下校

 腹が減った……。


 進学校の長い一日が終わり、真実は重い足取りで下校する。あまりに空腹で、快活には歩けないのだ。

 そうだ、商店に寄ろう、と思い付き、財布の中身を確認する。十円玉が三枚と一円玉がちらほら。一番コスパが良い駄菓子は何だろうか、と考えながら真実は歩く。


 商店についた。


「おう、いらっしゃい。真実ちゃん」


 店主のおじちゃんが声をかけてくる。

 気のいいいその挨拶に返すことなく、真実は最初に目についた、うまい棒三本を取ってレジへ向かう。


「三十二円だね」


 そう言われても、真実はまだ何も返さない。ただ無言で財布を出し、開く。


「あ……」


 十円玉三枚だと思っていたのだが、その内の一枚が五円玉だったのだ。


「二本で、いいです……」


 やっと、真実が言葉を発する。


「あいよ。じゃあ、二十一円ね」


 うまい棒二本を買うと、買えなかった一本も持って、真実は店の出口へ向かう。

 買えなかった一本を元の場所に戻し、店先の椅子を目指す。

 やっとの思いで椅子に座れると、急いでうまい棒の袋を開け、かぶりつく。


「どうね。最近学校は」


 店主のおじちゃんが、店から出てきた。

 うまい棒で口をモグモグさせながら、真実はおじちゃんの顔を見上げる。


「腹減ってんのか?」


 おじちゃんが訊いてくる。

 コクン、コクンと、うなずきで真実は返事する。


「うまいか?」


 コクン、コクン。返事をする。


「午後は、おにぎりが無いから、すごくお腹が空くんです」


 うまい棒二本を食べ終え、真実はやっと、言葉を口にする。


 真実の母は、いつも弁当箱の上に、おにぎり二個を包んでくれている。

 午前中に一個、午後に一個という計算の二個なのだが、真実はいつも空腹に抗えず、早朝講座が終わって一個、二限目後の休み時間に一個食べてしまうので、午後には空腹を紛らわせるものがなくなっているのだ。


「そうか。高校生は大変だな。ははは」


 おじちゃんが楽しそうに笑う。


「中学ではそんなに空かなかったのに。なんか、すごくお腹が空くようになって」

「そりゃ真実ちゃん。中学の時はもっと早く学校終わって、店、来てたじゃないか」

「あ。そっか。今は六十分授業が午後に三つ……」


 高校に入学して二か月。四月は身体測定などのイベントが多く、授業も五限目までしかなかったのが、五月の連休明けからは授業が本格化。六限目が常態化し、真実の午後の空腹も常態化している。


「学校、大変か?」


 おじちゃんが訊いてくる。


「学校は、まだよく分かんない。勉強は、中学よりずっと難しいけど、同級生は落ち着いてるから、人間関係はラク」


 真実は、ポツリ、ポツリと話す。何故なら、少し紛れはしたものの、空腹ではあり続けているからだ。


「そうか。母ちゃんとは、うまくやってるか?」


 おじちゃんが、別角度から訊いてきた。


「母さんとは……。分かんない。なんか……。よく分かんない」


 うまく言葉にできない。空腹ということもあると思うが、頭の中に色々な言葉が生まれてきて、どれを言うべきか、言ってはいけないか、判断がつかない。


「真実じゃん? おじちゃんも」


 綸だ。


「なに話してんの?」


「おう、綸。お前、学校どうだ?」


 おじちゃんが綸に訊く。


「うん。進学校て感じ。何? 深刻な話? 真実また何か大変なの?」


 なぜ綸はこんなにも元気なのだろう。同じ学校に通っていて、綸の方が男子でカロリー喰うはずなのに。授業全部寝てるのか? などと真実は勘ぐる。


「いや。腹減ったんだって、真実ちゃん。お前はそうでもないのか? ちゃんと授業起きてるか?」


 真実が勘ぐっていることを、おじさんが訊いてくれた。


「え? そんなことしないよ、大学行きたいし。弁当二個とおにぎり四個、ちゃんと持参」


 綸が駄菓子を選びながら答える。

 そうか。元気なのは、ちゃんと食べるが大事、てことか。そして駄菓子も食べるんだな、と真実は思う。


「おじちゃん、決まったー」

「あいよ」


 綸に小学生のように呼ばれて、おじちゃんはレジに向かう。

 それを見て真実は立ち上がり、店の中に声をかける。


「じゃあ、おじちゃん。ありがとう」


 これ以上ここにいると、また空腹で動けなくなりそうだ。


「じゃ、おじちゃん。また~」


 綸もそう言って、店から出てきて真実に追いつく。


「一緒に帰るべ」

「……うん」


 真実が力なく答える。


「なに。腹減ってんの?」

「うん……。もう、やばい」

「恵んだげる」


 綸が、さっき真実が買えなかった味のうまい棒を出してくる。


「ありがと……」


 歩きながら、真実はガッつく。


「なに? おばさん、あんまり弁当入れてくんないの?」

「……そんなことないけど」


 真実は綸に、おにぎり二個のことを話す。


「じゃあもう一個、お願いすればいいのに」

「……」


 それは今日、商店のおじちゃんと話していて気づいたのだ、と心の中で真実は反論する。四月までは大丈夫だったのだ。自分が、何かおかしいと思っていたのだ。


「だって。それまでこんなこと無かったし」


 真実が少し、不機嫌そうに答える。


「うん。なー、成長期って、大変なー」


 ヒヒヒ、と綸が茶化してくる。真実は、ムッとする。

 綸にムッとしながら、でも母親にこんなお願いするのは嫌だな、と真実は思う。おにぎり一個くらい、朝自分でやるか。でも自分でやってたら何か言われるかな、なんてことを考えていたら


「おばさんに言うの嫌なら、自分で作れば?」


と、真実の考えを見透かしたように、綸が提案してくる。変に鋭いヤツだ。


「分かってるよ。考えてる」


 真実が不貞腐れて答える。


「ホントに~? もう恵んだげないよ?」


 綸が茶化す。ホント、ヤなやつだ。

 そんな遣り取りをしながら歩いていたら、家の前に着いていた。


 お隣の綸と別れて、真実は家の玄関のドアを開ける。


「ただいまー……」

「お帰りー!」


 母親が、元気いっぱいの返事をする。それを聞いて真実は、ここにも元気がいる、なんてことを思う。


「どうしたの真実、お腹痛いの?」


 腹を抱えてゆっくりと歩く真実を見て、母親が訊いてくる。

 ちげーよババア! 腹減ってんだよ! これくらい親なのに分かんねえのかよ! と罵倒したい衝動に真実は駆られる。母親の気遣いの一言が気に障ったのだ。


 どうして自分はこんなにも攻撃的なのだろう。母親は気遣ってくれただけなのに、なぜこんなことくらいで苛立ってしまうんだろう。

 母親への苛立ちと、自分を情けなく思う気持ちで、真実の中はグチャグチャになる。


「……大丈夫。お腹空いただけ」


 母親を罵倒したい衝動をなんとか抑え、真実が答える。


「そうなの? お昼足りなかった? おにぎり増やす?」


 渡りに舟の言葉だ。でもさっきまで、自分で朝、おにぎりを作る計画を立てていた。


「……いいの? 自分でも作れるけど、作ってくれたら、助かる」


 言い訳がましい。自分で作れるって何なんだよ? 何様だよ? 自分が責め立ててくる。


「いいわよ。じゃあ、明日から三個。それで足りなかったら四個、でいい?」


 母親が嬉しそうに訊いてくる。


「うん。……。お願い」


 だからそれぐらい自分でやれよ! と自分に責め続けられ、胸が痛い。腹、というか胃も空腹のあまり痛くなり出した。


「胃が痛い……。お腹空いた……」


 思わず口にする。


「まあ。じゃあ、お茶漬け食べなさい? 作るから座りなさい」


 母親に促され、食卓につく。

 食卓につくと、上半身の姿勢を維持するのも辛くて、突っ伏す。九十度違う角度からリビングを見ながら、真実は思う。


 兎にも角にも腹が減った。母親への苛立ちとか、そんな母親からのおにぎり増量助け舟にすぐ飛び乗った自分を責める気持とか、何も起きない。空腹のことしか考えられない。

 体が極限状態に近づくと、変に悩まないでいられるのだな、と真実は思う。


 その様子を見ていた美奈が、真実の傍に座る。


「真実ちゃんさ」

「……何?」


 息も絶え絶えに真実が相手をする。


「お腹空くと大人しくていいよね」

「うっさい」


 二人の遣り取りを聞いていた母親が、フフフ、と笑った。

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