夏休み 三者面談
真実と綸が通う高校は、夏休みに入った。
夏休みといっても、前半と後半に二週間ずつ講座が組まれていて、実質的にはその間の二週間しかない。その二週間にも、三者面談が組まれている。
一年生の三者面談では、大まかな進路の話をして、文系か理系の選択を相談する、と先生が言っていた。だから、各自よく考えて決めておくように。
話が違う。
真実は、久しぶりに怒りを覚えた。
真実は、この高校は志望していなかった。
フツーの高校生をしたい、と思っていた。
少女漫画に出てくるような、部活したり、放課後遊んだり、週末はオシャレを楽しむジョシコーセー。
授業はホドホド、成績もホドホド、サボりなんてこともしてみたかった。
その先の進路なんて、知らない。
幼いころからずっと、よく分からず優等生をやってきて、やっと自由が手に入りそうなのだ。息苦しい毎日は中学までにして、早くオサラバしたかった。
でもそんな淡い夢は、打ち砕かれた。
中学生の「優等生の」真実が進学校を希望していない、と知ると、真実の母親は様々な論拠で、真実を説得にかかった。
一つ。せっかく徒歩圏内にいい学校があるのに、交通費を使って別の学校へ通うのは贅沢。
一つ。いい成績なのに、それを活かさないのは損だ。行きたくても行けない子に失礼。
一つ。上の選択をして後に下を選ぶことはできるが、その逆は無い。現状で最高の選択を。
一つ。高校で交通費をかけなければ、その分を大学進学など別の可能性に使える。
一つ。制服が可愛い。
一つ。高卒と大卒の生涯獲得賃金の差がある。やりたいことが出てきたときに、より多くの選択肢がある方がいい。やりたいことは、高校で考えればいい。
理論的かつ、制服が可愛いとか感情にも訴えかける母親の粘り強い説得に、やりたいことは高校で考えればいい、という救いに、中学生の真実は結局、進学校の高校への進学を決めた。
だから、高一の最初の夏休みを迎えた真実は、怒っていた。
帰宅すると真っ先に、真実は母親のもとに向かった。
カバンから三者面談のお知らせを乱暴に取り出して母親に突き出し、冷たく言い放つ。
「話が違うじゃん」
母親は、真実が突き出した三者面談のお知らせを手に取り内容を確認すると、怒り顔の真実に向かって、涼し気に話し始める。
「だって進学校なんだから、そういうものよ。二年には文系か理系かでクラスもカリキュラムも変わるんでしょ? 夏休みで決めるっていうのは早い感じがするけど、とりあえず仮決めして、最終決定で焦らないように考える期間を置いてね、ていう学校側の配慮じゃないの」
母親がなんとも言えない、勝ち誇ったような顔をしている、と真実は感じた。
「私、この学校、志望してなかった。やりたいことは高校で考えればいいって、そっちが言ったよね?」
「そっち? 悪い言葉遣いしないで。お母さん、でしょ」
母親がムッとして答える。
「文系か理系って、何?」
真実が怒りを隠さずに言うと、母親が、これからの荒れを予想して防御体勢に入った、と真実は感じた。
「何言ってるの。分かってること、わざわざ聞かないでよ。で、真実はやっぱり文系?」
「違う。やりたいことは高校で考えればいい、て私は言われたの。何あの学校。全部大学進学前提で動いてるじゃん。他の進路だってあるよね? でもそんなの、話題にするだけで人間じゃないみたいな、何あの雰囲気!」
真実が母親に詰め寄る。母親は、一歩も譲らない、という覚悟を醸し出して答える。
「そりゃ進学校なんだから、大学進学の進路以外無いじゃない。それ以外の進路までカバーしてたら、進学校じゃないわよ。真実は今、そういう学校にいるんだから、それに合わせてやっていくしかないじゃない。そうやって、学校が出す課題をこなしながら、自分の進路を考えるしかないじゃない。お母さん、間違ってること言ってる?」
間違っている。
真実の怒りの火に油が注がれる。
私を騙した。
どこかで、母親は子どもの味方だ、と信じていたのに。
この女は、自分の子どものやりたいこと探しにつき合う気は、さらさら無いのだ。
自分がそうだったように娘を進学校に通わせて、自分と同じように大学にやって、安心したいのだ。
大卒の生涯獲得賃金?こいつは自分を働かせる気もないだろう。
女がやりたいことなんて、あるはずが無いと考えているのだ。
いや違うか。『母親』こそ、女がやりたいことだとこの女は信じているのだ。
でも、進学校進学を決めたのは自分だ。
もっと抵抗することもできたが、母親の言うことにも一理あると思って、よく調べもせず、やりたいことは高校で考えられるのだ、と母親の言うことを信じたのは、自分だ。
真実の動きが止まる。
その中で様々な気持ちが沸き起こる。
母親への怒りと自責の念と後悔と、理性と諦めと死への憧憬と自分を今ここに置いている全てへの憎しみと。
もう何が何だか、葛藤の坩堝で、グチャグチャだ。
しかし母親は、そんな真実の内面の嵐のことなど、知らない。
「お母さん間違ってないわよね? 真実は成績から見ても、文系のお勉強好きだし、女の子なんだし、文系でいいのよね?」
母親は、久々に完全に勝った、という顔で真実に言う。
女の子。仮説が検証され、絶句して真実は、二階の自室に向かった。
**
三者面談当日、真実達のターンだ。
所定の流れに則って、教師が学校での真実の様子を母親に話し、談笑で〆ると、話は進路に移った。
教師が、志望校は決まっていますか? と訊く。
母親が不機嫌な真実を一瞥して、まだそういった具体的な話はできていません、と答える。
「いい男をつかまえられる学校です」
真実が口を開く。
教師が、え? という顔をする。教師に悪いな、と真実は思うが続ける。
「だから、いい男をつかまえて、結婚して、母のような専業主婦になって、母のような女の子の孫を再生産できる大学が、母の志望校です」
教師がとても困惑している。ホントに悪いな、と真実は思うが、事実なのだから仕方ない、とも思う。
隣から母親が
「何言ってるの。あなた……」
と言ってくる。驚いているのか怒っているのか、それ以上の言葉を失っている。
「なので先生、適当にどこかないですか? 候補って、出していただけるんですか? あ、母と同じ大学でいいです」
痛々しい沈黙が教室全体を覆っていく。
教師がどうにかしようと、口を開く。
「ええっと。では……。お母様の出身校を伺っても、よろしいですか」
「真実! あなた!」
母親が、珍しく人前で声を荒げる。
「なに?」
真実が不機嫌な顔を母親に向ける。
「……。今日は、あなたの、進路の、相談でしょ。せめて、文系が好きか、理系が好きか、希望はないの? それで二年生からの授業が決まるんだから。嫌な授業より、好きな授業を受けた方がいいじゃない。違う? お母さん、間違ったこと言ってる?」
母親は爆発することなく、努めて冷静を装っている。この場をなんとか収めよう、という意志が伝わってくる。
「ハハハ」
真実は乾いた笑いを返す。
「ええっと……」
教師が苦笑いする。
「文系でいいです。先生、すみませんでした。今日はありがとうございました」
真実は席を立つ。
「本当に、お見苦しいところを、すみませんでした。ありがとうございました」
力無くそう言うと、母親も席を立ち、教師に頭を下げる。
「はい。時間はまだありますから。どうぞ、ご家族で話し合いを続けられてくださいね。私も、相談に乗りますから」
何とか乗り切った、そんな表情で教師がお決まりの文句を言って、三者面談は終わった。
あの先生、変な爆弾にあたったなー、とか思ってるんだろうな、なんてことを考えながら、真実は帰り道を歩く。
少し遅れたところを、母親が歩いている。
真実は教室から一度も母親を振り返らない。だから、母親がどんな表情でいるのか、想像もつかない。
真実は、ふと思いついた。
「夕飯までには帰るから」
駅への道を歩き出す。
「え? どこ行くの?」
後ろから母親の声がかかる。
「今夏休み。どこ行ったっていい」
真実は振り返らず、駅への道を歩いていく。
母親からは、それ以上は無かった。
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