こぼれる

 しばらくして、真実は我に返って、綸のに見つめられていることに気恥ずかしくなる。


「……なに?」


 真実が綸に訊く。

 綸が、真実を見つめたまま呟く。


「いや。大人になったんだなぁって」



 沈黙が流れる。

 真実は、綸の今の言葉を反芻する。

 合わせて、これまでの自分を振り返る。


 十五歳の誕生日の夜。

 母親と喧嘩して薄着のまま飛び出し、真冬の海辺にいたところを、綸が機転を利かせて迎えに来てくれた。


 夏休みの三者面談。

 教室の外の廊下には同級生の親子が何組もいたのに、そんな人目も憚らず自分は母親とバトルして、イタい人のレッテルを自分で自分に貼ってしまったのに、綸はその後も変わらず普通に接してくれた。


 初めて子ども四人だけで行った水族館でも、美奈と宣にからかわれて、自分はそれを真に受けてオロオロするばかりだったのに、綸は落ち着いて中学生二人をあしらっていた。


 それからそれからそれから……。

 真実の頭の中で、これまでのイタイタしい自分の姿が走馬灯になって、一気に走り抜ける。

 どうしようもなく、もの凄い恥ずかしさに襲われる。

 さっきまでの清々しく晴れやかな気持ちが懐かしい。


 真実は、全身が熱くなっていくのを感じる。

 きっと、顔は赤くなっているだろう。

 見られるのが嫌で真実は、綸から視線を外し、俯く。


「どうせ、自分は……」


 恥ずかしくて言葉が継げない。


「なに?」


 綸に続きを催促される。

 くそ。綸め。


「……どうせ、オザキ、してるし……」


 小さく呟く。


 プッ、アハハ! 真実の隣から、楽しそうな笑い声が聞こえる。

 真実は恥ずかしくて顔を上げられない。

 アハハハハ!

 綸はなかなか笑いやまない。


「……っ! 笑いすぎでしょ!」


 真実はなんとか恥ずかしさを堪えて顔を上げ、綸に抗議する。


「お? ついに自覚したん、真実? ヒヒヒ!」


 綸に茶化される。綸の笑いがひどくなる。全然笑いやまない。

 腹立つ。腹立つ! 腹立つ‼

 顔から火が出そうだ。


「なんっだよ! そんな笑わなくてもいいじゃんよ! どうせ自分は早生まれだし! そっちとは一年近く差があるんだかんね!」


 必死に抗議する。もうオザキはしないんだよ! とも言いたいが大人気ないから言えない。


「もう! 綸のバカ!」


 必死に考えて出た言葉がこれだ。なんて幼稚なんだ。なんで高一にもなってこんな言い方を……。

 恥ずかしさに拍車がかかる。

 すぐ砂浜に下りていって穴を掘りたい! ああ、あそこに特大の穴を‼

 と思っていたら急に


「うわっ!」


 綸に抱き締められた。



 自分、落ちそうにでもなっていただろうか。

 なんだ? この状況は?

 どうした? 綸どうした?

 言葉が頭の中を、ぐるぐるぐるぐる、グルグルグルグル!

 固まる真実の耳に、唐突に綸の言葉が伝わる。


「真実はさ、自分好き?」


 突然のことに、真実は言葉を失う。


「え?」


 しばらくして出た言葉、それだけだった。

 正直、他のことが気になって、綸の質問に頭が反応できない。


「俺はさ、真実好きだよ。オザキしてる真実、マジ面白い」

「は?」


 何だ? コイツは? 何なんだコイツは⁉


「……分かった」


 真実はなんとか、答えてみる。

 そしてこの状況を打破すべく、綸に伝える。


「分かったから、まずは放してよ」

「なんで?」


 なんで?


「いやだって、変でしょ」


 変だろ。いやかなり変だろ⁉


「いいじゃん。暖かいし」


 あったかい? まあ確かに……。じゃねえよ!


「だからさ、真実はさ、自分のこと好きなん?」


 ああ、それか。それを答えないといけないのね。


「……そんなの、急に言われても、分かんないよ」

「へー。そうなんだ」


 綸は放してくれない。何故だろう。回答ミスったのか。頭の中グルグル……。


 真実の頭の中がグルグルしていると、綸の腕の力が強くなった。


「真実。……あんま自分イジメんなよ、俺いるからさ」


**


 綸に抱き締められている真実の頭の中に、真実の父親が家出していた時の、綸の姿が蘇った。


 がんばって明るく振る舞う真実に、綸は珍しく真剣な顔で「無理するな」と言っていた。ついには綸に両腕を掴まれて、真っ直ぐに目を見つめられて、「分かってない。絶対に一人で抱え込むな。真実、約束」と言われた。


 綸の家に夕飯のカレーを貰いに行ったら、となりなのに送ると綸が言って、送ってもらった。あの時、綸は自分を心配してくれていたんだ。


 父親が家に戻って来て、中間テストの前、登校で一緒になった時に綸に、話の流れで「なんか、戻った?」と訊かれた。あの時は不思議なことを言われた、としか思ってなかった。綸がどういう意味で言ったのか、今分かった。



 あの頃自分は、誰も自分を助けてくれないと思っていた。

 一人で頑張らないといけないと思って、全部一人で抱え込んでいた。

 たまたま街で会った水本に、初めて助けてもらえたと、そう思っていた。


 でも、そうじゃなかったんだ。

 一番近くで綸は、自分を心配してくれていたんだ。なんとか助けようと、してくれていたんだ。

 綸はいつも、そばにいたんだ。



 寒いはずなのに、体の奥から、じんわりと温かくなってくる。

 なんだろう、この気持ちは。

 今まで押さえつけてきたものが、抑えられなくなる。

 母親の告白を聞き、父親に詫びられた日にも我慢できていたものが、我慢できなくなる。



 涙がこぼれる。



 この一年、よく泣いた。本当によく泣いた。

 腹立たしくて、悲しくて、不安で、情けなくて。


 でも今のこの涙は、今までに流した涙とは違う。

 カラオケ店で水本に、苦しみをぶちまけるように流した涙とも、どこか違う。


 久しぶりに安心する。心が、緩んでいく。

 世界の全てを信じて、愛している。そんな遥か昔の子どもの心が蘇ってくる。


 安らかな気持ちが、体中に広がっていく。

 自分の、いたるところが温かい。心に、体、頭も。

 フワフワとして、恥ずかしさが薄れていく。


 体の強張りが解けて、綸に体を任せる。緩んだ体の隙間から、涙が流れていくようだ。



 真実は、思い出す。

 小さな頃、授業参観で将来の夢を発表した時。


 こんな風に母親に抱きしめられて、よく頑張ったね、って笑顔で言ってもらいたかった。

 真実の夢は素敵だね、きっと叶うよ、って大好きな母親に言ってもらいたかった。

 真実はいい子だねって、優しく頭を撫でてもらいたかった。


 思い出すと、こんどはその涙も零れてくる。涙が堰を切ったように、流れ始める。

 このまま泣いていたい。

 幼馴染の男の子の腕の中で、こんな風に泣くのはおかしいと思うけど、今は泣いていたい。

 もういいや。泣いていよう。


 真実は声も抑えず、小さい頃にそうしたように、わんわん泣く。

 

「しょうがないな~」


 綸が頭を撫でてくれる。その手は優しくて、温かい。

 それがとても幸せで、ずっと幸せでいたくて泣き続ける真実を、綸はずっと抱きしめてくれた。

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