第11話 基本的に彼はスロースターター
どこかの居酒屋だろうか。料理の小皿やビールが並べられたテーブル、中年男の乾杯の音頭、鍋をおいたコンロに火をつける若いカップル、左胸に大きな名札をつけた金髪の女店員が忙しそうにかけまわっている。
お座敷席に大学生らしき若者の一団がいた。二十人ぐらいいるだろうか。店員がビール瓶と空のグラスを並べている。なぜだろう、この光景、どこか概視感がある。
女子からビールをつがれる一人の男子が大写しにされる。吊り上がった鋭い目、ジャック・ニコルソンばりに薄くて残忍そうな唇。どこかで見たことがある。
「って、こいつ、俺やんけ! え! えー!」
「駄目ですよ、雷同さん。劇場内では静かにしてください!」
他に誰も客がいないというのに、サキは慌てて人差し指を立てた。
「なにこれ? 俺の映画を見せられるの? こんなん面白くないやろ?」
「そんなことないですぅ。みんな人生という物語の中では、自分しか主人公はいないんですぅ」
サキが耳元で囁き、笑う。あきらかに馬鹿にされている。
「う、うわー。こんなかたちで自分の姿を見せられるとは思わんかったわ」
自分が動いている姿を見ることはあまりないので不思議な感じだ。しかも撮られていることを意識していない完全に素の姿。
スクリーンの中では大学生たちが意味もなく大声を出し、馬鹿騒ぎをしているというのに、雷同はおとなしい。お通しに出されたヒジキを一本一本つまんで、ゆっくりと口に運んでいる。
「ど、どうしたんですか? このあいだの部室の大立ち回りが嘘みたいですぅ。まるで借りてきた猫のようにおとなしくしてるじゃないですか」
「まぁ、基本的に彼はスロースターターやからな。まだエンジンがかかってへんのやろな」
自分のことを『彼』だなんて言ってしまった。自分の出ている映画やドラマを見ている俳優もこんな気持ちなのだろうか。過去に演じた一つの役は『自分』ではなく、第三者になっているのだろう。
頑張れ、雷同! もっと積極的にしゃべれ!
届くはずのない念を送ってみたりする。
『雷同さーん、グラス減ってますねー。なにか頼みますか?』
雷同の二つ右隣の女子が声をかけてくれた。金に近い茶髪の派手な一回生。たしか名前は湯月さん、だっけか。
なつかしい。今はもう、サークルに顔をだしていない子だ。
『じゃあ、カルピスサワーで』
しばらくしてドリンクが運ばれる。
『雷同さーん、きましたよー』
カルピスサワーを持った湯月さんの左手が雷同にむかって伸びる。
『あ、お、おう』
うけとる雷同はグラスではなく、湯月さんの豊満な胸を見ていた。
それから雷同は携帯電話をいじるフリをしつつ、ミニスカから出た湯月さんの太股をチラチラと見やっている。
「雷同さんはずっとあの女子のことを見ていますね」
「……ん? そうでもないやろ?」
「わかりました! 雷同さんは、ああいうキャバクラで働いているようなギャルっぽい子が好きなんですね」
「違う違う違う! 人間のDNAってさ。自分と異なるタイプのDNAを求めるものじゃん? 人類が滅亡をしないように、あらゆる状況に対応できるように、生物としての多様性を求めてきたわけ。だから俺が言いたいのはさ。黒髪の日本人が、まるで白人のような金髪の女性に惹かれるのはDNAレベルでいっても当然のことで……」
「ようするに、ケバい女に欲情しているんですぅ!」
く! 身も蓋もない言い方を!
だが、言い返せないものだから困る。
俺は見た目が派手な女が大好きだった。
着け睫毛だろうが、アイプチだろうが、ウィッグだろうが、人工的な要素がいくらあっても構わない。とにかく見た目がゴージャスな女が大好きだった。
雷同は目の前のテーブルに視線を戻すと、ケチャップをカニクリームコロッケに箸でまんべんなく伸ばし始めた。
ふと隣のサキを見やると手のひらを口に当てていた。アクビでもしているのだろう。
自分で思うのもなんだが、あまりにしゃべらない主人公にたいして腹がたってきた。
『ねぇねぇ、雷同さんはどう思います? 男女間の友情って成り立つと思います?』
出た。左隣に座っていた、少し不細工な女子が雷同に質問をぶつけてきた。
『こればかりは俺の経験上、簡単には答えられへんなぁ』
さぞ、恋愛をわかっているかのように雷同はもったいぶって笑う。
『まぁ、人それぞれだから、一概には言えへんと思うよ』
ちょっと男前の表情を作り、雷同はグラスの氷をカランと鳴らした。
「なにも質問に答えていないくせに、得意げなドヤ顔! ムカつきますぅ!」
サキが舌打ちをする。
「得意げではないよ。たぶん内心、あいつはドキドキしているはず。あの時点での雷同は、彼女はおろかメールをやり取りする女友達も一人としておらん状態や。男女間の友情なんて、酷な話題やと思うで」
「童貞がクソ生意気に恋や愛を語るなです」
「童貞って言うなや! それを治すために今頑張ってるんやないかい!」
雷同は左隣の女になおもしつこく話しかけられている。
『あぁ、そうなん? じゃあ、その男友達が気になるんなら、ひとまず彼氏と別れちゃったら?』
雷同は興味なさげに無責任なコメントをし、まわりの席を見渡している。
すでに何名か帰っているのか、ところどころに穴が空いている。
『ちょっちトイレ』
雷同は席を立った。その背中をカメラが追う。
「あ、逃げやがったです」
「逃げたのではない。仕切り直しと言え」
小便器の前に立つ雷同がジッパーをおろす。と、その部分にはモザイクがかけられている。
「ちゃんと隠してくれてるんや……ってか、こんな生理現象までいちいち映像化せんといてくれよ」
雷同の隣にスーツを着た熟年の男が立った。渡辺謙みたいな渋めの熟年だ。
男は音を立ててベルトを外すと、おもむろにスラックスをブリーフごとヒザ裏までおろし放尿し始めた。
それを見て、ギョッとする雷同の顔が大写しになっている。
渋めの熟年が尻丸出しで放尿する映像は、それはそれで面白いのだが、今後なにかの伏線になるとはとても思えない。
「あー、もう! たしかにこんなことあった。今、思い出したわ。でも省略してくれよ。どれだけ無駄な映像だらけやねん!」
サキュバスからの返事はない。
「おい」
肩を激しく揺さぶってみる。
「……ん」
この子ったら寝ていたみたい。
「すいません。あまりに退屈な主人公なので寝てしまいました」
「さりげなく俺の悪口を言うな。で、夢の中やのに寝るな。ややこしいから」
「なかなかの大作なので、途中休憩は不可欠なのですぅ」
「大作ってこれ、何時間くらいあるん?」
「ほぼノーカットなので十時間くらいだと思います」
「そんなに見てられるかよ!」
「ロード・オブ・ザ・リング三部作も同じくらいありますぅ」
「話のスケールが違うわ。ほぼカメラをまわしっぱなしやないか、これ。それに十時間って俺の睡眠時間よりも長いやんけ!」
「大丈夫です。夢と現実では時間の比率が違います。十時間以上もの体験も現実世界では十分足らずにしかなりません」
「あ、そう? ほな我慢して見るわ」
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