エフィラ

 今日は真実の、一六歳の誕生日だ。例年の儀式が始まる。


「まぁ見て! なんて可愛いの! 天使よねー。ほんと天使」

「ほらこれ! この時あなた凄く泣いちゃって」


 先ほどから、母親が真実の小さい頃の動画を再生し、顔をとろけさせ、はしゃいでいる。

 ついには静止画の塊も引っ張り出し、ゆっくりとページをめくっていく。

 零歳一ヶ月、零歳二ヶ月、零歳三ヶ月……。


「私、部屋行ってるね」


 真実はリビングを後にする。

 母親が今、夢中になって眺めているそれらは、相変わらず真実に『自分のもの』という感じを持たせてくれない。興味もない。だから、このままリビングにいるのは真実にとっては苦痛だ。


 でも母親の楽しみを取り上げようとは思わない。できればやらないで欲しい、という気持ちは今でもあるが。

 というわけで、二階の自室で過ごすことにする。


 最近、理解しつつあるのは、母親はこういうイベントを単純に楽しんでいるだけだ、ということだ。娘の小さい頃の様子を娘本人に見せて、「可愛いと思わない?」と訊いてくるのは、その言葉通りの意味なのだ。


 母親自身が可愛いと思うから、それについての同意を求める。可愛いの対象である人に、自分で自分のことが可愛いと思うわよね? ていう趣旨のことをよく訊けるな、と思うのは真実の感性で、これは母親からしたら考え過ぎ、なんだろう。


 どうも真実は、母親からしたら考え過ぎる性質のようだ。裏を返せば、母親は、真実ほどには深く考えてはいない人、ということだ。

 だから、娘の子どもの頃を娘本人に見せることに、深い意味は無い。


 「お前は私の子どもなのだ、この関係から逃れることはできない、お前には私の子どもであるという自意識以外の意志は許されない」なんてことは、母親は全く考えていない。無意識下にはあるかもしれないが。


 いや。ここで『無意識』を持ち出すあたりが、きっと真実は考え過ぎなのだ。

 母親はただ、自分の子どもの可愛かった頃を懐かしんで、楽しみたいだけなのだ。


 真実が自室のベッドに横になり、ネットを漁ったりして時間を潰していると、父親がやって来た。

 父親は開いているドアをノックする。折り目正しい父親らしい。


「真実、入っていいかな」

「いいよ」


 父親は部屋に入ると、真実のベッドに腰かけた。

 何か話があるようだ。でも、何も言わない。考え込んでいる。

 この人はホントに。


「……バーカ」


 真実の方から切り出す。


「え、なに?」


 父親が反応する。真実の意図が分からない、という顔だ。

 真実が続ける。


「父さんの、バカ」


 父親はようやく、分かったという顔をする。


「……うん。ごめんな真実。本当、ごめん。申し訳無かった……」


 そう言って父親は、頭を下げる。なかなか上げない。


 そんなことで、あの苦しかった日々が帳消しになるわけではないが、父親の様子を見かねて真実が言う。


「もういいよ」

「え?」


 父親がやっと顔を上げた。


「だから、もういい。一緒に暮らしてるのに、『ごめん』ばっかり言われても、面倒だからさ」


 ぶっきらぼうに、真実は言う。

 真実の高校の文化祭の頃、家出していた父親は、戻ってきてからは何かと家族に『ごめん』と謝ってばかりだ。最初は、そんなことで許されると思うなよ、と内心で毒づいていた真実だったが、ずっと続けられると、辟易してしまっていた。

 父親は、困り顔だ。


「うん。そっか」

「うん。そだよ」


 雑に真実は返す。


「……そっか。真実は、大人だな……」


 しんみりと、父親が言う。そして父親は、だんまりする。

 いたたまれない。

 ふと、真実は思いついた。


「ねえ、父さん」

「ん?」


 無警戒の父親に、真実が訊く。


「なんで父さんは、母さんと恋愛したの?」

「ええ⁇ なんだよ急に⁇」


 父親は分かり易いリアクションをしてくれる。


「だって。男子って女子の事嫌いじゃん。最近はそうでもないけど、小さい頃はあからさまに男子は女子嫌ってたよ。だから男子って、男子といるのが楽しいんじゃないの?」

「えーっとね……」


 父親が狼狽する。面白~い。


「なんで?」


 真実は答えを催促する。

 父親の顔がみるみる赤くなる。えーっと、えーっと、と、適当な答えを編み出そうと悪戦苦闘している。


「……それはね。それは。……仕方無いよ」


 やっと絞り出した答えがそれか。肩透かしだ。


「仕方無いって?」


 真実は諦めない。


「だから、仕方無いんだよ」


 父親が、もうホントに勘弁してくれ、という顔を真実に向ける。


「だから、なんで⁇」


 父親の顔が、より赤くなる。あ、俯いた。


「……うん。だから。……好きになったんだよ。不可抗力」


 顔を上げない。きっと、真っ赤っ赤だろう。


「そういうもん?」

「そういうもん」

「ふーん……」


 そういうもんなのか。よく分からない。

 また、沈黙になる。

 お、父親が顔を上げた。と思ったら、いきなりブッ込まれた。


「真実もいつか分かるよ。綸とか、恋しくって一日中考えてる様になる」


 はい?


「……なんで、綸なの?」


 今度は真実が狼狽する。


「え? だから、綸はいい奴だからさ。……うん。真実が職場まできた日さ。……とにかく綸は、いい奴だよ。綸になら真実のこと任せられるかな。はは」


 うっわ。これだから大人って。親って。


「うっわ。出った。なにそれ。なに子どもの人生自分の、みたいに言えんの? 父さんまで子ども扱いすんのやめてよ。マジで」

「それはできないよ。真実は、父さんと母さんには永遠に子どもなんだから」


 うわー。よく聞くセリフ―。


「えー⁉ さっき私は大人になったって言ってなかった⁉」

「それはそれ。これはこれ」


 あ、いつか母親に『伝統』について言われた時と同じセリフだ。


「えぇ……。なにそれ……。ホント、ヤな夫婦……」

「はは。真実、可愛い」


 父親はニコニコだ。


「うっわ。マジで引くわ……」

「はは。真実、ホント可愛い」


 父親の笑顔が弾ける。本当に、心の底から楽しそうだ。

 父親のこんな顔は、久しぶりに見る。

 腹は立つけど、同時に嬉しい。


「バカおやじ」

「ええ? それはヒドいな~。ははは」



 下から、母親の楽しそうな声がする。

 美奈の、母親に呆れている声がする。

 傍には、楽しそうな父親。

 冷蔵庫には真実が選んだチョコレートケーキ。


 なかなか良い、誕生日だ。


**


エフィラ。

やっとポリプから離れて、海を漂い始めたエフィラ。


海は、分からないことだらけだ。

海は、知らないことだらけだ。


時には、強い潮に流されることもある。

時には、狭い潮溜まりに留め置かれることもある。


無事に、育つかは分からない。

無事に、大人になれるかは分からない。


だけど君は、この海を自分で泳いでいける。

だけど君は、この海で大きく育つ力がある。



エフィラ。

か弱いエフィラ。


君が、君を見つけることを、祈っている。

君が、君自身になれることを祈っている。



エフィラ。

ポリプから離れて、広大な海に一人漂い始めたエフィラ。




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エフィラ 昊ガウラ @ko0_gaura

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