花火 江ノ電
「真実、はぐれんなよ。手」
人混みの中で遅れ気味な真実に、綸が手を伸ばす。真実はその手を掴む。
年に一度の花火大会。江ノ電は県内外からの客でごった返している。
花火大会の開始まではまだ時間があるが、今日の真実と綸と同じ考えの人達が、ちょっと遊んで且つ早めに良い場所を確保しようと、江ノ電に乗り込んでいる。
花火大会の日の江ノ電に乗るのは、真実は実は初めてだ。
これまで花火大会は、家族で車で来ていた。大会の会場近くの知り合いの家に、車を置かせてもらうのだ。美奈は今年もそうだろう。だから花火大会の江ノ電の混みように、真実は気後れしていた。
人にぶつかって浴衣を着崩さないようにとか、浴衣で腕を上げられないから吊り輪を掴めないとか、散々だ。今は改札に向かう人混みの中で、浴衣を着崩さないように慎重に歩く真実を気遣って、綸が手を繋いでくれている。
何とかして、やっと改札を過ぎた。もう二度と浴衣は着ない。真実はそう思う。
これが下駄だったらと思うと、恐ろしくて想像もしたくない。
「バス乗るべ」
綸に提案される。予定では、徒歩で江の島へ向かうつもりだった。
でも真実があまりにも浴衣で大変そうにしているのを見て、綸は見かねて助け舟を出してくれたのだ。
「ありがと。そうしてくれると助かる」
「うん。その方が楽だべ」
綸がニカッと笑う。
真実はホッとした表情を綸に向ける。
バスで江の島に着く。江の島も多くの客で賑わっている。
グウ~ウ~ウ。
真実と綸のお腹がなる。思いの外大変だった移動で、すっかりお腹が空いてしまったのだ。
二人で顔を見合わせて笑う。近くの商店街で何か食べることにする。
「はわぁ! みたらし!」
真実の目にみたらし団子が飛び込む。和菓子で一番、真実が好きな物だ。
「はは。真実ホント、それ好きだよね」
真実はみたらし団子を、綸は饅頭を買って食べる。疲れた体に、甘味が幸せだ。
しばらく通りをふらついて、エスカーで江の島の頂上のサムエル・コッキング苑へ向かうことにする。
エスカーは帰りは無いので、頂上まで登り切ってしまうと帰りの徒歩が長くなる。
綸はそれを心配してくれたが、せっかく江の島まで来たので、真実から島の頂上まで登りたいと提案した。
エスカー乗り場も混んでいる。一気に頂上まで行けば、エスカーで四分で着くそうだが、これも折角なので途中途中のお宮にも寄る。そして混んでいる。
頂上に着くと、もうすぐ日没だ。真実は、夕暮れの江の島は初めてだ。昼の江の島も久しく訪れていないが。新江ノ島水族館と同様、江の島も小さな頃に家族と来て以来だ。
「夕方だと、こんな感じなんだね」
真実が感想を漏らす。
「だね。花とか見るなら、もっと早く来ないとだったね」
綸が答える。でもいいのだ。真実は花を見たいわけではない。
「そだね。でも夕暮れだと、昼と雰囲気が違っていて、いいね」
昼の元気溌剌とした姿と違って、夕方の苑の植物たちは、静かに佇んでいる。
今日一日を振り返りながら、外の世界から自分の世界へと帰っていく途中のようだ。そして太陽は、最後の別れとばかりに、優しく世界を照らしている。
太陽が、どんどん薄らいでいく。オレンジ色からセピア色に、ピンク色、紫色。世界が移り変わる。
「綺麗」
真実がつぶやく。
「そうだね」
綸も、同じ気持ちのようだ。
二人でしばらく、その時を一緒に過ごした。
「展望台行くべ」
綸から声がかかる。今日はかなりの人出だ。展望台の入場は難しいかも、と覚悟したが、なんとか入れた。よかった。
「おお。結構凄い」
綸が感嘆の声を漏らす。暗くて海の様子はよく分からないが、江の島の対岸の灯りが綺麗に見える。花火の打ち上げ場所も見える。ここからだと、花火と一緒に流れる音楽は聞こえないだろうが、花火鑑賞には充分すぎる場所だ。
ただ寒い。秋だし、展望台だし。失敗した、と真実は思う。
これまでの家族と一緒の花火大会では、いつも母親が娘二人と自身に浴衣を着せ、そのまま出かけようとすると父親が、寒いから何か羽織りを持つようにと注意してくれていた。
今回真実は、それをすっかり忘れていた。羽織りを持ってこれば良かった。これはちょっとシンドイかもしれない。
綸が隣でゴソゴソしている。そういえば綸は、今日は珍しく大きなカバンを持っている。いつもは最低限の貴重品を服のポケットに入れるだけで、カバンは持ち歩かない男子だ。
「はい」
綸が何か出してきた。見覚えがある。これは綸のお母さんの肩掛けだ。
「寒い? 使う? 母さんに言われて持ってきたけど」
「おお、ありがとう。助かる。さすが、おばさん」
綸から肩掛けを受け取る。素直にこれは助かる。
「うん。カイロもあるよ」
なんと用意のいいことか。さすが、おばさん。
「あ、今は大丈夫。もっと寒くなったら、後でください」
「分かった」
綸はカバンを戻す。少し二人とも黙る。
「でも何で?」
綸が口を開いた。でも何が?
「何が?」
真実が訊き返す。
「必要ならさ、自分で用意するじゃん? 忘れることもあるとは思うけど、逆に頼まれてもないのにそこまで気ぃ遣われたら、なんか嫌じゃない?」
オウ。サスガ、シッカリモノノ綸様デス。
「だねー……。スミマセン。ウッカリシテオリマシタ」
気まずくて、真実は綸から視線を逸らす。
「それにさ」
綸が続ける。
「寒い? いいくらいじゃない?」
オウ?
「寒いよ! 寒くないの?」
真実はびっくりして訊き返す。
「うん。寒くない」
綸は、キョトンとしている。改めて今日の綸のいでたちを見る。
夏の頃と変わらず、厚着をしているわけではない。違っていることといったら、七分袖のジャケットをTシャツの上から着ているくらいだ。
でもそれも薄いやつだ。風にたなびいている。不思議だ。
「……そうなんだ。男子だから?」
それくらいしか真実には思いつかない。
「なのかな? まあ、うちも母さんはいつも一枚多く着てるし。女の人って大変だね」
うん。大変だよ。浴衣着せられるしね。
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