0102 不純

 もう俺の顔は石像ではなく、人間らしさを取り戻しただろうか。


「デスク、ひとつ質問よろしいでしょうか」

「うん、いいよ」

「その殺人事件について取材してきてくれいう指令ですが……」

「うん、そうそう」

「何を、ですか? 犯人は捕まって犯行を認めてるんですよね?」

「そうだね」嘉多山デスクは冷静で優しい表情だ。

「…………」

 俺は少し黙った。

「鳥嶋さん、鳥嶋さん」

 池浪はまるで、授業中に先生に当てられ困っている同級生にコッソリ答えを教えるかのように言った。

「怨恨がらみのトラブルって何?ですよ」

「…………」

 それはさすがの俺でも、今さっき聞いたばかりやから知ってる。それよりも、さっきからお前がその食事中のテーブルから一向にどかそうとしない食欲減退物質を、俺のこの『聖なるスプーン』で叩き割ってやろうか。

 ――とは、口に出さず苛立いらだつ気持ちを抑え、俺は嘉多山デスクの方に見直って言った。

「デスクはその事件にはまだ調べる余地があると見てるんですか?」

「うん、そうそう」

「…………」

 何とも煮え切らん。例えば二塁ベースを蹴ったランナーへ、三塁コーチャーが腕をブンブン振り回してホームベースを狙いに行けとサインを出すが、三塁を蹴ったその先に『得点』という成果は必ずしも約束されていない。……そんな気持ちだった。


「行ってみましょう、鳥嶋さん。宗教団体の代表が、近所の女性に殺されたんですよ。それはもう途轍とてつもないマインドコントロールが、そこにはあったのではないでしょうか?」

 おそらく色調反転しても決してネガには成らないほどのポヂティブ精神。何の根拠もない憶測からき出されるエナジー。敬意を払いたとえるならば女版『松岡修造』だ。払った敬意は松岡さんにだが。


「発言が軽率や、池浪」

「それに八王子には高尾山があって…。取材のあと少し寄りたいんですよね。ああ、今度はどんな大地の九鼎に出会えるのでしょうか」

 動機はさらに、その上を行く不純ぶりだった。しかも俺からの注意は一切無視だ。


「そのほかのネタなんだけどね……」嘉多山デスクはこの短いランチミーティングを効率よく進行する。

 俺は店の外を通りに面したショウウィンドー越しに見た。ミーティングの会話の様子が、少し離れた別の席から聞こえる会話音のように感じる。今はそれも何だか心地よく感じながらやり過ごした。

「宗教団体の代表……」自分にしか聞こえない程度の小声でつぶやく。


「お待たせいたしましたぁ~ こちらデザートでございまぁ~す」ランチセットのデザートを運んできたホール係の女性は、小高い調子の効いた声で流れるように配膳する。

「かわいいデザートですね。飾り付けが細かいですし…」

 池浪の独り言は放っておこう。

「ああ。でもこのアズライトさんの天の川のような輝きを見ていると、食べたくなるなあ、天の川」

 まずに『さん付け』、そしてを『食べたい』とまで!? ものおそろしいぞ、池浪 耀あかる……。

「鳥嶋さん、知ってます? 京都の銘菓『天の川』って」

「知らん」

 ――でも『食べたい』の意味は理解できた。

「京都へ出向かれる機会があれば、ぜひ一度ご賞味ください」

「どんな菓子なん?和菓子か?」

「ええ。その名の通り、幻想的な天の川が技巧派な和菓子となって、見る者を魅了します。まるで織姫と彦星が絵本の中からあらわれるような、子どものころ頭に思い描いたそのままの天の川が表現されている傑作です」

「京都へは……、これといって出向く機会はなさそうなんやけど……」

「通販でもお求めいただける商品ですので」

「へええ、そうなんや。今度、里帰りの土産にでも買って帰るかな」

「あ、ちなみに『お盆までの期間限定』ですので、お求めはまた来年ですね~」


 ……ああ、またコイツの奇っ怪な異空間で自分は遊ばれていたのかと、がく然とした俺の視線の先には、店の外の遠くに見える『夏物最終処分』の垂れ幕が、さらにむなしさを助長させていた。

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