サナギ

「私、サナギになりたい」


 安心して真実は、思いついたことを口にする。水本が驚く。


「……ずいぶん、話、飛んだね……」


 水本が面食らっている。それを見て真実の理性が慌てる。

 でもいいやこの際、気にしない。


「ネットでみたの。思春期の頃、脳がすごい変化するんだって。神経回路が子どものから大人のに変わるんだって。体も、ホルモンとかですごい変わるでしょ? だから私、サナギになりたい……。サナギってさ、殻の中で、幼虫の体がドロドロに溶けて、成虫の体に作り替えてるんだよね。それって一緒じゃん。今の自分は、外は同じ人間に見えてても、中はドロドロでグチャグチャなんだもん。考え方とか小さい時とは絶対違うし、ホント自分でも何で? てとこでイライラして親にぶちまけるし、だからって自分の、しっかりした考えなんてできてないし。……だからサナギはずるいよ。殻の中でそれやるんだもん……。外と関わらないでいいんだもん。私も殻にこもって、ちゃんとした大人になってから、みんなのとこに戻ってきたい……」


「……そっか。……そうだね。……最終形態、だもんね」


 今の水本の言い方、おかしかった。

 さっきまでシリアスな話してて、今は真実の突飛な話に困惑してて、出てきた単語が、最終形態。


 シリアスな話を始めた自分を棚に上げて、真実は思わずフいた。笑いがどんどん、せり上がってくる。


「え⁉ なに⁉ 今の何かおかしかった?」


 それがまたおかしい。笑い続ける真実に、水本が余計に困惑している。

 そんな様子の水本の顔を見ていたら、真実に別の考えが浮かんだ。


「……せめて」

「せめて?」


「エフィラになりたい」


 真実はやっと笑うのをやめて、穏やかに話す。


「……エフィラ?」

「うん。エフィラ」


 水本は、やっぱり分からないという顔をしている。もう、仕方ないなあ。


「だから、胎児が有精卵で、子どもがポリプで、大人がクラゲなら、今の自分は、エフィラかなって。……サナギみたいに殻に閉じこもれないなら、せめて、エフィラの形で泳いでたいなあって。……そしたらさ、もう子どもじゃないけど、クラゲでもないって、みんな見て分かるでしょ? そしたら子ども扱いされて嫌な思いも、できない大人のフリも、しないですむかなあって」


 水本に説明しながら真実は、ああ、そういうことか、と思う。

 自分がこのところ感じていたことはこういうことなのか、と理解できた。

 我ながら不思議な体験だ。


「……そっか。……そうかもしれないね。……真実はいつも、そういうこと考えてるの?」


 水本が不思議そうに訊いてくる。真実は首を横に振る。


「ううん。今思いついたの。……ああ、前から考えてたかもだけど、言葉にできたのは今が初めて」


 なんか、スッキリした。と真実は思う。

 夏休みの『えのすい』で、エフィラを知った時に芽生えていたであろう、うまく言葉にならない考えが、今、言葉になった。


 なんとも言えない満足感だ。

 実力テストの日の帰り道、真実をオザキと言った時の、綸の得意気な顔が思い浮かぶ。


「なんか、嬉しそうだね?」


 水本に言われる。


「うん。うまく言葉にできて、嬉しい」

「そっか。いいね。自分の言葉にできるって、頼もしいよ。……真実はホント、もう子どもじゃないんだね~」


 水本が変なことを言う。


「なにそれ、おかしいよ。さっき私はまだ子どもだって、水本さんが言ったんじゃん」


 水本がハハハと笑う。


「そうだね。うん、変だね。待ってね。私もがんばって話してみる」


 そう言うと、水本が黙る。自分の中で言葉を探して、それを組み立てているようだ。

 自分で自分に、うん、そうだね、うん、そうだ、そうだ、と相槌を打っている。

 考えがまとまったのか、口を開いた。


「子どもと大人の違いって、そこだと思う。あー……、良くも悪くも、子どもは自分と親が一緒って感覚だと思う。だから親に世話してもらっても、ありがとうとかは思わないっていうか。だから……、自分のことを自分で伝えるっていうことは、自分は自分っていうか、自分は親とは違う人間っていうか、そういうことを自分に伝える? 認識させる? ていうのはさ、親離れとか、自立とかに繋がっていくんじゃないかな? ゴメン。やっぱ言うの下手だわ。ハハハ」


 あんなに考えている様子だったのに、水本の口から出た文は、あまりまとまっていない。水本は照れ笑いだ。

 でもなんとなく、水本が言いたかったことは伝わってきた。

 確かに真実はもう子どもじゃなくて、少しずつ、大人になりつつある、ということだ。


「まあ、さ」


 水本が続ける。


「真実は今は、そんな時期だよね。外見は真実のまんまだから、子どもの頃からの真実を知ってる人は、みんな、同じ真実だと思って接してくるよね。……分かる。私もその頃、もう子どもじゃないのに、て思ってたよ。もう子どもの頃とは好きな事とか、色々違うのにね。分かるよ。人間の子どもは、思春期、大変だよね……」


「うん……」


 分かってもらえて嬉しい。


 本当にエフィラになれたら、どんなにラクだろうと想像する。

 そしたら大人たちに、もう子ども扱いしないで、と言う必要は無くなる。

 子ども扱いしないで、と異議申し立てすることをからかわれたり、咎められることも無くなる。

 変に大人ぶる必要も、無くなる。


 ただエフィラとして、ポリプでもクラゲでもない存在として、そこに居ることができる。


 でも現実にはエフィラにはなれないことも分かっている。

 このもどかしさと悲しみを、母親にも分かってもらえたらいいのに、と真実は思う。

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