0129 誤算

 俺たちがもっと詳しく知るべきは、蒼井果奈の方だったのかも知れない。

「デスク、お願いします。無罪になった蒼井果奈に取材したいんです」

 池浪のそんな思いを知るかのように、先方の返答は『裁判の心的ストレスによる療養中のため取材拒否』とのことだった。

「ううむ。取材は申し込んでいるのだけれどもね……家族が弁護士だという所も中々なかなかなもんだ」

 嘉多山デスクは顔をしわくちゃにしてそう言った。

「そもそもデスクは、私たちにご自身が白峰夫妻や岸部施設長と親しい間柄であることを、何故これまで教えてくださらなかったのですか」

 池浪の口撃こうげきはもはや論点のズレどころか質問の内容まで変換されている。

「ああ……その理由わけはね、君たちに先入観なくフラットな視点でこの事件を見て欲しかったんだ。被害者が私の親しい友人では、君たちの眼鏡も曇るだろう」

「それは、そうだと思いますが……。だとしても今回は私、完全に見誤ってしまい情けないばかりです。最も綿密な調査が必要だったのは、やはり『蒼井果奈』の方だったんです。ですので、その点ついては特に悔やまれます」

「だがもう判決は出た。幸之介こうのすけは控訴しないとしたのだろう」

「白峰会長がそうお決めになったことは知っています。でもまだ終わっていないんです。記事の完成には、私が蒼井果奈について知らなければならないことが……、できれば本人に直接会って訊きたいことが幾つも残っているんです」

「わかった。池浪耀、まあ待て」

「宮藤編集長……」

「気持ちはわかった。大概たいがいこの手の取材には時間がかかる。しばらくすれば、向こうから話したがってやって来ることもあるんだ。まあ、その時は『ギャラ』の交渉になるがな……」

 宮藤編集長の説諭せつゆはとても分かり易かった。

「わかりました」

 池浪はまるで消えた線香花火のように静かになってこの場を立ち去った。

「おい、池浪。大丈夫か?」

「鳥嶋さん」

「おう、なんや」

「私には……、書けないかもしれません」

「そっか」

 俺は、もしもそうなったとしても俺の相棒が見たその『心実』を形にしてやるつもりだった。

 

 その時、池浪の携帯電話の着信音が鳴った。相変わらずしみじみとした着信音と岩肌のようなスマホカバーがコイツらしい。

「はいもしもし、池浪です。あっ、奈菜実ななみちゃん。……うん、……そうなのね、……うん、わかったよ。明日行くね。じゃあね」

「奈菜実ちゃんって?」

「赤心の家の小川奈菜実ちゃんです。私……明日、白峰由喜恵さんのお墓参りに行って来ます」

「お墓参りに、か……」

「今、奈菜実ちゃんに届けてほしい物があるとお願いされましたし、自分なりに一度は墓前ぼぜんに足を運びたかったですし」

「そっか」

「10時に新宿駅でいいです?」

「お、おう……俺もか」

 この強引な流れ……、徐々に違和感を感じなくなっているのは、もう慣れてしまったからだけなのか、はたまたコンビという間柄では至って常識的ななのか、もはや俺の中ではそのどちらでも構わんとまで思えてしまうほど麻痺しているようだ。

「明日は朝イチで、編集部に溜まってるバックナンバーを社用車に積んで倉庫に移動するから、そのついでやな」

「そのあと、なんですが……」

「お墓参りのあと?」

「もう一度、農園に寄りたいんです」

「別に構わんけど……、なんで?」

「ヒスイの石を……、塀の飾り付けに埋め込まれた石を、残っている分はちゃんと拾って帰してあげたい」

「……そうやな」

まま、言ってすみません」

 仮にそれがもしも我が儘なのだとしたら、これまでの俺に対するあしらいは一体何なのだ。とは、さすがの俺も腹の中にグッと押し込んで言った。

「腹減ったな」

「どういう意味ですか?」

「いや、そのままやけど」

「まるで明日付き添う代償に食事をご馳走すべきかのように聞こえますが」

「そんなつもりはないんだがな、そう聞こえてしまったかな」

「新宿にスーパーファミコンできるカフェバーがあるんですよね」

「お前は、昭和生まれの少年か」

 ……まあ別にいいけどな。と思った俺はやはりどこか麻痺しているらしい。

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