第34話 実家のおかんが巨大なハート形チョコを送ってくる

「なるほど、それでマヤさんと距離をおいたんですか……」

 ボートに完全に寝そべったサキがつぶやく。天上は闇にそまり、散りばめた宝石が輝いているが、俺にはなにひとつ星座がわからない。

「いや、ここで終わっていたら傷も浅いんやけど、この話にはまだ続きがあるねん。時間大丈夫なん?」

「はい! 現実ではまだ二十七秒しか経ってません」

「……なんだか、気が遠くなるスケールやなぁ」

 オールを手放し、サキと頭を揃えて、仰向けに寝そべった。都会では有り得ない大量の星を見ていると、目の奥の方がチリリと傷んだ。俺は目を閉じ、続きを話し始める。


 スキーから帰ってきて一週間、俺の脳裏からはマヤのことが離れなかった。

 タイプの女子ではないはずなのに、ものすごくおしいことをしたような気が!

 澱んだ気分を発散させるべく、二十本ものアダルトビデオを七泊八日レンタルしたが、全部見ないと損した気分になるので、ひたすら二倍速や早送りで流すばかりで、ちっとも気分は晴れなかった。

 それから一週間、大学でマヤとすれ違うこともなかった。その代わりといってはなんだが、二階の男子トイレ前で真田とバッタリ出会った。

『お前、バレンタインチョコもらったけ?』

 俺の第一声がそれだった。

『いやぁ、今年もゼロです。完封試合ですよ。義理チョコももらわないなんて、逆に清々しい気分ですよ。で、雷同さんは?』

 ニヤニヤ笑う真田の顔が、なんだか真正面から見たウサギの顔みたいで、グロテスクだった。

『俺も今年はゼロやな。いや、一個だけあった。実家のおかんが巨大なハート形チョコを送ってきて、逆に気分がめげたわ』

『あれ? マヤさんからもらわなかったんですか? スキーの時、あんなにいい雰囲気だったじゃないですか! 俺はてっきり……』

『アホか、どうせからかわれてただけやろ』

『あ、そっか。すいません、忘れてました。彼女、入院してたんだった!』

 入院? 初耳やぞ!

 真田が言うには、マヤは盲腸で入院したらしい。誰かが俺に伝えているとばかり思って、誰も伝えてくれなかったのだろう。噂好きの田舎社会であれば、マヤの入院は俺の耳に速攻で入るのだろうが、都市の人間関係のなんて希薄なことよ。

 真田は手の平サイズのメモ帳になにか書き込み、破って俺に差し出した。

『じゃ、これ、彼女の病院名と病室です。身体が弱っている時、女はよろめきやすいって言います』

『あ、あほか、ボケ! あんな女に興味なんかないわ! 俺は絶対行かへんからな!』

『そんなこと言いながら、ちゃっかりポケットにしまってるじゃないですかー!』

『う、うるさい! ガムを包んで捨てるのにちょうどいいサイズやなと思って……もう!』

 俺はその日のうちに速攻で見舞いに行った。

 病室の前で消毒ジェルを手に擦り合せていると、マヤにバッタリと出会った。

 彼女はパジャマ姿ではなく、ダウンジャケットを羽織っていた。右手にはキャリーケースを持ち、左手には紙袋を二つほど重ね持っていた。

『あ、お、おう。見舞いにきたんやけど、この時間、まだ受け付けてる?』

 マヤは茫然としていた。喜怒哀楽のどの要素も欠けていた。ただ純粋に驚いていた。

『え……ちょうど退院するとこなんだけど……』

『遅かった! あと三十分早く来ていれば! なぁ、退院を明日に伸ばすことは……無理?』

『ベッドが埋まっていて、追い出されたようなもんだからね』

『俺はいつも、今一歩のところでまにあわへんな……』

 俺は拳を握りしめ、立ち尽くした。

『んーっと……逆じゃない?』

『へ? 逆?』

『見舞いに間に合わなかったんじゃなくって、ギリギリ間に合ったんですよ。これってすごいことですよ』

『そっか、三十分遅かったら空振りやったもんな。たしかにそう考えることもできる』

『だから、助かりました。荷物重くって一人じゃ大変なんですよ』

 そう言ってマヤはキャリーケースの取っ手を俺に握らせた。

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