0127 離別

 白峰会長からあるお誘いの連絡があったのは、それから数日後のことだった。それは先日、会長の病室にお邪魔した際に約束して下さった『山白峰やまのしらみね』の中を案内するというイベントのことだった。池浪はやけに真面目な顔で俺に言う。

「私、あの白い建物の中、もしかすると冷静でいられないかも知れません」

「え?なんで?」

「何となくですけど……」

 事件に関することかな……。たしかに傍聴席での池浪の様子は冷静でなかった部分もあったかも知れない。もしも山白峰で新たに知らされる事実もあったとしたら……。

「ま、ええやん」

 俺は楽天的にそう言って不安がらせないことにした。

 

 つい夏の終わり頃にここへ通った時は、まだ名残惜しく鳴く蝉の喚声かんせいを感じたが、山の頂上はもうすっかり涼しさを感じる季節に移り変わっている。

 自然野菜家族の農園は、少しずつ整理が進んでいるようで、収穫されずに残っていた作物はきれいになくなり、この日はビニールハウスの解体が行われていた。

 到着した俺たちに気付いた白峰会長は、電動車椅子を操作し俺たちを迎えてくれた。

「やあ、よく来てきれたね」

「お誘いいただけてとても嬉しく思っています」

 池浪はいつになく溌溂はつらつと喋っている。

「これ、鍵ね。中は自由に見てまわってくれていいからね」

「はい!ありがとうございます!」

「ふぉっふぉ、池浪さんには…喜んでもらえるだろう」

 ん?どういう意味だ?

「お邪魔します!」

 玄関口に立った池浪は、建物内に響き渡る大声で挨拶した。まるで空から見ている白峰由喜恵さんに聞こえるかのように。

 まさかとは思ったが、そこはまるで『石の博物館』だった。池浪に喜んでもらえるとは、つまりそういう意味だったのだ。建物内は、ガレージと1階が農作業に関係するスペースだが、2階と3階は池浪にとっては天国とでもいえる空間なのだと、さすがに俺にも分かる。

「はっ! これは『スターマイカ』という星雲母です。別名『千枚はがし』! きらきら輝くことから、これが特産だった『吉良きら』という地名は、これが由来だとも言われています」

「…………」

「ああ、これは『辰砂しんしゃ』ですね! 古来、不老不死の薬だと言われた鉱物です。ポンペイ遺跡の壁画に辰砂が使われているのは本当なのでしょうか」

「…………」

「おっと! 驚きです。リチア電気石『ウォーターメロン』に出会えるとは。輪切りにした電気石の断面は果物そっくりで、外殻が緑色で中心核が赤色の子は、まさにスイカですよね~」

「…………」

「これは珍しい『中沸石ちゅうふっせき』ですよ! 放射状の針状結晶のままコレクションとして見られるのは非常に貴重なことです。ああ、硬いタンポポの綿毛、触ってみたい」

「……あのさ、お楽しみのところ少しいいか?」

「なんでしょう」

「白峰会長はお前がだって知ってたのか?」

「はいそうです」

「それが俺にはよくわからんわ」

「会長は、病室で私の持っていた『孔雀石くじゃくせき』に気付いて、私にその名を告げられました。私は、もしかすると奥様は鉱石のコレクターかも知れないと思っていたので、そこでピンときました。でもまさか、こんなお部屋が建物内にあったとは……」

 そう話しながら部屋を進んだその時、俺たちの目の前に姿を現したのは、あの『翡翠ひすい』という薄緑色の石だった。

「…………」

 池浪は静かにそのガラスケースに歩み寄り、そこに顔を近付けて言った。

「私、もしかすると今でも自分は間違っているんじゃないかって思うこと、あるんです」

「間違っている?」

「ええ……、公判の傍聴で特にそう思いました。弁護側の証人尋問に立ったふたりの女性は、農園の塀を壊した人でした」

「ああ、そうやった」

「私があの人たちに対して、そのことを…塀のことをとがめたことで、結果的に被告人の正当防衛を主張させる根拠を作ってしまったのかも知れない……、出過ぎたマネをしなければ、蒼井果奈のやったことは何事もなく裁かれたのだろうと」

「それは違うと、俺は思う。それとこれとは別の話……、結果的に結びついただけや」

 俺はそれ以上のことを弁ずるのはやめた。事件の真実はやはり当人同士にしか判らない。ただ、どのような真実だとしても、そのことを容易に受け入れられる強さは今の俺にはなかったからだ。

「俺たちの役割は、やはりこの事件がどうして起きてしまったのか、事件の裏側には何があったのか、関わった人たちはどんな人物だったのか、それが『心実しんじつ』だと今も信じている」

 

「ありがとう」

 上の部屋には白峰会長が来ていた。会長はとても優しい表情で俺たちを見て言った。

「池浪さん、鳥嶋さん、本当にありがとう」

「いえ、私たち……そんな」

 俺は心を決めた。

「白峰さん、俺たちは奥様の事をたくさんの方たちから聞くことができました。俺たちなりに、どれくらいかは計れませんが、奥様の事をそれなりに深く知れたと思っています。そして、この事件の『こころ』の『』を立派な形にするつもりです。是非、記事にさせてください」

 白峰会長はその目に、いっぱいの涙を浮かべ微笑んでいた。その微笑みの奥では、これまでのとてもとても長い奥様との時間を思い返しているようにも見えた。そして溜まっていた涙がこぼれた。

「ああ、妻のために……、い、いまわだじがしでやでることは、うっ、ううう、わがった。おでがいするよ。妻のごとを、書いてくれ」

 その言葉は、最愛の妻に別れも言えず離別してしまった自分から、最愛の夫へ何も伝えられず旅立ってしまった妻に、『本当のさよなら』を伝えたかったという深い気持ちがこもっていたように感じた。

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