0240 被害

 山のふもとにおりながら時折、海風が潮の香りを運んでくる不思議な感覚。だがやはり足元に広がるは農村の風景だ。

 農作業している方に話し掛けるのは…、もう慣れているつもりの俺は、休憩中らしき中年男性に声を掛けた。

「僕たち東京から来てる雑誌の記者なんです。今は、農作業のご休憩中ですか?」

「ああさん、東京からなんか? ちいとこれを見んせー、こねーなんしてはおえんじゃろう」

 男性が指し示した畑は、野菜を取り終えた?ような、だけど収穫するにしてはまだ青いトマトだった。

「畑を荒らされたのはいつですか?」池浪が尋ねた。そう、荒らされているんだ。

「ここは、たぶん一昨日じゃな」

「ここは、というと?」

「先週は向こうのキュウリもやられてたんじゃ。でーがこねーなことを……」

 男性は俺に、怪訝けげんなな表情を見せた。

「今までも、ちょくちょくあったことなんですかね?」

「こねーなん初めてだ」

「そうですか……、お休み中にお邪魔しました。ありがとうございます」

 

 俺たちは別の場所でも、畑を荒らされたという方から話を伺った。

「イノシシじゃとしたら、こねーなこたぁねえ」

「では……、何でしょう?」

「島にはのう、野菜をがめる奴なんはおらんのじゃて……」

「でも人間なのかも知れない?」

「そうかもしれん」

「やはりそう…なんですね。ありがとうございました」

 

 驚いたことに、野菜を盗られたという被害は、島の中でも離れた集落のあちらこちらであったのだと噂になっていた。

「ビッグフットは、野菜泥棒みたいやな」

「巨人の仕業だと決まったわけではありません」

「住職が目撃した場所が、南の秋葉山の麓、野菜の被害は北のトンギリ山の麓でも、西の高山の麓でもあった…。巨人は野菜求めて島内を縦横無尽じゅうおうむじんに飛び回ってるんやな」

「そこを撮影されてしまった…」

「そう考えるのが自然やろうな。まったく御愁傷様ごしゅうしょうさまやわ…坊さんだけに」

 

 西端の岬っぽい場所から見える夕陽は、旅番組でよく目にする『夕焼け染めの真っ赤な世界』を、いつの間にか創り出していた。

「隣の島は何だっけ?」

白石島しらいしじまです」

「その向こう側の島は?」

高島こうのしまです」

 そのふたつの島に挟まるように溶け込んで消えそうな太陽は、仕事であることを忘れてしまいそうなほどノスタルジックな気持ちにさせた。

 

「長う待っとったんじゃよ~」

 お姉さんの薫さんは、浪乃荘旅館の玄関先で俺たちを待っていたみたいだ。

「ごめんねー薫ちゃーん」

「さあ入って入って、鳥嶋さんも」

「お邪魔します」

「おおー、来たか来たか、えらかったじゃろー」

 お父さんまでわざわざ出迎えてくれた。と、その後ろから細見で面長な青年男性も出迎えてくれた。

「料理長の三好みよし長慶ながよしです」

 この人が薫さんの旦那さんで旅館ここの看板料理長だ。

「那珂文舎の鳥嶋蓮角です」

「いやー、ようこそようこそ。今日はうめーもの作るけぇ楽しみにしんせー」

「ありがとうございます」

「ヨッチャン頑張って」薫さんが旦那さんを応援する。めっちゃ仲睦なかむつまじい夫婦だ。

 俺は一応、池浪にコッソリ確認してみることにした。

「泊まる場所、お世話になっていいのか?」

「当たりめーじゃ」

 池浪の岡山弁は、思いのほか新鮮でなぜか悪い気がしなかった。

「今日は他のお客さんいないのか?」

「歓迎板が表に出とらなんだけぇ、おらんみてーなぁ」

「それ、わざとやろ」

 

 俺はお父さんから大浴場に案内された。

「いろいろ気にせんでええけぇ、好きに使いんせー」

「本当に、何から何まで恐縮です」

「ええんじゃよ。初めてなんじゃ、耀が旅館ここに人を連れてくるんは」

「そう、なんですか」

「せえじゃて、今日は一杯付き合いんせー」

「ええ、いただきます」

 

 やはりと言ってはひねりがないが、浴場はそれはもう見事な岩風呂だった。

「北木石……かな」

 湯の中に下した腰が、ちょうど石の形に落ち着いた所で、思わず鼻に抜ける声が出た。

「くはぁー、つかれたー」

 体の芯まで温まり、もう完全に仕事モードからはスイッチオフだった。浴衣なんて着るのはいつぶりだろうと、少しだけ開いた窓から吹き込む風に爽快さを感じながら、大浴場から広間へ抜ける途中の玄関先で突然呼び止められた。

 

「あなた、鳥嶋さんじゃろ」

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