篠崎真実は、素直でクソ真面目だ。

 転じて不器用だ。妹の美奈は要領いいのに。


 真実も、人並みの子どもではあった。

 一人で人形遊びもすれば、俺たちと外遊びをするのも好きだった。

 美奈とのままごとにも、よく俺と宣を無理やり参加させていた。

 普通に素直で、元気で、利発な子どもだった。


 真実の母親のことで覚えているのは、夏の蝉取りだ。

 蝉取りをしたことが無いという真実と美奈と、宣のヤツも一緒に四人で蝉取りをした日、家に帰ると、真実の母親が家の前で待っていて、どんな遊びをしてきたのか訊かれた。

 素直に「蝉取り」と答えると、説教が始まった。


 真実の母親の嫌なところは、子どもを叱る時に、ただ自分の価値観をぶつけて、そこで満足したりはしない、というところだ。


 蝉さんは短い命を精一杯頑張って生きているんだから優しくしましょうね、までなら分かる。

 それが普通の大人の説教だ。

 でも真実の母親は、洗脳するように、正しい道徳観を持つ素質が無いのは哀れだとばかりに説教してくる。


 蝉さんの気持ちになってごらん? 嫌でしょう? 自分でも嫌だと思うのに、あなたはそれをするの? あなたは自分がされて嫌なことをよそ様にするの? あなたはそんな薄情なことしないわよね? あなたはそんな薄情な子じゃないわよね? そうよね? そうでしょ? そんな薄情なことしないわよね? できないわよね? しないって約束できるわね? 約束しましょう?


 子ども心に、気持ち悪かった。

 真実以外の俺と宣と美奈は適当に聞き流し、その様子に引いていたが、真実は真正面からそんな説教をされて、打ちひしがれて、その後も罪悪感にまみれていた。


 授業参観でも真実の母親はキツかった。

 授業はよくある、将来の夢の作文発表だ。


 真実は、交通安全の人になりたい、と書いた。

 いつも通学路で交通安全の活動をしていたボランティアの人に優しくしてもらっていて、真実はいつもその人に会うのを楽しみにして登校していたのだ。


 自分は生意気に、子ども扱いすんなよって感じでそういう大人の優しさを嫌がっていたけど、真実は人の好意を真に受ける性質で、その人によく懐いてキラキラした目でその人を見ていた。

 だから、同じキラキラした目で将来の夢の作文を発表した。

 クラスで一番まとまった作文で、読むのが上手かった。


 でもその授業が終わると、真実の母親は真実を掴まえて、「あの作文は本気なの? 誰かに書かされたの? あんなのがあなたの夢だなんて、嘘よね?」って、人目も憚らず真実を質問攻めにしていた。

 いや、あれは質問ではなく非難していたんだ。今なら分かる。


 それから、真実の子どもらしさがどんどん薄れていった。

 真実は大人しくなり、学校での存在感が薄れていった。

 なのにいつも学級役員になっていた。一度、どうしてそんなことをするのか訊いたことがある。キャラじゃないのに。


 答えは、お母さんが言うから。

 真実自身、なぜ自分の母親にこんなことを要求されるのか、分からないって感じだった。

 自分も分からなかった。そんなこと、親に言われたことない。


 そんなこともあって、真実は小学校でよくからかわれていた。

 その時は自分もガキで、真実ってホント不器用なヤツ、ぐらいにしか思ってなかった。


 中学に上がると、真実との接点はほぼゼロになった。

 部活にも入ったから、登下校で一緒になることも無くなった。

 でも中学三年で部活を引退し、受験活動で真実と同じ塾に通うようになると、その行き帰りで話すようになった。


 中学三年になった真実は、面白かった。

 「恐竜は絶滅してない、ほらあそこにいる」と言って可愛い小鳥を指差したり、「雨は落ちてるんじゃなくて引っ張られてるんだよ、逆になるよね! こう、今まで信じてきたものの上と下がひっくり返る感じで、キャハーってなる感じ! 雨は雲が落としてるんじゃなくて、地球が引っ張ってるんだよ!」と興奮して話したり。


 優等生らしい話の他にも、「新作のドーナツが食べたいのに小遣いが無いから食べられない……」とこの世の終わりのように悲しんだり、「ジャンクフードが好きなのに専業主婦の母親が食べさせてくれない」とぶつくされたり。

 あのアイドルが格好いいとかこの歌手が可愛いとか、自分には面白くない話題も構わず話していた。


 母親ともよく喧嘩していて、その相談もされた。

 でも、何も実のあるアドバイスはできなかった。

 真実の親は自分の親と違い過ぎていたし、真実にしても、なんでそんなことって思えることをイチイチ気にしていて、それを喧嘩の火種にしているように思えたからだ。


 でも、真実が母親と喧嘩できるようになったのは、よいことに思えた。

 小学校に上がってからの、母親の要求に逆らえずにいた真実よりずっといい。

 幼い頃の、素直で元気で利発な真実に戻ったように思えた。

 年相応の鬱々感も、健全に思えた。


 真実はとにかく何でも自分に話した。

 面白いと思ったこと、楽しいと思ったこと、素敵だと思ったこと、ムカついたこと、消えてしまいたいと思うことも。

 真実とは性別が違うし、話すようになったのも久しぶりだったけど、不思議と壁を感じることが無かった。


 それは高校に入学してからも同じだ。

 話す機会が頻繁にあるわけでは無いけど、話す時には、真実との間に遠慮は無かった。


 真実は自分に何も隠していない、という変な確信があった。

 だって真実はクソ真面目の不器用だから。

 これが妹の美奈だったら違っていただろうけど。


 でもここ最近、真実がおかしい。

 何か思い詰めているような暗さがある。

 これまでの、思春期の悩みとか母親との喧嘩で鬱々としていたのとは違う、別の暗さだ。


 なのに周囲と話す時は、無理に明るく振る舞っている。空元気ってやつだ。

 しかも真実は、それを自分に話さない。それどころか意図的に隠そうとする。

 他人行儀な挨拶までしてくるようになった。


「なにが、おはよ、綸、だよ。心配してくれて嬉しい、て何だよ」


 口にすると、腹立たしくもなってくる。


 こんな真実は見たことがない。

 絶対に変だ。


 水族館で真実は、「文化祭がきっかけでクラスメイトと打ち解けられた、高校が楽しくなってきた」と嬉しそうに話していたから、問題は学校ではないだろう。

 やっぱり、篠崎家で何か起きている。


 あの気持ちの悪い真実の母親の姿がちらつく。

 胸がざわつく。

 どうしてこんなに気になるんだろう。


 分からない。

 でも真実を、このまま放ってはいけない気がする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る