実力テスト

 来週から夏休み講座の後半が始まる。

 それが終わって二学期が始まれば、すぐに実力テストだ。


 真実は、今でも進学校の学生でいることに納得はできないが、お盆に祖母の若い頃の苦労話を聞いて、やはり高校生でいられるのは有難いことだと思い、少しは勉強しようと思った。


 高校一年の一学期は、中学までの「優等生」貯金でしのいだが、それも後半はきつかった。

 いい加減、勉強しないとやばい。

 そう思って自室で勉強していると、下から母親の声が聞こえる。


「あら。真実は? どこか行った? いないけど」


 美奈が答える。


「二階。勉強してるんじゃない?」


 それを聞いて母親が


「あらー! ほんと? 真実やる気になったの? 良かったー」


 と言っている。


 ホントに、イチイチ、ムカつく母親だ。


 台所で何かガチャガチャやっている音がする。

 誰かが階段を上がってくる。


「真実、麦茶とお菓子持ってきたわよ。ホントに勉強してる。やっとやる気になったのねー。模試の結果が悪かったから心配したけど。これで大学も間に合うわよ」


 母親は真実の部屋に入ると麦茶とお菓子を置き、嬉しそうに話し出す。

 勉強していた真実の手が止まり、体が硬直する。


「今は何の勉強してるの? 高校のお勉強は難しいから、中学までのお勉強みたいに教えることはできないけど、どう? 大丈夫?」


 母親が真実に近づき、真実が勉強しているものを覗き込もうとしてくる。


「……邪魔なんだよ」


 真実が絞り出すように言う。


「え?」


 声が小さくてよく聞えなかったのか、母親が訊き返してくる。


「……だから、邪魔なんだよ! ウザいんだよ! 出てけよクソババァ!」


 思わず言ってしまった。

 クソババァは、これまで心の中では思っても、一度も口にはしなかったのに。

 しまった。一線を超えてしまった。


 今度は母親が硬直している。

 その目は驚きで見開かれ、口はポカンと開いている。


 さっき、母親を罵倒した時に巻き起こった真実の興奮はすぐに、激しい後悔で氷のように冷えていく。


「……。ごめん」


 真実は母親から目を逸らし、謝る。


「……。ゴメンナサイ」


 母親は力無くそう言うと、来た道を戻り、来る時には開いていた真実の部屋のドアを閉め、ゆっくりと階段を下りて行った。


 しばし、真実は部屋の中で立ち尽くす。

 自分の攻撃性に驚き、それを自制できなかったことを激しく後悔し、今までに感じたことの無い自己嫌悪の感情に圧倒される。


 椅子にへたれ込むように座ると、勉強机に突っ伏す。


 どうして自分は、こうなんだろう。

 さっきまで久しぶりに前向きになって、勉強しようとしていたのに。

 祖母から、母親が、子どものためにがんばっている女親だという話を聞いて、全くもってその通りだ、と共感したのに。

 これはいよいよ最低だ。

 自分は人間として最低だ。

 でも、と、別の考えが湧き始める。


 大学ってなんだよ。

 三者面談であんな喧嘩したのに、もう忘れたのか?

 それに、子どもってのは、自分でやる気になったことを「やる気になったんだね」なんて言われたら、親でも教師でも同級生でも、気に障ることは常識だろ! 

 こんなことも分からないのか、あんのバカ女……!


 二つの気持ちの間で、真実は身動きができなくなる。


 立ち上がって、布団に入って丸まる。


 あぁ、もう、最悪だ。




**




「はよ!」


 今日も元気いっぱい。

 綸だ。


「……おはよう」


 真実は今日も、元気が無い。

 夏休みの後期講座が始まる前、母親と喧嘩して結局、勉強に身が入らなかった。


「勉強してる?」


 綸に訊いてみる。


「勉強? してるよ? 進学校だし、俺、大学行きたいし」

「……。そっかー。そうだよねー」

「何? また、おばさんと喧嘩?」


 分かっているなら、訊かないでほしい。


「私、この学校、志望してなかったから」


 しまった。思わず本音が口をついた。


「え? そうなの? じゃあ学校辞めるの?」

「え?」


 綸から思わぬ言葉が返ってきた。

 学校を辞める。

 考えたことも無かった。


「それは、無理でしょ。親が、この学校以外ダメだって言ってるし。働くにしても、どんな仕事したいか、分かんないし」

「へー。そっか。じゃあ、学校、大変だね」


 だから何でこいつは、朝からこんなヘヴィな話に展開させるんだ。


「何? なんかアドバイスくれんの? どうせ訊いただけでしょ」


 真実が毒づく。


「うん。そうだね~」


 綸はヒヒヒ、と笑い、面白そうだ。



 予鈴のチャイムが鳴り、急いで教室へ向かう。



 高校だから、学校を辞めることも選択できるんだな、と真実は思う。

 でもそんな選択、自分ができるとは思えない、とも思う。


 ホント、チキンだ。

 母親にはクソババァとか言っておいて、今日も母親の弁当とおにぎり四個を持参してるし。

 でも仮に辞めるとしたら、その後はどうなるだろう。

 進路室で求人を見てみようか。


 あ、今日は実力テストだった。

 テスト勉強もできてないのに。


 あぁ、もう、ホント。

 最悪だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る