アレルギー性カテゴライズ㊤<剛編>

こみちなおり

0101 会遇

「あなたが私を呼んだのかしら」

 

「そうかも知れない」

 

「どうして私を呼んだの?」

 

「あなたなら気付いてくれそうな気がして」

 

「ごめんね」

 

「どうして謝るの?」

 

「もっと早く気付いてあげられたらと思って」

 

「そんなことないわ……私とても嬉しかった」

 

「嬉しかった?」

 

「あなたが私に触れた時、あの人と同じだったから」

 

「同じって?」

 

「手の、優しさかしら」

 

「そうなのね……逢いたかったな、あの人に」

 

「あの人もきっと、そう言うと思うわ」

 

 

 

 

 

 

 

「ごめんね……遅くなって」

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

「実に、見事としか言い様がありませんよね。野趣やしゅらしさもあり、それでいて洗練された風韻ふういんさえ感じさせる」


「…………」


「透き通ったミュール色をおおうように、紺碧こんぺき孔雀青くじゃくあおの粒がぎっしりと共生して」


「…………」


「この空洞部分の結晶の輝き方はまるで天の川あまのがわのよう」


「…………」


「そう思いませんか? 鳥嶋とりしまさん」

 

「ナニガ?」

 

 俺はその瞬間の自分の顔が、モアイ像のそれにるいするつらであったであろうことなど、いささか気にも留めずにいた。

「ナニガ? じゃなくて、見てくださいこの麗色れいしょくな大地の九鼎きゅうていを」

 先ほどから極めて意味不明な評論を無許可に続けているこの女、およびそのクリティシズムされている物体も、俺にとっては迷惑以外の何物でもない。


 ――とはいえ前者は一応、職場の同僚だ。


九鼎きゅうていはかなり大げさやな」

「なんてことを……。このノジュールは、私たち人類が想像もできないような何万年もの歳月をて形成された……」

 

「いや、やん、それ」

 

「まったくもって大いに違います、これはです。このアズライト鉱石の美しさは、まさに色彩美の象徴。中世ヨーロッパでは絵画の顔料としても用いられたものなんです!」


 自らの耳をうすら赤くし、猛烈に抗議するこの女。


 ――池浪いけなみ 耀あかる


 俺の知り得る限り、たぶんオタクだ。


 そこで俺は、目の前のテーブルに置かれたもう随分前にグラスに注がれた冷水であったであろうそれが、グラスの表面に水滴を溜め、すでにぬるまっていることなど構わず一気に飲み干して言った。

「池浪、お前がそう言うならきっとそうなんやろ。何を美しいと感じるかは人それぞれの美的感覚によるもんやし。たとえそれが気色悪い青緑色のブツブツのデカいかたまりだとしても構わん。ただ、今をここに置くのはやめてくれ」

 

「あのう……。そろそろ始めてもいいかな?」

 

 完全に引きずり込まれていた、このオタクのかいな異空間に。そして一瞬だけ失念しつねんしてしまっていた。今この場が、職場のランチミーティング開始前だってことを……。それに気付かせてくれたデスク、心から感謝します。


「すみません、どうぞ」

 俺はそうデスクに言いながら向かいの席の池浪を一瞬見た。

「そうですね!始めましょう!」

 コイツ、あまりにもマイペースすぎやしないか? ――いや駄目だ。俺は池浪のこの挑発には乗らなかった。


 俺の職場は、いわゆる『写真週刊誌』の編集部だ。我が那珂文舎なかぶんしゃは様々なジャンルの書籍を扱う出版社だが、俺たちの週刊誌『ディスパッチ』はスクープがやや控えめで、読み物が割と多い。


「みんな、それでなんだけどね」

 嘉多山かたやまデスクは続ける。薄くなった髪がなんだかびしい。だがほかのメンバーたちはそんなことよりも、運ばれてきた料理に表情を明るくしている。

「食べながら聞いてほしいんだけどね。先月、八王子で公益法人の代表の女性が殺害されたよね。犯人はその近所に住む女性が逮捕され、犯行を認めている。警察は怨恨えんこんがらみのトラブルが動機だって発表してるんだけどね」

ちまたでは宗教団体だって言われてるですか」

 メンバーのひとりがデスクの話に同じた。ともあれ、空腹なはずの俺の食欲がいまひとつなのは、このネタ会議の内容を『食べながら聞く』というこのアンマッチングのか、それともヤツのアズライトナントカのなのか、ただ一つだけはっきり言える。『青色』は食欲を減退させる。


「デスク!怨恨がらみのトラブルって具体的に何でしょうか?!」

 ――池浪、めっちゃ食うよなお前。

「うん。そうそう、ああ、そうだね。 ……取材で調べてきてもらっていいかな、鳥嶋くんと池浪くん。この特集、入稿までまだまだ時間あるし」

 

「へ?」

 

 この瞬間の現象は、自分のわずかに開いた口から息が抜ける感覚と、鼻の穴がゆっくり広がる様子が一瞬でこんなにも自覚できるのかと、俺は自分でも感心したほどだった。

受命じゅめいいたしましたっ!ぜひ私にお任せくださいデスク!」

 ――勝手に受命するなっつーの。ましてや俺の方が先輩なんだ。やや気が立った俺は向かいの席の池浪をにらんだ。

「鳥嶋さん。モアイ像みたいな顔になってますよ」

「なっ?!」

 今日のランチが『ナイフとフォーク』でなく『スプーン』で本当に良かった。

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