夜の海

 夜の海は黒い。

 寄せては引く、波の音が続く。

 海の上には濃紺の星空が見える。

 星空を見ると、真実まことはいつも考えてしまう。


 どうして、この宇宙からしたらこんなにもちっぽけな地球なんかに、生命は生まれてしまったのだろう。

 どうして、太古の地球の海に、DNAを持つ有機体が生まれてしまったのだろう。

 最初の細胞はなんで、分裂なんてことをしてしまったのだろう。

 細胞分裂さえ起きなければ、自分はここにいずにすんだのに。

 

 ああ。デススターを持って太古の地球に行けたなら、その砲撃で溶解する地球を見ながら自分も消えていけるのに。




 夜の海岸で真実は、そんなことを考えながら制服姿のまま膝を抱え、抱えた膝に顔を埋めて寒さに震える。

 二月の海は寒い。でも今は、真実の頭の中は別のことに占拠されていて、寒さのことはまだメインタスクに上がってこない。

 そうしていると、思いもしない声で名前を呼ばれた。


「よ。真実」


 驚いて声のする方を見る。りんだ。真実の家の隣の住人。真実と同い年の男の子だ。手にはコートを持っている。

 綸は真実の傍に来ると、真実にコートを被せてくる。真実のコートだ。寒さが和らぐ。


「どしたん?」


 綸が、真実の隣に座る。

 真実は綸から顔を逸らすと、また膝に顔を埋めて答える。


「……親と喧嘩した」

「らしいね」


 綸も真実の方は見ず、海の方を見て答える。

 らしいとは? 真実は顔を上げ、綸の方を向く。


「聞いたの?」

「いや。真実の家に行ったら、そんな感じだったから」


 家に行った? なぜ。


「家に行った、て? なんで?」

「ん?」


 綸が真実に顔を向け、真実と目が合う。


「勉強してたら、真実が飛び出すの見えたから。何も羽織ってなかったし」


 綸が続ける。


「だから、真実んち行って、コート預かって、ここ来た」


 綸も同じ受験生なのに。この寒さの中わざわざ外出してくれたのか。有難いな。でも礼は言いたくないな、と真実は思う。


「別に……。いいのに」


 真実が目を逸らす。


「寒かったくせに」


 綸に茶化される。


「真実さ、ここんとこ誕生日嫌いだよね。子どもの頃は誕生日会とか、楽しそうにやってたのに。なんで?」


 綸に訊かれる。真実は黙り、しばらく考える。


「自分じゃ、ない感じがするから。かな」

「自分じゃない感じ?」


 綸が、よく分からない、という顔をしている。


「母さんがさ、私の赤ちゃんの頃とか、ホントに子どもの時の映像とか写真とか出してきて、あの時あんなことがあった、こんなこともあった、とっても可愛かったって、話すんだもん」

「何それ? 今は可愛くないって言われてるみたいで、嫌ってこと?」


 綸が呆れた顔をしている。そうじゃない。


「そうじゃなくて! そうじゃなくてさぁ。分かんない? そういうのってさぁ、『自分』て感じしないじゃん……。自分も小学生の時とか記憶あるよ? 誕生会楽しかったとか、お母さんが好きで、お母さんに褒められたら嬉しかった、とか。でも、もう違うじゃん? なのに、子どもの頃のこと今だに言われて、なんか、重ねられてもさ……。よく分かんないど、嫌なんだよ……。綸はそういうことないの?」


 綸が考え込む。綸は言葉を探すように、話し始める。


「うーん……。まあ、そういうこと言う大人はいるよね……。でも俺の親はそういうこと言わないし。自分も、昔の自分から成長して今の自分、て思ってるかな? ごめん。よく分からん」


 けど、と綸が続ける。


「けどまぁ、おばさんはそんな感じかもね。真実のお母さんって、『お母さん』て感じする。俺んとこはサバサバしてるけどさ。でもそれって、それだけ愛情深いってことじゃないの?」


 そうかもしれない。でも


「……そうかもだけど。気持ち悪いもん……」


 真実はそういうと、また膝に顔を埋める。


「気持ち悪いって」


 綸が苦笑する。

 二人でしばらく波の音を聞く。


 真実が口を開く。


「なんでさ、細胞ってさ、分裂したんだろね」

「分裂? だいぶ飛んだね」


 かなり飛んだ話を始めた真実に、綸が面食らっている。


「うん。昔の地球の海でDNAが出来ちゃったのは仕方ないけど、細胞分裂が起きなければ多細胞生物はいなくて済んだでしょ?」


 真実は、いつも星空を見ると考えてしまうことを、綸にポツポツと話す。

 そんな真実の話を、綸はとなりで最後まで聞いてくれた。


「それは。考えたこと無かったけど」

「そうだよね……。フツー、そんなこと考えないよね。考えても意味ないっていうか」

「うん。手遅れだね。残念だね」


 綸が真実を憐れむように言う。

 残念、か。人が思い切って話したのに、こいつは。


 風が吹く。


「さっぶ。帰ろうぜ、真実」


 綸が立ち上がる。


「……うん」


 真実も立ち上がる。さすがに寒い。


「うー。寒い」


 綸がつぶやく。

 二人とも体を丸め、トボトボと夜道を歩く。


「お、自販機」


 綸が道沿いの自販機を見つけ、駆けて行く。

 自販機のディスプレイは、さっきまで見ていた漆黒の海とは反対に、煌々と明るい。

 真実は、その灯りに見とれて立ち尽くす。


 綸が何かを買って、真実のところに戻ってくる。


「あげる。プレゼント。誕生日おめでと」


 綸からホットココア缶をもらう。


「……。ありがと」

「お、素直!」


 綸が茶化す。ココア缶が暖かい。綸はブラックコーヒー。かなり前から綸はそれだ。


「うっさい」


 二人それぞれ缶を開け、飲みながら歩く。


 二月の夜は、本当に寒い。

 時折、北風が吹き抜ける。

 ふと真実は立ち止まり、夜空を見上げる。

 冬空は、いつもより星が見える。


「星、綺麗だな」


 綸がつぶやく。


「……そうだね。綺麗」


 遠くの恒星たちが、いつになく瞬いていた。

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