夏休み どこへ?

 どこへ行こう。


 駅に着いたら、どの電車に乗ろう。

 自分の母親が、あんないかにもな日本の中流家庭の『母親』だったなんて。

 自分も自分で大人気ない。

 先生に悪いことした。

 

 大学なんて行かなくていい。

 働けばいい。

 でも、どんな仕事をしたいのか見当もつかない。

 こんな気持ちで働いても、雇い主にとっては迷惑な話だろう。


 駅が近づいてきた。

 どうしよう。

 どうせなら突拍子なとこへ行きたい。

 でもそんなの思いつかない。



 考えが堂々巡りを続ける中、歩き続けると駅に着いた。ICカードで改札を通り、ホームに突っ立つ。


 風が通り抜ける。


 ふいに泣きたくなって、しゃがみ込み、手で目を抱え込む。

 涙が滲んでくる。でも流したくはない。


 必死に自分をコントロールしようとする。ここでこれ以上こんなことをしていては、目立ってしまう。目立って、誰かに心配されて、声をかけられたりはしたくない。早々に立ち上がらなければ。


 そう、強く思って立ち上がった。

 なんとか泣かずにすんだ。

 すると、ある風景が脳裏に浮かんだ。

 子どもの頃に行った水族館だ。

 夏休み、水族館で楽しくはしゃいだ記憶。


「水族館行こう」


 つぶやくと、真実は電車に乗った。


 電車が動く。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 夏休みだからか、観光客と思われる客が多い。

 小さな子どもを連れた、家族連れも多い。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 車窓から景色を見る。

 穏やかな日だ。空も、海も、そこで遊ぶ人たちも楽しそうで、和やかだ。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 電車が、水族館の最寄り駅に着いた。


 新江ノ島水族館に着くと、チケット売り場の料金ボードを見て、真実は途方にくれていた。


 高い。

 水族館って、こんなにするんだ。


 真実は徒歩通学ということもあり、お小遣いがほとんど無い。

 真実の家では小遣いは基本、使いたい時にお願いしてもらう申告制で、使った後も会計報告して、残高を返却しなければならない。

 とても息苦しいから、真実は滅多に小遣いをねだらない。唯一自由に使える正月のお年玉を、大事に大事に使っている。


 水族館って結構するから、みんなフラっと来たりしないんだな。だからデートとか、イベントで来るんだ。そんなことを考える。


 もう帰ってしまおうか。水族館の入り口まで来て、この雰囲気を味わえただけでもよしとして。でも母親とあんな喧嘩をした後で、家に帰るのは嫌だ。

 なら街に出て遊ぶか。でも金も無いのに何をして? 図書館、に行くのもな。今は学校関係からは離れたい。


 そんなことを思案して、チケット売り場前の広場をブラブラしていると、声がかかった。


「真実?」


 聞き慣れたような、慣れてないような声だ。

 真実は、辺りをキョロキョロと見回す。


「真実!」


 水族館のスタッフらしい、作業着を着た人物が手を振って近づいてきた。

 確か綸の、一回り年上の、いとこだ。


「水本さん? ……なんか声、違ってません?」


 ニカッ、と笑って近づいて来る水本に、真実は挨拶もせずに訊いてしまう。


「あー、これ。喉の調子悪い時にショーで声出してたら野太くなっちゃってさ。そんな違う?」


「はい。綸かな? て思いました」


 真実は素直な感想を述べる。


「はは。そっか、綸か。どう? 元気してる? 同じ学校なんだって?」


 水本が明るく訊いてくる。


「はい。綸は変わりません。毎日おっきな弁当二個とおにぎり四個、学校に持参してて」


 思い出して笑いそうになる。

 弁当箱というより、でっかいタッパーにご飯とおかずがギューギューに入れられた弁当を二個と、でっかいおにぎり四個。

 実物を見た時はびっくりしたし、更にそれが放課後には綺麗に無くなっているのを見た時は、驚きを通り越して笑えてしまった。


 箸が転んでもおかしい年頃というが、思わぬところで大笑いをする真実を見て、綸は、ニーッとして、ヒヒヒ、と笑った。


「はは。そっかー、成長期だねー。おばさん食費大変だ。はは」

「あはは」


 久しぶりに、真実も楽しく笑う。


「今日はどうしたの? 彼氏待ち?」


 水本が明るく訊いてくる。不意打ちだったので、真実は思わず、どぎまぎしてしまう。


「いえ。そんな、ことでは、なくてですね。彼氏はいなくて、一人なんですけど、入場料が、高いな、て」


 ははーん、という顔を水本がする。


「そういうことなら、私が出してあげるよ」

「いえそんな! いいです! 高いですし! 今日は来ただけでも満足っていうか……」


 思わぬ申し出に、あわあわと慌てる真実を見て、水本が笑う。


「いいって! こういう時のために、私は金、貯めてんだから。三十も過ぎて独身で趣味も無いでいると、金使うことホント無いのよ。今日は久々に友達と遊ぶ日みたいなもんよ。若いもんが遠慮しなーい!」


 そう言って、真実の肩をぽんぽんと叩くと、水本はチケット売り場へ行き、真実のチケットを買ってしまった。


「あの、でも、ほんと、悪いです。このお金は、ちゃんと返します」


 真実が恐縮していると、水本がニカッと笑う。


「はは。その畏まった感じ真実らしい~。いいから、今日は好きに遊んどいで。私は仕事だから一緒に回れないけど。一人で大丈夫だよね」


 水本が訳知りな感じのことを言う。


 真実は、不思議な感じを覚えた。

 この気持ちが何なのか、分からない。

 自分の味方をしてくれることが、それとなく伝わってくる。でも、自分の傍にぐいぐい入り込んでこようとはしない。だからって無関心なわけではなくて。


 真実が考え事のために動かないでいると、水本が真実の肩を叩く。


「ほら、行っといで。中でいっぱい、ぼーっとできるからさ」


 水本のニカッと笑う顔を見て、真実は歩き出した。


「じゃ~ね~」


 振り返ると、水本が手を振っている。

 水本に手を振り返し、真実は入場ゲートを通った。

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