0115 覚悟

「ふぉっふぉ、そんなに驚くことはもう残ってないんだがね」

「失礼しました」池浪の耳がほんのり赤い。

「君たちが僕に聞きたいことは、おおむねね見当がついてるよ……。あの農園はねぇ、由喜恵と二人で始めたんだ。最初は大変だったよ……」

 会長は俺たちにしみじみ話してくれた。まるで思い出を語るように。

「僕は若い頃は不動産の商売を自分でやっててね、でもしばらくくやって飽きちゃって辞めてからだよね、あの山を何かに使いたいって古い友人の梶谷かじたにってのからすすめられてゆずってもらったんだ。」

 梶谷不動産の先代って、会長のご友人だったのか……。

「その頃の由喜恵は、農業なんてましてや土いじりさえしたこともなかった。ところがやり出して熱中したのはアイツの方でね、それからは無農薬オーガニック野菜が世に知れ出して、うちも高く評価されたんだねぇ。」

「それで、もんたたくお弟子さんが増えていったのですね」

「弟子だなんてなぁ…… まあ畑もどんどん広がって、物凄い忙しさに安いお給料で手伝ってもらってるうちに育っていったもんだよ……。それなのになぁ……」

「なのに?!」

 池浪は明らかに、今この瞬間の空気の変化を感じ取ったようだ。見開みひらかれたその瞳は、この直後におとずれるであろう何かの、その瞬間を見聞みきのがさず受け止める準備のようだった。

 

「蒼井果奈はうちの生徒だったんだ」

 

 自分の全身の血が一瞬で凍りついた感覚を覚えた。これまで俺たちがこの事件の奥底にあるとにらみ続けてきたものとは、やはり単なるの犯行ではなく、もっと奥底にあったのだ。

 

「な、なぜ……し、白峰さんの生徒が。あんなことを……」池浪の瞳は、見開かれたままだった。

「蒼井はなぁ……勉強はできる子だったんだ。いわゆる優等生で人生過ごしてきた挫折ざせつを知らないタイプだった。それがゆえに由喜恵のセンスとカリスマ性にれたんだろう、『先生の農業は魔法のようです』とあがめていた……初めのうちは……」

「それって、どういう意味……」

「蒼井は、やってもやっても由喜恵のようには上手くできなくてね。何度も由喜恵と農法で意見がぶつかっていた。『自分にできないはずがない、先生は何か変なことをしている』とまで言うようになってね」

「それで農園を出てかれたんですか」

「うん。最後は『先生は魔女だ』って言って出て行ったよ。千里ちさとちゃんが入ったのはその後だったな」

「そんなことがあったのですね……」

「それから蒼井はしばらく姿を見せなかったんだが、下の住宅地に家を買って越してきたって聞いた時は僕もさすがに驚いた」

「会長は、それが何故なぜなのだと思いましたか?」

「僕はね、単純にまだうちに未練でもあって、また習いに来たいという表れなんじゃないかって、由喜恵に言ったんだ」

「奥様は……何と?」

「由喜恵は……絶対に違うって。その時ばかりは顔を真っ青にしておびえていたように見えた」

「それからなんでしょうか、色々な嫌がらせが始まったのは……」

「それから一年くらいは何もなかったんだがね、少しずつ変なことが起こるようになった」

「インターネット上の虚偽きょぎの情報発信は、ご覧になったことは?」

「少しだけね……。由喜恵はそんなもん、どうってことないって威張いばってたよ。今思えば虚勢きょせいを張って不安を隠していたのかもな……」

「それで……これからお話しすることは、私たちが独自に調べたことなのでまだ証拠はないのですが、あのうそうわさの発信源が、蒼井果奈だった可能性が極めて高いことが判ってまして……」

「やはり、そうですか」

「例えばですが、もしもこれから物的証拠として蒼井の犯行の動機に結びつく計画性が立証されれば、裁判にかなりの影響もあるのではないかと思うんです」

 池浪から今までにない『熱』を感じた。それは、亡くなった白峰さん本人の無念を晴らしたい、白峰さんのことを愛していた人々の悔しさや悲しみを少しでも晴らしてあげたいという、これまで俺たちが出会ってきた人たちからの言葉を『代弁』しているように見えた。

「そうかも知れないね。でもね、由喜恵はもうその時『』を覚悟していたんだ」

「えっ……」

 俺たちは黙った。この病室の、一切いっさいの音や空気は消え去ったかのようにすべて止まった。

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