0135 魔女

 魔女狩りは、魔女とされた被疑者に対する訴追、裁判、刑罰、あるいは法的手続を経ない私刑等の一連の迫害を指す。

 魔術を使ったと疑われた者を裁いたり制裁を加えることは古代から行われていた。ヨーロッパ中世後期の15世紀には、最初の大規模な魔女裁判がおこった。そして近代初期の16世紀後半から17世紀にかけて魔女熱狂とも大迫害時代とも呼ばれる魔女裁判の最盛期が到来した。

 現代では、歴史上の魔女狩りの事例の多くは無知による社会不安から発生した集団ヒステリー現象であったと考えられている。つまりその集団ヒステリーが、「自分たちの不幸な生活の元凶は魔女の呪いのせいであり、魔女裁判で魔女を裁いて制裁を加えること」で、その不安がぬぐい去られると思われていたのではないか。

 

 池浪の文脈は、あの事件の背景にあった現象が、中世ヨーロッパの集団ヒステリー現象に酷似しているという切り口から入っていた。そして、事件の全容を示すべくその概要から公判の一部始終の記録まで、俺たちが取材し知り得たすべてのことが記されていた。終盤では、その心理現象についても触れている。

 

 とはいえ、中世ならまだしも、なぜ理性がコントロールする現代に至るまで魔女狩りのような現象が起こるのか? その理由のひとつには『同調圧力』があると思われる。ある日本の評論家は『同調圧力』のことを『空気』という概念で示し、日本人の『空気』に対する弱さを指摘した。周囲に『同調圧力』が強まると、どんなに理性的であっても、場の『空気』に逆らうことは難しいだろう。むしろ、理性的であればあるほど、場の空気に逆らって自分が不利になることを避けようとするもの。おそらく、魔女狩りが盛んだった時代、理性的な人もいたのだが、そうした人ほど『空気』に逆らわなかったのではないか。下手に弁護すると、今度は自分が魔女扱いされてしまい兼ねないから……。こうしたことが長い年月を経て習俗的に続いていたのが中世の魔女裁判だった。

 

 そして、ルポタージュの最後はこのような文章で締括しめくくられていた。

 

 無罪になったその人は、被害者の墓前で私たちにはっきりとこう言った。

 

 あの人は魔女だから、魔女裁判にかけて魔女狩りにしてやったのよ

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

「立派に面倒みたじゃないか」

「宮藤さん、カンベンしてくださいよ」

 エレベータ前の休憩スペースで編集長は俺に、池浪を「しばらく面倒見ろ」と言った意味が、過去の受賞者である俺が、「後輩の望む目標を叶える手助けをしろ」という意味だったのだと、で自慢してきた。

「俺はお前たちがやってくれると思ってたよ」

「いいえ。俺自身、池浪が獲れるとは思ってませんでした」

「ぐはは、マジで嬉しいぜ」

 そう笑いながら、俺たちが編集部の室内に入った瞬間、池浪の声が聞こえた。


「どうしても教えていただきたいのです」


 嘉多山デスクの面前に何やら迫っている池浪の様子を見て、また嫌な予感がした。

「嘉多山デスクが、私をあの事件の担当にご指名された本当の理由が知りたいのです」

 ――まあ、なるほどな…という印象だ。もっと有り得ない難解をデスクに迫っているのかとヒヤヒヤした。


「いやー、参ったなあ……。理由と言われてもねえ……」

「宮藤さんどうします?アレ」

「面白いから黙ってようぜ」

 すると嘉多山デスクは、分厚ぶあつく古めかしい手帳のようなものを机の引き出しから取り出して、あるものを池浪に見せた。

「これね、僕が那珂文舎に入社した年、皆で卒業した大学のサークルの仲間たちと撮った写真だよ」

「デスク! 若い!」

 池浪は正直すぎるのも良くない。

「いや、そこじゃなくてね」

「ああっー! もしやこれは、岸部施設長と白峰会長と嘉多山デスクが一緒に写ってらっしゃるということは、この中央の女性は?!」

「由喜恵さんだよ」

「えええええええええっ!!」

 思わず俺もそこに駆け寄った。覗き込んだ写真には、とてもお若く見える皆さんと、その中央には満面の笑みを浮かべる、白峰由喜恵さんの姿があった。


「池浪に……、似てないか?」

「えっ?!私に?」


 その満面の笑みが、池浪が表彰式で俺に見せた表情とかぶっただけではない。その白峰由喜恵さんの手にはあの、翡翠ヒスイの塊が胸元で握られていたからだ。

 




 アレルギー性カテゴライズ〈剛編〉

 ―魔女裁判―【終】

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