水族館 フワフワ

 九月最初の週の学校生活を無事にこなした真実は、その週末の今日、妹の美奈と、お隣の綸と、その弟の宣と新江ノ島水族館『えのすい』に来ている。


 何故かって?

 綸のいとこの水本さんが、四月に入学祝いとして、綸にえのすいのチケットを二枚くれていたのだ。

 しかし綸は水本さんの期待に応えず、期限切れになる九月になってもチケットを使っていなかった。


 それを綸は最初、真実と美奈にあげようとした。

 丁度、真実が文化祭企画でえのすい絡みの話を出して、その担当になった話を聞いたこともあったからだ。


 すると美奈が、それは悪いから四人で行こう、と言い出したのだ。

 でも自分でチケットを買うと破産すると真実が言うと、美奈は要領よく母親から小遣いをせしめてしまった。チケット代だけでなく、飲食代や買い物代もだ。

 さすがは美奈だ。


 というわけで、今日は四人でえのすいだ。

 どう回るか、マップを開いて決めているところだ。

 美奈が口を開く。


「カピバラさんとお魚にごはんあげて、イルカショー観たい!」


 宣も負けじと主張する。


「ペンギンは? 俺ペンギン見たい! 絶対ペンギンショー観たい!」


 ペンギンとは。可愛らしい。


「真実はどうしたい? 深海の展示見るのが今日の目的でしょ?」


 綸が訊いてくる。気を遣ってもらっているようだ。


「うん。でも展示だし、ショー優先に調整して大丈夫」


 真実の答えを聞いて、綸がまとめに入る。


「じゃあ、午前中は屋外系回って、イルカショーの後で昼飯食って、午後は展示見よう」


 と決まった。

 九月とはいえ、休日だからか家族連れが多い。今日は一人ではないからか、変な寂しさはない。

 中学生の二人はどんどん先に行く。


「お前ら、はぐれんなよー」


 綸が親のようなことを言う。まぁある意味、今日の自分と綸は、あの二人のホゴシャか、なんてことを真実が思っていると


「うっさい。そっちがジジイで足遅いだけだろー」


 宣が振り向いて言う。


「かっわいくねー」


 綸が呆れて言う。真実も驚いて綸に訊く。


「宣て、あんな生意気な感じだったっけ?」


 宣とこんな風に遊ぶのは久しぶりだ。真実の記憶の中では、宣はお兄ちゃん大好きっ子だった。


「中学上がってから、ちょっと。背伸び気味」

「気味なんだ。はは」


 綸の変な表現に、真実は笑ってしまう。



 しばらく歩くと、カピバラが見えてきた。

 遠目に見るカピバラさんは、可愛かった。

 近づくにつれて


「……でかい」


「でかい!」

「デカイ!」


 美奈と宣が小学生のようにはしゃぐものだから、朝一でまだ本調子でないようなカピバラさんが、驚いているのが面白かった。

 お魚にも餌をあげ、ウミガメも見て、イルカショーの席を取る。


 前に座りたい! と主張する中学生二人を、今日は着替えもタオルも持ってきてないから、風邪引いたら大変だから、と何とかなだめて後ろの席に着かせる。

 少し親の苦労を体験した気がした。


 席が埋まっていき、ワクワクが高まり、遂にショーが始まる。

 久しぶりにショーを観る。楽しい。

 小さい子達がはしゃぐ。美奈と宣もはしゃぐ。

 真実も顔をキラキラさせ、イルカの動きを追い、楽しそうに時折手を叩く。

 綸はどちらかというと、そんな三人を微笑ましく見ていた。


 昼食もおいしかった。

 今日は小遣いがあるので、真実も美奈も容赦なくオーダーする。

 それに輪をかけた量のオーダーをし、食べまくる綸と宣が凄まじかった。

 本当におばさん、食費が大変そうだ。


 昼食の後は、宣の要望通り、ペンギンの水槽に直行する。いい場所でショーを観たいのだ。

 宣がこんなにペンギン好きだったとは、と真実は思う。

 お隣の幼馴染にも、知らない一面があるものだ。


 いい場所を確保できた。ショーが始まる時間だ。

 すると、ショーを行うトリーターさんは、水本さんだった。

 水本さんがこちらを見つけて、手を振ってくれる。真実達も手を振って応える。


 水本さんのペンギンショーは、面白かった。

 ペンギン達が可愛くて、そんなペンギンへのトリーターさん達の愛情が伝わってきた。



 中学生二人の要望を叶え、展示を見ていくことにする。

 夏休みに一人で来た時とは逆のルートになるので、まずクラゲの学術展示から見る。


 相変わらず、言葉、図、写真、標本、言葉、言葉、言葉。

 感想は、この前来た時と変わらない。


「なんか、ここクラゲの展示だけど、人間を展示してるみたいだよね」


 真実が綸に話す。


「はは。確かに。言葉の海ね」


 綸が分かってくれて、笑っている。

 分かってくれて、嬉しい。

 真実が続ける。


「うん。こういうの、一人で調べたんじゃなくて、蓄積してるんだよね。蓄積を引き継いだ人がまた蓄積して。なんか、圧倒される」

「そうだね。確かに。人間って、個体で生きてないって感じするよね」


 綸がいいことを言う。

 高校生二人がそんな話をしている間に、中学生二人は先に行ってしまったようだ。


「……あいつら。ほっとくか」


 綸が呆れている。

 真実は綸と一緒に見て回る。


 ヒョウガライトヒキクラゲ。日本の研究者が、2016年に再発見したヒョウ柄のクラゲ。

 ダイオウクラゲ。深海に生きる。体長10m。

 刺胞。高性能細胞。傑作中の傑作の細胞。

 クラゲの生活史。有精卵、プラヌラ、ポリプ、エフィラ。


「エフィラ……」


 真実がつぶやく。


「えふぃら?」


 綸が訊いてくる。聞こえていたようだ。なんか恥ずかしい。


「……うん。クラゲってさ、卵がクラゲになるんじゃないんだって」

「え? どういうこと?」


 綸に訊かれる。


「ちょっと間違えた。卵がかえっても、クラゲの形の赤ちゃんになるんじゃないんだって」

「へえ。じゃあ何になるの?」


 思いのほか、綸が興味を示してくる。真実はクラゲの生活史の説明を指差す。


「こんな感じ」


 綸が説明を読む。


「へー。じゃあ、イソギンチャクみたいになって、それから離れたのが、クラゲになるんだ。なんか、虫みたいだね」

「虫? 幼虫が蛹になって蝶になる、みたいなこと?」


 真実が綸に訊く。


「そう。最後は蝶だけど、そうじゃない形の時が二回もある、みたいな」

「……そうかも……。クラゲは三回みたいだけど。エフィラになるから」

「ああ、そっか。そだね」


 虫か。でもちょっと違う気がする。と真実は思う。

 だって蛹は、蛹の中で形が変わる。

 でもクラゲは、どんな形の時も海の中だ。


 でも、だから何なのだろう。

 どうして自分はこんなこと考えるんだろう。

 自分で自分が不思議だ。


「次、行こ?」


 綸に促され、学術展示を後にする。

 次は生きているクラゲの展示だ。


 フワフワ、フワフワ。


 相変わらず、不思議な空間だ。


「なんか、地球じゃないみたいだね」


 綸が感想を漏らす。

 分かる。

 同じ気持ちになる人がいて、嬉しい。


「うん。私もそう思う。不思議だよね」


 しばし、二人でクラゲの中にいる。

 中学生二人は、ここでも先に行っている。

 はしゃぐ小さな子もいなくて、静かな世界だ。


 フワフワ、フワフワ。


「クラゲってさ」


 ふいに、真実が口を開く。


「ん?」


 綸が応えてくれる。


「クラゲって、プランクトンだから、泳ぐことはできるけど、潮の流れには逆らえないんだって」

「へぇ。そうなんだ」


 また、静かな世界に戻る。


 フワフワ、フワフワ。

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