0112 先生

「それがな池浪、<ブルーフルーツ>っていうアカウント名だったらしいんだ」

「わかったんですか?! 初めにネット上にホラをれ回った犯人が!」

「そうや…… <ブルーフルーツ>って何や?」

「青い果物、『蒼井果奈』ですね……。そのまんま……」

「たぶん蒼井で間違いない。蒼井は何らかの目的で、白峰さんの農園を『宗教団体』だと虚偽きょぎの噂を世間に吹聴ふいちょうした」

「そのことを面白がって拡散した者たちによって、あたかも本当のことのように言われるようになってしまった……。でもなんで?」

「わからん。でも理由はあるはずや」

 

 俺の頼れるエージェントから送られてきていたURLは、まさに事の真相を示すものだった。また、蒼井果奈の写真画像は容易たやすく手に入ったみたいだった。

 ――長い黒髪に、やや切れ長の目、何となく洋風画を思わせるのはその容姿がモナ・リザっぽく見えたせいなのかどうかは、今は無意味だ。

 

 噂や風評によっても、蒼井が白峰さんをおとしめたいと思っていたことはわかった。自分の子分こぶんたちの不安をあおって、塀を壊させたのもわかった。でもわからん……そもそも自分で相手を殺すつもりなら、そこまで手の込んだ嫌がらせをする必要があったんだろうか。何故その日の朝、蒼井は白峰さんの前に現れた?

 

 俺は、八王子駅前のバスターミナルを階段の上から見下ろしながら、駅のカフェで買った氷入りのドリンクをカチャカチャ鳴らした。

「今日は少し涼しいな…… 池浪、あのあと寄れたか? 石ショップ」

「違います。石ショップじゃありません…… 裁判所です」

「裁判所?」

「蒼井の初公判の日程を確認してきました。電話でも問い合わせ可能ですが、私の気持ち的に直接行って調べなきゃ、気が済みませんでした」

「そっか。まあええやん」

 

 今日は『赤心せきしんいえ』に、またお邪魔する日だ。施設の卒業生で、自然野菜家族の農園へ白峰さんに弟子入りして、その後は独立した元生徒さんだ。

「はじめまして、那珂文舎なかぶんしゃの池浪です」

「鳥嶋です。今日はお時間いただいて感謝します」

「はじめまして、山森千里やまもりちさとです」

 ――山森さんは、小麦色に日焼けした女子テニスプレーヤーのようなガッチリした体格で、いかにも農業のプロって感じだった。今日ここに一緒にジャガイモを届けに来られたご主人はさらに大柄で、中庭で子どもたちとフリスビーで遊んでいる。挨拶が済んだ所に岸部施設長が冷たいほうじ茶を運んでくれた。

「私が先生の農園にいたのは、今から一年半前までの五年間でした。親も居ないこんな私を、無条件の優しさで受け入れてくれた先生のことは、私の人生の恩人だと今でも感謝しています」

 山森さんはそっと、届けたばかりのジャガイモの箱の方を見ながら話してくれた。

「私が自分の農園をやりたいって先生に話した時は、とても喜んでくれて応援してくれたんです。まさかその先生が、亡くなるなんて……まだ私、先生に全然なんにも恩返ししてないのに……。悔しいです」

 ここは池浪に任せることにした。

「農園にお弟子さんは何人おられたんですか?」

「その当時は私を入れて8人です。私が入る前に何人かおられたそうですが……」

「その……、ユニフォームは『白色』でしたか?」

「あー、そうです。先生が私たちに日焼けしちゃ可哀相だからって、白いほっかぶりのような日よけフードの付いた帽子に、前掛けと長靴も白いお揃いのものでした。制服みたいで好きでしたけど……」

「けど?」

「ええと……そのうちインターネットで、白い制服のことや農園のことを悪く言われるようになってしまって……」

「皆さんそのこと知っておられたんですね」

「もちろんです。その他にも嫌がらせは度々たびたびあって、動物の死骸や悪質な郵便物とか。変な噂をさせてからは、地域ぐるみで疎外そがいされるようになって」

「地域ぐるみ?」

「はい。おととしの防災訓練は農園だけ知らされずに行われて、突然のサイレンに私たちはパニックになりました……そのあたりから先生は随分と元気をなくしてしまっていました」

「参っておられた?」

「たぶん。先生はいつも毅然きぜんとして私たちにそんな様子は見せませんでした……でもきっとそうでした。私が独立する時も、先生のそばに残ろうかと凄く悩みました」

「でも、背中を押されたんですね」

「はい。会長のこともあったので本当に凄く悩みました」

「えっ?! 会長さんって?」

 池浪の座っていた椅子が音を立てた。俺は自分がまた何か知ることになるんだと、少し身構えた。

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