0239 風景

 とにかくそこは石の世界、例えばハウステンボスが長崎のオランダだとしても、ここは島そのものがテーマパークとして完成されている。名付けるならば『ストーンアイランド』だろうか……。港近くにあった石のモニュメントが目に留まる。石の巨大ドーナツ…。はたまた何かのイメージが表現された抽象的造形か…。

「これ、メビウスの輪です」

「……ああ、なるほど」よくみるとそれには幾何学的な切れ込みがあり、ねじれた石の輪になっていた。

「ここから西へ少し行った所にも港があって、その近くに池浪家がありますよ」

「ふーん」

 ふと自分が、いつも都会の喧騒けんそうの中にいることが、普通になってしまっていることに気が付かされる。それほどこの島は、時間の流れが『精神と時の部屋』状態といえるほど、ゆっくり流れているのだ。

 

「ここでーす」

「へ?ここ?」

「そう、池浪家です」

 そこは……、民家ではなく、だった。門の石彫の文字には『浪乃荘旅館』とある。

「池浪さん……ご実家は?」

「旅館やってまーす」

 池浪の実家は旅館だった。それは団体客が利用するような規模の旅館ではなく、5~6組ほどを受け入れられるくらいの、老舗旅館といった雰囲気のたたずまいを見せていた。

 

「たーだーいーまー」

「あー耀あかるちゃんじゃ。おけぇり。父ちゃん耀ちゃんが帰って来たよー」

かおるちゃん久しぶりじゃねー」

「おおー、来よった来よった。ほんにでーれー遠くからよう来なさったのう」

「父ちゃん、薫ちゃん、先輩の鳥嶋さんじゃよ」

「おお、いたしぃー挨拶はええけぇ、入っていきぃの」

「今は、ちょっくら荷物えーとくだけじゃけぇ、あとでの」

「そりゃぁ、えらいもんじゃのう」

「鳥嶋さん、父と姉です」

「はじめまして、那珂文舎の鳥嶋です」

「耀がいつもお世話になっとります」

 ――いつも方言を一切使わない池浪が自然と岡山弁になっていた。お父さんは小柄でいかにも番頭さんという雰囲気のご主人で、お姉さんの薫さんは、いかにも池浪と姉妹という感じだった。石切り場の男性とお姉さんは、俺と同い年だっけか。

「なら、ちぃと行ってくるけぇ」

「遅うなってはおえんよー」

 

 俺たちは荷物を置かせてもらい、浪乃荘旅館を出た。門の石彫に留まっていた小鳥が人の足音に飛び去る羽音がした。

「実家が旅館だとはな」

「驚かせようと思って」

「ああ、見事に意表を突かれたな」

「旅館は今は、父ちゃんと、薫お姉ちゃんと旦那さんの長慶ながよしさんがやってくれてます。私たちの亡くなったお母さんは、若いころ旅館ここの人気看板娘だったんですよ。今は板前の長慶さんが看板料理長です」

「そうやったんか」

 

 浪乃荘旅館を後にした俺たちは、集落の中を通り抜けいよいよ『ビッグフット』が撮影された場所とやらに行ってみることにした。集落の家と家の間を抜ける道は細く、猫道をくぐり抜けているような感覚がする。道の左右はほとんどが石垣や石塀で整えられた、さすがはストーンアイランド的なフィールドだ。

「島には港が4つあって、それぞれ集落は大小ありますが、どこも港の周囲に広がっています。そして島の中央部分に、そこそこの山が何か所かあり、山がほぼ島の大部分を占めています」

 山を見上げると、所々に昔の採石の名残りらしき場所が点々としていた。

「これだけ山林が広がっていれば、熊や猪も住んでいるやろうな」

「撮影された場所は、島の南側にそびえる山のふもとです」

「撮影者は?」

「地元のお寺の住職さん…みたいです」

 たしかに山の麓には寺があった。その周囲は田園風景と、海の方へ向かって住宅や建物が徐々に増えていっている。池浪が写真の風景と実際の風景とを重ねるように見渡す。

「あそこですね」

 俺は、池浪の後ろに立ち風景を確かめてみた。

「被写体までめちゃめちゃ遠いな」

「そうですね、撮影場所はここよりもさらに後ろ…ですかね」

 その仮説が正しいのかどうかは、寺の住職が話してくれた。

 

「いやーいのけたけぇのぉー、朝の散歩の行きしなにでれーでけぇ巨人がおったんじゃ。でーがおるんかと思って、携帯で写メを撮ったんじゃ。思い出しても…どえれーきょうていわ」

「住職は巨人に驚いて写メったそうです」

「そんな短くねえやろ」

 俺は少しでも岡山弁に慣れようと、住職に尋ねた。

「住職が撮影した場所は、ここよりも後ろに下がった位置ですよね。その巨人は遠くの住職に気が付きましたかね?」

「そらおめぇ、わしもぼっけぇいのけてしもうて、ようわからんのじゃ」

「…………」

「わからないそうです」

「それは聞き取れた」

「住職がこの写真を撮った後、その巨人は?」

「でぇれぇぶりつけて山ん中へ走って消えよったわい」

「そうですか……。お忙しい中、貴重なお話しありがとうございました」

 

 俺たちは境内を出たあたりで、ほぼ同じことを同時に言った。

「これは熊じゃない」

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