないな! 俺の命をつけ狙うアサシンだろ!」

 俺はマヤを思いっきり突き倒した。


 ゴン!


 次の瞬間、低くて鈍い音が響いた。

 いつもの布団の暖かくて柔らかい感触。山小屋ではなく、いつもの俺の部屋だ。

「夢やったんかい。なんか損した気分やわ、くそ」

 アサシンでなかったのなら、たとえ夢の中だろうが、あのまま気持ちいいことを続けておけばよかった。

 夢の中での経緯は現実の肉体にも影響を与えるらしい。

 スリリングな経験をしたせいか、俺は寝汗をびっしょりとかいていた。

 パジャマでも着替えるか……枕元にあるリモコンで天井の蛍光灯をつけてみる。

「あたたたた……ア、アサシンじゃないのにぃ……」

 ベッドの下には見知らぬ女子がうずくまりながら尻をさすっていた。あどけない顔立ちをしていて、女子高生と言われても驚かないくらいだ。その女子は異様な服装をしていた。紫色のスクール水着らしき物に身を包み、つま先の尖ったロングブーツを履いていた。なにより特筆すべきは背中についたコウモリのような羽だ。

「んと……だ、誰なん? コスプレイヤーさん?」

「ふぐう。ショックですぅ。コスプレじゃないですぅ。これがわたしの制服的な物なのにぃ」

 目をさましたら見知らぬ女子がいた。もっと不審がってもいいのかもしれないが、目の前の女子の可愛らしい童顔は警戒心をほどけさせた。

「制服? もしかしてデリバリー・ヘルスの方?」

 もしかしたら根津のやつが、落ち込んでいる俺を見て、気を効かせてデリヘルでも呼んでくれたのだろうか? 俺、ちゃんと鍵を閉めてなかったのか? 酔っぱらっていたから、そこのところが曖昧だ。

「しっ! 失礼な! うら若き乙女になんてことを言うんですか! わたしの正体はですね!」

「私の正体は?」

「わたしの正体は……えっと、あのですね、そんな大それたものでもないんですけど……」

 謎の少女は急にモジモジし始めた。

「今、夜中の二時なんで。手短に説明をすませてほしいんやけど……」

「正体を明かしたからには、後々で消さなきゃならないハメになるかもですけどぅ。それでも知りたいですか? 後悔しないって約束できますか?」

 裏社会の人間のような恐ろしいことを言っているが、見た目がロリなのでまるで凄みを感じさせない。

「はいはい、後悔せえへん。もし後悔したら針千本飲むよ」

 俺は手をふって適当にあしらう。

「言いましたね。聞いたですよ。聞いたです。じゃあいきますよ、言いますよ。じゃ、じゃーん! なんと私の正体は、悪魔サキュバスなのですぅ!」

「……あ、お、お、おう。あ……サキュバス。なるほど、どうりで。そうかもしれないなぁって、ちょっとは予想していたけど……うん、お、おう……」

「ふぐう! な、なんなんですか! その薄いリアクションは! 知ってるフリしてるんじゃないですか? 教えて下さい! サキュバスとはいったいどんな悪魔ですか!」

「……瀬戸内海の船乗りを襲ったり、とか?」

「ちくしょう! これを読むのですぅ!」

 自称サキュバスが右の羽を揺さぶると、手のひらサイズの本が落ちてきた。あの羽、バッグ代わりになっているのか。

「これの三十二ページを開くのですぅ!」

 渡された本には『世界の魔物・妖怪辞典』とある。コンビニで五百円くらいで売っていそうな安い紙質だ。

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