夕食後

 カレーを食べる。

 母親は食べに来ない。

 夕食にしなくても、明日の母親の昼食になればいい。


 風呂に入り、テレビを観ながら洗濯物を畳む。

 畳みながら考える。


 父親が帰ってこなくなって、母親が思いの外ダメージを受けていることで、生活のあちこちにガタが来ている。

 まず朝が辛い。元々朝起きるのは得意ではなかったのに、より早起きしている今は辛い。

 自分が起きなければ、自分も含めた家族のスタートがきれないというのも、結構なプレッシャーだ。


 最初の頃は朝の仕事の手際が悪くて、しょっちゅう学校に遅刻しかけていた。

 今は朝仕事には慣れたが、美奈を確実に起こしてからでないと登校できないので、美奈がぐずる日は走って登校しないといけない。


 あれには腹が立つ。

 自分も美奈も同じ学生なのだから、こちらの事情も分かるはずだ。

 だからそれくらいは意識して頑張って起きてほしい。


 でも美奈は妹だ。

 自分が中学生の頃には、こんな父親の家出と母親の塞ぎ込みなんて無かったから、自分も今の美奈のように母親に甘えていた。

 高校生の自分はついこの間まで母親に甘えておいて、中学生の美奈にもう甘えるな、というのは不公平だと思う。


 だから、自分が母親に甘やかしてもらった分、美奈にも甘えさせてあげたい。と思うのだけど、朝、自分も切羽詰まってくると、つい苛立ちを美奈にぶつけてしまう。

 そして朝から走る羽目になる。


 すると朝から疲れて、早朝講座で居眠りしてしまう。

 毎度教師に注意される。


 それにも腹が立つ。

 でも自分が悪くて、教師はその本文を全うしているだけだと分かっているので、どんなに腹が立ってもそれは表には出せない。

 自分の気持ちを堪えて、愛想笑いして、「いつもすいません。アハハ」と誤魔化せるようになった。


 綸に対しても同じだ。いい加減、詮索されて誤魔化すための嘘を考えるのも面倒になってきた。

 それに自分は嘘が下手らしいし、それよりはなるべく接触を避けて、愛想笑いで誤魔化すのが楽だ。


 昼食の弁当は、一人で食べるようになった。というか、元の一人で食べていた状況に戻っただけだ。

 弁当の中身がザ・冷凍食品ばかりになってしまったので、勘のいい女子生徒と食べるのがリスキーだと感じたからだ。ここでも色々と詮索されるのは面倒だ。


 文化祭準備でせっかくクラスメイトと打ち解けられたと思ったけど、仕方ない。

 でもその分、弁当をサクッと食べて、残った時間で昼寝ができている。


 夕食は、今日のような日が続いていくのだろうか。

 丸一日学校をこなした後の夕食の準備は辛い。

 今日はたまたま綸のお母さんからカレーをお裾分けしてもらったけど、自分で用意することを想像すると、キツそうだ。


 材料からメニューを考えて、下ごしらえで一杯切って、色んな火の通し方をして、味付けはどうやるのだろう?

 共稼ぎの夫婦とか、どうしているのだろうか。よく一日仕事をして、家族の分の夕食を作れるものだ。


 やっぱり辛いのだろうか。

 だから雑誌でおかず作り置きのテーマが推されていたり、材料とこれを炒めるだけで一品完成、みたいな商品があるのだろうか。

 スーパーの総菜コーナーも、こういう家庭向けだったりするのだろう。


 それに、家族揃っての美味しい夕食が無い、というのは精神的にも良くない気がする。

 ここの所、母親も夕食を食べなくて、美奈と二人きりの夕食が続いている。

 夕食の質はそれなりだが、やはり以前の、母親が腕によりをかけて作った美味しい夕食を、家族四人で食べるという光景は、幸せだったと思う。


 母親と喧嘩して気まずい思いをしながら食べたこともあったが、食べるだけで苛立ちが収まったり、リラックスした家族の会話に入ることで自分もリラックスして、楽しい話題で沢山笑うことができていた。


 前は、それを当たり前だと思っていた。

 今は、それがとても恵まれていたことだったと感じる。

 美奈と二人きりの夕食は、寂しくて楽しくない。


 でもせめて、美奈へのダメージは最小限にしたいと思って、努めて明るく振る舞うようにしている。

 だけど、美奈は日に日に元気を失くしていて、逆に、どんどん苛立つようになってきている。あれでも、自分を気遣って我慢しているほうかもしれない。

 そう思うと、余計に心が痛い。


 夕食が楽しくないと、次の日の朝、不機嫌に起きる。ストレスとか疲れが抜けてない、てやつだろうか。

 楽しく夕食が出来ていた頃は、夕食で一日のストレスを解消していたのだと、今なら分かる。だから美奈は最近、朝起きる時にぐずるのかもしれない。


 その他の家事もプレッシャーだ。

 帰宅したら必ず洗濯をしなければならない。

 ゴミをまとめて、翌日すぐに出せるようにしなければならない。

 でないと毎日が回らない。


 平日は掃除まで手が回らないので、休日にやらなければならない。

 これまで休日は宿題を終えたらのんびりできた。

 時にはそれすら放棄して、一日中ネットを漁ってゴロゴロしていた。


 でも今は家事をしなければならない。

 割り切ってやらない選択をすることもできるが、綺麗な家の快適さを自覚したので、完璧でもなくても、ある程度の綺麗さを維持したい。

 そうでないと、家の汚れをストレスに感じ、それが疲れになり、結局自分が嫌な思いをするからだ。


 そうなると、気を抜ける日というのが、一日も無い。

 これは本当に辛い。常に何かを考えていて、気が休まらない。休日でも常に食事があるからだ。


 土曜で掃除洗濯を終えても、日曜には朝食と昼食と夕食がある。

 完全に開放されるということが無い。

 本当に、しんどい。


 でも、母親が元気を失くしたことで、一つだけいいことがあった。

 母親の干渉が無くなったことだ。

 家の事は大変だが、生まれて初めて、全てを自分で試行錯誤して、決断している。


 何が正解かよく分からないままに決断することは勇気がいるし、恐怖感もあるが、自分の力でやろう、という意志のようなものが湧いてくる。

 失敗も多いけど、でもそれで、自分なんて最低だ、消えてしまいたい、と無責任に妄想することは無くなった。

 失敗に落ち込みはするけれど、すぐに、これを教訓にして次は修正しよう、と思える。


 そして上手く修正できた時の喜びはとても大きい。

 体中に喜びが走りまくって、やったー! と、飛び跳ねたくなる。

 それまで不慣れだった朝の仕事や他の家事にも慣れてきて、流れるようにこなせるようになっていることにも、自分で自分に頼もしさを感じる。日に日に、自信がついていくのを感じる。


 ただ最近は、そんな自分の成長への喜びも、薄らぎ始めている。

 それよりも、疲労感の方が強い。

 家事以外にも、家の外で、父親の不在と母親の塞ぎ込みを周囲に悟られないようにすることに気疲れする。

 家の中でも、母親を気遣い、美奈を元気づけようと明るく振る舞うことも、本当に疲れる。

 いつも自分をグッと押さえつけて、常に緊張して、警戒して、一日を過ごすことに疲れる。


 すると学校でよく、居眠りをする。

 なるべく休み時間に寝るようにしているが、どうにも教師の説明が眠り呪文のように聞こえてきて、自分の責任でやるべきことが無い、という状況の安堵感もあるのか、授業中にやたらと眠くなるのだ。


 しかしそうすると、自分のテストが心配になる。

 休日の日中に寝て、平日よりも元気になったところで勉強する、ということをしているが、とても無駄に感じる。


 でも授業中はどうにも眠くなる。

 人には一日で気を張っていられる時間の総量というものが、決まっているのだろうか。


 上手くいっているとは言えない自分の毎日に、苛立ちが募る。

 なんだか自分まで参ってしまいそうだ。

 でもそんなことになったら、この家はどうなる……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る