無理
真実は、少しずつ話した。
父親が帰ってこなくなって、最初こそしっかりしていた母親が日に日に憔悴していって、少しずつ家事ができなくなり、今では真実が家を回していること。
家の事をするようになって、母親が干渉しなくなって、大変だけど「自分は生きているんだ」と思えるようになったこと。最初はそれがとても嬉しくて、楽しかったこと。
でもそれが毎日になると、学校も行きながらだと、本当に大変なこと。
母親が専業主婦をやってくれていた有難みを感じること。
美奈に朝と寝る前、いつもぐずられて辛いこと。
自分が中学の時にはこんなこと無かったのに、美奈が可愛そうで申し訳なくなること。
姉として妹を安心させられないことへの、もどかしさ。
本当は美奈と一緒に、ぐずって苛立って我儘に振る舞いたい気持ちがあること。
父親がいないことの寂しさ。
ここ数年は父親との関わりは少ないのに、家に帰らないというだけで寂しく思う不思議。
以前は、親が突然に消えてくれたらどんなにか幸せだろうなんて妄想していたけど、今はそれが、とても酷いことに思えること。
家族には誰一人、欠けてほしくない。
でも今日、その父親に、真実と母親の関係が恐ろしいと言われたこと。
自分が家族を壊していたこと。
「あのね、真実」
黙って聞いてくれた水本が、口を開く。
「おじさんが帰ってこないのは、真実のせいじゃないよ。真実が家族壊したなんて、そんなこと絶対ない」
水本の表情は真剣だ。
水本の言葉に、真実の理性が反応する。
水本はここ数年の篠崎家の様子は知らないはずだ。
父親が帰ってこないのが本当に真実のせいじゃないのか、言い切れないはずだ。絶対なんておかしい、と。
でもすぐに、真実の中の情動が理性に牙をむく。
そんなの、どうだっていいじゃないか!
どうしてお前はいつもそうなんだ?
どうしてそう、無駄な事ばかり考える?
今自分が感じていることは、嬉しさだ。
自分を労わってくれる。
それだけで嬉しい。
そんな水本の優しさからでた言葉が、こんなにも、耳から、目から、体中に染み渡っているじゃないか!
「真実が家のこと回してるなんて、すごい、頑張ってると思うよ。学校行きながら毎日家事やってるなんて、本当にすごい」
真実は、ずっと誰かに言ってもらいたかった言葉を聞いた。
真実はずっと、そんな言葉を期待してはいけないと、自分を戒め続けてきていた。
自分の運命なのだから、これは自分がやらなければならないことなのだから、と。
それを認めてほしいなんて、もっと辛い境遇の人に笑われる、ムシが良すぎる、と。
「今日おじさんに自分から会いに行ったことも、それもすごい頑張りだよ。でも」
褒めてくれ嬉しい。でも?
「頑張り過ぎだよね?」
一転して、真実は水本が何を言っているのか分からなくなる。
頑張っている自覚はある。高校に行きながらだけど、その頑張りは過分なのだろうか。
でも過分の何がいけないのだろう? フツー、褒められることではないのか?
怪訝な顔になった真実を見て、水本が話を続ける。
「だって今の話、大人なら、もっと早くにSOS出す案件だよ。大人なら、ある程度は自分で頑張って、できない部分は専門の人に相談するとか、SOSする。でも真実はそうしなかった、ていうかできてない。それはさ、頑張り過ぎだよ。無理してるんだよ」
「……無理?」
「そう、無理。確かに、世の中には自分で家の事もしながら学校に通っている子、いると思うよ。でもそれは、今の真実みたいに、家族の世話だけじゃなくて、家族の問題までケアして、働いてる大人が建てるような一軒家を維持管理して、てことじゃないと思うよ。もしそうだったら、今の真実みたいに一人で抱え込むべきじゃなくて、誰か大人が介入するべき案件だと思う」
真実には、水本の話はまだよく分からない。
戸惑う真実に、水本が優しく微笑む。
「私の話、よく分かんないでしょ? それくらいさ、真実はまだ、大人じゃなくて子どもなんだよ。大人の問題、子どもには手に負えませんって、子どもに大人の問題押し付けないでって、真実は言っていいんだよ?」
水本が、ニカッとする。真実の背中を優しく、ポンポンする。
本当は、ずっと思っていた。
助けてほしい。誰か、助けてほしい。
本当は自分がそう思っていること、分かっていた。
でも、どう言えばいいのか、分からなかった。
だって自分は子どもじゃないもの。だからといって大人でもないもの。
子どものようにも振る舞えないし、大人のようにも振る舞えない。
「……私は子どもなの?」
優しい水本に訊いてみる。
「うん。大人じゃないんだから、子どもだよ。まあ、最終形態に近づいてるけどね。はは」
水本の笑顔が眩しい。
さっきまでの胸の痛みがひいていく。
そのせいで強張っていた体が緩む。
喉も緩む。
でも痛みは残っている。
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