エフィラ

昊ガウラ

誕生日

 エフィラ。

 ポリプから離れて、広大な海に一人漂い始めたエフィラ。

 気分はどうだい?


**


 今日は真実まことの誕生日、つまり最低な日だ。


「まぁ見て! なんて可愛いの! 天使よねー。ほんと天使」

「ほらこれ! この時あなた凄く泣いちゃって」


 先ほどから、母親が真実の小さい頃の動画を再生し、顔をとろけさせ、はしゃいでいる。

 ついには静止画の塊も引っ張り出し、ゆっくりとページをめくっていく。零歳零ヶ月、零歳一ヶ月、零歳二ヶ月……。篠崎しのざき家の毎年のイベントだ。


 真実が九歳までは、このあと何名かの真実のクラスメイトがやってきて、誕生日会が開かれていた。でもいつしか真実は教室で存在感の薄い子どもになり、母親に言われても、自分の誕生日会に来てほしいとクラスメイトに頼むことはできなくなり、誕生日は家族だけで祝うようになっていた。


 そして今日、休日とはいえ、真実は朝から夕方まで塾だった。高校受験を控えた二月、追い込みが激しい。塾は休日でも制服だ。だから真実はまだ、中学の制服のまま、自宅のリビングのソファに座っている。


「あなた、この頃はほんと、何でも私たちがいないとだめで。何かとついて回って、何でも、ホントになーんでもよく聞いて…」


 このセリフはつまり、さっきの反抗的態度をなじっているのだ、と真実は理解する。

 でもそれは母親も悪い。


 というのも、塾から帰宅したら、もうこのイベントが始まっていたのだ。真実が前から、やらないでくれ、と母親に伝えてあったイベントだ。受験生だから、ともっともらしい理由もつけておいた。


 が、塾から帰宅して玄関のドアを開けてすぐに、母親のはしゃぐ声が聞こえた。補習で帰りが遅くなった真実を待てずに母親が始めたのだろう。「ただいま」と言った真実に、いつもの母親の元気な「お帰り!」も無かった。


 リビングで繰り広げられる光景を見た真実は驚き、抗議したが聞き入れらず、憤慨し、着替えに自室に戻ることもせず、そのままソファに座って怒りを持って母親の様子を眺めているのだ。


 母親がさっきから熱心に見ているそれらには、確かに沢山の真実が写っているが、それらはどうも、真実に『自分のもの』という感じを持たせてくれない。興味もない。だから、毎年それらが引っ張り出される度に、真実の中に苛立ちと嫌悪感が湧き出てくる。


 このターンの度に、真実はそれらの小道具を壊してしまいたい、燃やしてしまいたいという衝動に強く駆られる。


 が同時に、母が子に向ける当然の愛情のことや、育ててきた苦労のことも連想され、すると逆に、こんなことを考えてしまう自分のほうに嫌悪感が湧いてきて、どうにも実行に移せない。


 さらにその自己嫌悪に、かつて母に甘えていた頃の自分の記憶が拍車をかける。少し前まであんなに母親が好きだったのに、どうして今は違う? と。


 そして、こんな最低な人間が何故生きているのか、という疑問も生まれてくる。世には、当然の愛情を得られないどころか攻撃され、命を落とす境遇の人もいるのに。自分はなんと身勝手なことか、なんと我儘なことか、どういうつもりで生きているのか? と。


 そうして、最初は母親を嫌悪していた自分に、今度は死ねとばかりに強く責め立てられることになるのだ。


 でもすぐに「早く子離れしろババァ!」と罵倒したい衝動も同じくらい強く湧いてくる。


 真実の、微動だにしない体の中は、ブスッとした表情の下では、正反対の様々な考えが次々と湧いてきて、堂々巡りをし、それらが絡み合い、グチャグチャになる。


 自分が歪んでいく。息が浅くなり、肩が上下する。腕が自分を抱え、手が腕を掴み、指が腕に食い込み、叫んで、とにかく叫んで、正気を失いたい衝動に駆られる。


「どうしたの真実? またそんな怖い顔して。今日はあなたの誕生日でしょう? せっかくこうやって『みんな』であなたのことお祝いしているのに、どうしてそんな失礼な態度ができるの?」


 母親はもう、オブラートに包むことなく直接、不快感を示してくる。

 

 母親は『みんな』というが、確かに中学一年の妹の美奈は、真実と同じソファに座ってはいるが、ずっとつまらなそうにジュースを飲んでいる。


 父親も同じくリビングの別のソファに座り、口元には微笑みを浮かべているが、困った、という気持ちでいるのが見て取れる。決して母親と同じテンションでこの場にいるのではない、ということが伝わってくる。


 毎年のこの最低なイベントを楽しんでいるのは、母親だけだ。


「……。分かんない」


 真実は、何とか絞り出す。

 うぜぇんだよババア! と言ってこの場をぶち壊したいのが本音だが、そんな自分を想像して、情けない、と思うのも本当の気持ちだ。

 いつも違う気持ちに引き裂かれ、身動きが取れなくなり、何怒ってるの? と勘違いされるというのがこのところの真実のパターンだ。


「分かんないって……。あなた、おかしいわよ? 前は楽しかったのに。このところ、あなたのせいで全然楽しくない。何がそんなに不満なの?」


 母親はいよいよ、剥き出しの本音をぶつけてくる。


「……」


 真実は何も言うことができない。傍にあるクッションを掴み、引き寄せる。片方の手でクッションを抱え、もう一方の手に頬杖をつき、誰もいない空間を目つめる。


「はぁ。もういいじゃん、ご飯食べよ?」


 美奈が提案する。


「そうだね。ご飯にしようよ」


 父親も同調してくる。


「分かりました。じゃあ、ご飯食べましょう。美味しく食べられる気がしないけど」


 母親はイチイチ嫌味だ。怒りがあることが伝わってくる。

 真実も一緒に食卓につく。母親の手料理は、相変わらずうまい。真実は、先ほどまでの苛立ちと自己嫌悪とは別腹、とばかりに沢山食べる。


 食事が一通り終わり、バースデーケーキのターンになる。

 母親が出してきたケーキは、母から娘へ伝えられてきたという伝統のフルーツケーキだ。

 真実が口を開く。


「なんで?」


 怒る顔を母親に向ける。


「私は、チョコレートケーキが好きだって、言ってるじゃん」


 母親が、またそれか、という顔をして答える。


「真実がチョコケーキ好きだってことは知ってます。言ってるでしょ? これがウチの伝統なの。さあ、ロウソク消して」


 母親がローソクの灯ったケーキを食卓に置く。

 真実は食卓についていた両手を拳に変えると、勢いよく席を立つ。


「知らないよ! 何だよ伝統って! 純日本人のクセに! ほんとに江戸より前からそのケーキ焼いてたのかよ? そのまっずいケーキ焼くようになったの、せいぜい近代に入ってからだろ? ふざけんなよ! 気持ちワリィんだよ!」


 やってしまった。真実の中に嫌悪感が湧き起こる。

 母親は、頼んではいないけれども、長い時間と手間をかけて今日の料理とフルーツケーキを用意してくれたのに。

 フルーツケーキも好きではないが、食べられないことはない。料理はあんなに食べておいて、ケーキぐらい仕方ないって感じで少し食べればいいだけなのに。


 母親は突然の罵倒に、すぐには反論できないでいる。怒りで体が震え、顔が赤くなる。


「……なんてこと言うの! あなたのお祖母ちゃんに謝りなさい!」

「うっさいな! なんで祖母ちゃんなんだよ!」


 真実は両手を拳にしたまま、肩を上下させ、母親を睨みつける。

 そんな真実に、母親は一歩も引かないという強気の態度を見せるが、同時にその内心が酷く傷ついているのが伝わってくる。


 父親は、この状況を収める方法を探しているようだが、オロオロするばかりで何もできないでいる。


 そんな様子を見ていた美奈は


「……。はあ」


 溜息をつく。


「じゃあ、真実ちゃん! ハッピーバースデー!」


 と美奈は変に明るく言うと、フーっと、十五本並んだロウソクの火を消す。


「美奈! あなた!」


 母親が驚いて美奈を咎める。母親はセリフを継ごうとするが、その間もなく


「食ーべよ」


 美奈は、フォークを持った手をフルーツケーキに伸ばし、突き刺す。


「ちょっと! 美奈! お行儀悪い!」


 母親が美奈を叱る。


「真実ちゃん、おいしいよ。まずくない。食べよ?」


 美奈がケーキを口に頬張りながら、真実を見て言う。


 そんなこと言われなくても、嫌というほど分かっている。

 居たたまれなくなり、真実は二月ということも忘れ、何も持たずに制服姿で家を飛び出す。

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