0126 翡翠

 裁判所から出て見上げた空は、ここに訪れた時よりも増して色の濃い鉛色を見せていた。俺は、生暖かい雨気を含んだ風が顔に当たることをけもせず歩き出した。


「よかったです。審判妨害罪にならなくて」

「そやな」

「すみませんでした」

「ああ、そういや、白峰さんが手に持った石が、お前のと同じ『ヒスイ』だって叫んでたやろ」

「はい、そうです」

「なんでそう思ったん?」

「私たちが農園を訪れた際に出会ったエクステリア業者の上間さんが、土塀を建てた時『白峰さんが可愛い感じの飾り付けをしたと』教えてくれました」

「ああ、たしかに」

「その場の壊された土塀の残骸には、飾り付けに使われたヒスイが残っているものがあったんです」

 ……そういや、壊れた塀の残骸を手に取っては黙って何度も観察していた。そういうことだったのか。

「あくまで想像ですが、ヒスイの飾り付けには大きめの丸石と小さめの細石が組み合わされていたんじゃないかと思います」

「白峰さんが手に持ったって証言されたのは……」

「恐らく、その大きめの丸石」

「まじかよ」

「でも!そんなはず、絶対にないんです!」

「なんでや」

「このヒスイが持つ意味は、調なんです。白峰さんはきっと、その塀に埋め込んだヒスイの持つ力で周囲との関係を良くしたい、続いていた悪い出来事をなくしたい、にされた自分のことを悔やんで、もうどうしようもなかったのだと思います」

「そんなこと……」

「私には……分かる気がするんです。そんな思いを込めた神聖な石で、人を襲うなんて絶対に有り得ない」

「でもなんで、今まで言わんかったん?」

「ああ、その時は『石の話を一般の人にするのは禁止』でしたので……」

 ああ、そうやったかも知れん。俺は、無性むしょうに自分を殴りたい気持ちになった。なのに生暖かい風は、俺の頬を殴ることなく優しく撫でるだけだった。

 

 会社に戻りまず俺たちが向かった先は、数日間の休暇を経て、久し振りに俺たちの報告を待っている嘉多山デスクの元だった。デスクは自席で宮藤編集長と打ち合わせをしているところだった。

 池浪は、大量な初公判の傍聴記録メモを読み上げながら報告した。弁護側が『正当防衛』を主張してきた辺りでは、デスク編集長ともに苦い表情になった。また、被告の弁護を担当している女性弁護士が、蒼井果奈の義理の妹だったということには、宮藤編集長はかなり驚いていた。

「次回の公判は来週に行われます。判決はそのしばらく先になります」

 俺の言葉に嘉多山デスクは深くうなずいて、言った。

「特集記事は任せたよ。さてどっちが書くのかな?」

「えっ?」

 池浪は少しキョトンとしている。

「私が特集記事を書くという選択も嘉多山デスクの中にはお有りなのでしょうか」

「くくくっ」

 宮藤編集長がニヤケた表情で言った。

「そりゃあ、あるだろ。池浪耀、お前はどうなんだ?」

「…………」

 池浪はしばらく黙って考えている。

「池浪が書きます」

 俺は池浪に考える間を与えず結論付けてやった。

「鳥嶋さんっ」

「お前は自分の目標はいつか『那珂文舎賞』を獲ることだと言ったやろ。それに挑戦するなら今じゃないんか」

「……でも」

「そうだね。メダリストがそう言うんだ、きっと意味があるのではないかな」

「そう、鳥嶋蓮角ですもんね」

 ふたりにやられた……と俺は思った。

「メダリストって?!」

「おいおい、まさか過去の受賞者を調べてないことはないだろう」

 宮藤編集長はニヤケたままだ。

「知ってます!昨年、一昨年、一昨々年と。え?うそ……」


「池浪、実は……俺は入社二年目で『那珂文舎賞』を受賞したんだ」


「ええええええええええっ!」


 池浪お得意の飛び上がりが出た。彼女はそのままフラフラと壁の方へ寄り掛かり、かろうじてこちらへ向かって言った。

「すみません。少しだけ……考えさせてください」

 残念ながら今そこに、女『松岡修造』の姿は、いささかも感じられぬようになっていた。

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