約束
「どうしたの?」
帰り道、綸に切り出される前に、真実から綸に訊く。
「朝のこと」
やっぱりそうか。でも何と言えばいいのだ。
父親が家出しているなんて、いくら綸でも言えない。
そもそも家出かどうかも確定していない。
父親は、真実と美奈からのLINEにも仕事だとしか答えない。最近では既読がつくのが遅くなっているけど。
とはいえ、まだ家出とは確定してないのだ。
そうだ。父親は仕事で家を不在にしていることになっているのだ。
「父さんが出張でさ。今回ちょっと長くて。それで美奈と母さんが寂しがってて。ちょっと家の中暗くてさ」
へへへ、と真実は笑って、それ以上の追及をかわそうとする。
でも綸は納得してくれない。
「出張? 長期で? おじさんの仕事、これまでそんなのあった?」
鋭い。
「まあ、こんなに長いのは初めてかも。だからちょっと、ペースが乱れてるっていうか、うまく回ってないっていうか。美奈と母さんにこんなに影響あるって、思いもしてなくって。逆に私だけ、冷たいかなあって。アハハ」
明るく真実が茶化しているのに、綸はずっと真面目顔だ。
「……本当に? 真実、なんか隠してるでしょ?」
「別に。何も隠してないよ。なんでそんなこと言うの?」
綸が痛いところをついてくる。
「うそ。真実さ、嘘つけないんだから無駄だよ? 俺にも言えないこと?」
そんなに自分は嘘が苦手だろうか。
でも確かに、綸には言えないことだ。
真実が押し黙る。
「分かった。言えないんならいい。でもあんま無理すんなよ。マジで」
「……うん。ありがと。心配してくれて嬉しい。でもホント、何も無いから! 大丈夫だから! アハハ」
真実は明るく笑って、誤魔化そうとする。
珍しく真実が礼を言ったのに、綸は茶化してこない。
綸が立ち止まる。
真実も立ち止まる。
「どうしたの?」
真実が訊く。
綸が真実の方を向き、真っ直ぐ真実の目を見つめてくる。
真剣な表情で話す。
「大丈夫じゃない。なんだよ嬉しいって。真実さ、そんなこと俺に言わないでしょ? 絶対大丈夫じゃない。何があんのか分かんないけど、真実が俺にこんなに話さないってのは、絶対大丈夫じゃない」
どうしたというのだろう。こんな綸は初めてだ。
自分は今朝、そんなに変だっただろうか。
前に細胞分裂の話を綸にしたな、と真実は思い出す。
「ほんと、どうしたの? 本当に自分は大丈夫だから。まさかだけど、私は消えたいとか本気で考えてないから。本当に。家の中がちょっと上手くいってないだけだから。本当に、大丈夫だから」
真実は、努めて明るく話す。変な誤解があるなら解きたい。でも綸の様子は変わらない。
「真実さ、文化祭の企画書も一人でやってたでしょ? 自分でやりたいって言ったらしいけど。でもあんなの適当にやればすぐ終わるのに、図書館で一日かかったんでしょ? 誰かに助けてもらってもよかったのに」
「あれは! 本当に一人でやりたくて。初めてクラスのみんなと仲良くなれたきっかけだったから。嬉しくて。クラスのみんなが心配してくれたの押し切ってやったから、自分のせいっていうか……」
頑張って真実が説明する。
綸は考え込み、言葉を探すように話し始める。
「だからさ、頑張るのはいいんだけどさ……。真実はさ、クソ真面目じゃん?」
クソ真面目!?
「親とか、周りの言うこと真に受けて、不器用で、よく無理してんじゃん」
不器用……。その自覚はあるけれども……。
「とにかく、ほんと、無理すんなよ。いつでも相談乗るし。夜中でも、何か言いたくなったらLINEだけでもしろよ。寝てて返せないかもだけど。吐き出した方がいいから、変に茶化さないし。返信もいらなかったら、そう書いたら俺も何も言わないから。分かった?」
よく分からない。綸が心配してくれているのは分かる。
でもこんなに心配してもらう理由が分からない。
「真実、分かってないでしょ」
綸が鋭く訊いてくる。
その通り。真実には分からない。
でもこの流れだと、分からないとは言えない。
「……分かった」
真実は嘘をつく。でもそれは綸に通用しない。
綸に両腕を掴まれる。
「分かってない。絶対に一人で抱え込むな。真実、約束」
綸が真実の目を真っ直ぐ見て言う。
本当にこんな綸は初めてだ。
なんだか逆らえない。
「……分かった。……約束する」
真実も綸の目を見て、たどたどしく答える。目を逸らせない。
「真実、やっぱり分かってない。でも約束したからね」
凄い迫力だ。
「……うん」
そう答えるのが、真実には精一杯だった。
綸がやっと真実の腕を離してくれる。
それから家までは無言で歩いた。
**
今日も父親は帰ってこなかった。
父親へのLINEにも返信が無い。
既読すらついていない。
母親が、ついに買い物も夕飯作りもできなくなっていた。
真実は急いで台所に立つ。
まず炊飯器をセットする。冷蔵庫を確認する。
よかった。しばらくは冷蔵庫のものでなんとかなりそうだ。
でも弁当用の冷凍食品が少ない。
明日からは部活時間まで文化祭準備ができる期間だが、クラスメイトに謝って準備は抜けて、学校帰りにスーパーへ行こう。
スマホで料理のレシピを探す。美奈が帰ってきた。
美奈が洗濯がされてないと言ってくる。でも真実も手が離せない。
美奈に洗濯をお願いする。母親は自室にいるようだ。
夕飯が出来上がる。母親を呼びに行く。
母親は布団に入っていた。
食べたくないから今日はいい、と言われる。
美奈と一緒に夕飯を食べる。がんばって作った夕飯を美奈に、まずいと言われる。
不味い、お母さんの料理が食べたい。
美奈に泣かれてしまった。
美奈をなだめて風呂に入らせ、寝る支度をさせ、寝付くまで傍にいてあげる。
寝る前も美奈はぐずった。
これからどうなるのかな? 本当にお父さん帰ってこないのかな? お母さん、このまま元気出ないままなのかな?
真実は、分からない、としか答えられない。
もっと大人だったら、大丈夫、心配しないで、と言ってあげられるのかもしれない。
でも真実にはできない。
美奈を寝かしつけてから真実も風呂に入り、上がるとそれを母親に伝えにいく。 母さんもお風呂入って、と。でも母親からは何も反応が無い。
仕方ない。寝る支度をして、布団に入る。
布団に入ってもすぐには眠れない。
中学生でこんな状況に置かれている美奈のことを考える。
中学生とはいえ、子どもだ。全然大人じゃない。どれほど不安に思っているだろうか。いくら要領がいいと言っても、美奈はやはり二つ下の妹だ。
自分は姉だ。一番上に生まれたことで嫌な思いもしてきたが、でも、美奈よりしっかりしなくてはいけない。自分の人生しか生きられない。これは、自分の運命なのだ。
でも、何をどうすればいいのか。父親は一体どうして。
LINEを確認するが、父親からの連絡は入っていない。どんな事情があるのだろうか。どんな事情があれば、子どもからのLINEを無視できるのだろう?
母親もどうしてあんなにも元気がないのだろうか。母親は、妻であるが母親でもある。配偶者とトラブっても、子どもの世話は頑張れたりしないのだろうか。
夫婦とは、そういうものなのだろうか。
それとも真実が知らないだけで、父親はとんでもない裏切りをしているのだろうか。
まさかあの父親に限って。
考えは堂々巡りする。
心配してくれた綸の顔が思い浮かぶ。
一人で抱え込むなって、どういうことだろう。
どうして綸はあんなに心配するのだろう。
これまでずっと飄々とした態度で、いつも自分を茶化してきたのに。
やがて、睡魔が真実のもとを訪れる。
もう抗えない。
ところで睡魔は、きちんと父親の元も訪ねているだろうか。
真実は、途切れる思考のあとを追いかける。
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