0247 証拠

「耀ちゃーん! 耀ちゃーん!」

「あっ!蛍ちゃん!」

 蛍さんが秋葉山に駆け付けてくれた。数人の島の男たちも一緒だった。俺は正直ホッとした。

「耀ちゃん、大丈夫なんか?!」

「心配させてごめん、大丈夫じゃ」

 

「ふんっ! 用が済んだのなら帰らせてもらう!」

 モノノケ社長はすきをついてこの場を去ろうとした。だが世の中そんなに甘くはない。

「社長さん、ご自身の行いは、ご自分で責任を取ってくださいね」

 池浪の言葉に、島の男たちがその行く手をはばむ。石工職人の大河さんも来てくれていた。

「くそっ! 何だってんだオメエら!」

「社長さん、もう諦めてください。工場から山へ逃げ込んだ彼らと、この山中で私は出会い、この北木島に来てからこれまでの経緯いきさつをすべて聞きました」

「だからなんじゃ!」

「日本語の上手な長身の『ドルジさん』と、色黒の『バータルさん』の説明はもちろん、言葉は少し苦手でも丸坊主の『ナランさん』と、お髭の『ダムディンさん』の気持ちもよく理解できました」

「そんなことがオメエらに何の関係がある!」

 

「それは彼らの言葉を聞いてからにしていただきたい!」

 

 池浪の口調が鋭くなったのを感じた。俺にはわかる、今のこの状態が……。さすがにモノノケ社長はたじろぐ。

「さあ、ドルジさん、みなさんの気持ちを伝えましょう」

「……はい。……社長、僕たちは、モンゴルの家族たちに、働いたお金を送りたかったです……。日本に来るために借りたお金を返したかったです。でも……、働いても働いても、お金は少ししかもらえなかったです」

「そんなわけないじゃろうが」

「仕事の時間、長いのは大丈夫です。先輩に怒られても大丈夫です。ご飯が少ないのも大丈夫です。お部屋がせまくても、さむくても、お風呂があまり少なくても、僕たちは大丈夫です」

「なんじゃと!」

 

「働いたお金がちゃんともらえるなら、僕たちは大丈夫です!」

 

 その場にいた島民の皆すべてが耳を疑った……。まさかどんな劣悪な労働条件や職場環境でこのモンゴルの青年たちは働かされていたのだろうか。

 はるか異国のモンゴルからはるばる日本のこの小さな瀬戸内海の島で、言葉もわからず働いて、それでも家族にお金を送り、その職業で身に付けた技術を母国へ持ち帰る決心を力に、自分より若いこの青年たちは成し遂げようとしていたんだ。

 

「おまえたちの衣食住にどれだけの経費が掛かってると思っとるんじゃ!」モノノケ社長が吐き捨てるように言い放つ。

「そうよ!」それに乗じるように女管理職が続く。「そもそも、そんな外国人の言うことを100%鵜呑みに信じれという方がどうかと思うわ! それに、そんな証拠どこにあるって言うのよ!」

 

 もう辺りは完全に日暮れていた。蛍さんや島の男たちが持ってきてくれた懐中電灯やランタンの灯りがゆらゆらと揺れる。それぞれの光がこの場の人々や木々を照らし、静かな山中を騒がしくしていた。

 

「ちゃんと、ありますよ」池浪が静かに言った。途端にあちらの顔つきが変わる。

「彼らは会社の寮を出る前に、しっかり契約書と給与明細、自分たちのタイムカードを持って出ていました」

「こぅぉんのぉぅやぁろぉぅ……、だぁれがそんなぁ入れ知恵をぉぉ……」その形相はやはりモノノケが相応しい。

 

「それは私です! 社長!」

 

 その言葉に、その場の全員が目を剥いた。

「もういいんですね。工場長さん……」自ら名乗り出て、それに加えて池浪が敢えて断りを入れたのは、この会社の工場長だった。

「オメエ! 裏切ったなあああ!」

 

「……ああ、言っちゃいましたね社長さん」池浪の表情は『ドヤ顔』だった。

? 裏切ったんですか?」

 なるほどだ……。さすが池浪。

「まさか、社内の人間には、法外な労働条件や給与計算を口止めしていたとか……」

「くぅそぉやろおぉぉぉぉ」その声はしだいに小さくなった。

「ですよね、工場長さん」

「はい。その通りです……。社長、もうやめましょう、こんなこと……」

「工場長!」

「工場長さん!」

 モンゴル青年たちは、工場長の元に駆け寄った。

「もう、いいんだ、おまえたち。ごめんな、辛い思いさせてごめんな。助けてやれなくてごめんな」

 工場長はその目から大粒の涙を流しながら、モンゴル青年たちの肩を撫でた。そして池浪が事のあらましを話す。

「ドルジさんやバータルさんの日本語がとても上手なのは、工場長さんが一所懸命教えて下さったからだそうです。そして彼らの仕事が少しでも長時間にならないように精一杯、仕事を教え込んでくれたことも、時々ご飯を差し入れてくれたり、こっそりご自宅のお風呂に招いてくれたことも、彼らはとても感謝しています。そして、もしも限界が来て、逃げる時に必ず持って行けと教えられた物を、彼らはしっかりと守っていました」

 工場長の涙は止まらなかった。今度はモンゴル青年たちが工場長の肩を撫でていた。

 

「彼らは日本で働くためだけに、派遣を仲介するモンゴルの送り出し業者に100万円近くも借金をして納め、日本で働きながら家族への仕送りと借金の返済に充てるつもりだったんです。なのになぜ週60~70時間も働いて、時給換算で一時間300円程しかもらえなかったのでしょうか? 衣食住を一般的に鑑みても、それはあまりにも非常識で驚きました」

 辺りは静まり返った。そのわずかな静寂の中、遠くで風のうなり声が聞こえた。

 

「あの、いきなりですまないが……、彼らはこの後どうなるんだい?」

 島の男たちの中から、突然この場の話しに割って入った男性は、かなり見覚えのある……ソノスジの貫禄を持ったおじ様だった。

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