夏休み 送り盆
盆の最終日は、遠方組が帰ってしまうので親族は半分ほどになる。
残った親族で送り盆をする。
今年の盆も、無事に終わった。
明日は、真実達も自宅へ帰る。
親族が寝静まる中、真実は眠れなくて、一人縁側に座る。
盆の最終日は来客も無く、夕食の子ども卓にも俄かに秩序が生まれたこともあって、あまり疲労していない。
そんな状態で昨晩同様の考え事をしていたら、すっかり目が冴えてしまったのだ。
晴れている夜で、星も月も綺麗だ。
庭に生きる生き物たちも、淡々とその存在を伝えてくる。
「どうしたの? 真実。眠れない?」
祖母だ。
「うん。ごめん。起こしちゃった?」
怒られるかな、と真実は思う。
「そうかもね。でもいいのよ。どうせ明日にはみんないないし、昼寝いっぱいするから」
祖母がお茶目に言う。ほんとに、祖母といると安らぐ。
母親とは大違いだ。
祖母が真実の傍に座る。
一緒に庭を眺める。
真実が口を開く。
「あのさ、おばあちゃんはさ、お母さんとお父さんの結婚、反対しなかったの?」
突然の質問に祖母が驚く。
そりゃそうだ。こんな話をするなんて、この三日間、何の前振りもしてない。
かなり立ち入った話だ。はぐらかされるだけかもしれない。
暫くして、祖母が口を開いた。
「しないわよ。娘が連れてきた人だもの、何で反対するの?」
真実の質問が不意打ちだった分、祖母は本音を出したようだ。
子ども騙しで誤魔化そうという感じはしない。
意外だ。
「だって、お父さんは、身寄り無いし。ここ旧家っていうの? いいお家なんでしょ? そういうとこは、子どもの結婚相手とか、条件をクリアしてる人じゃないとダメ、なんじゃないの?」
「まあ、旧家かもしれないけど、そんなことないわよ。ドラマの見過ぎよ」
祖母がケラケラと笑って、続ける。
「それに、あなたのお父さん良い人じゃない。身寄りも無いのに頑張って奨学金で大学行って、立派にお勤めして。優しいし子煩悩で。こんな条件の良い人いないわよ?」
「でも奨学金て、借金じゃん。親だったら嫌じゃないの?」
この際だから、遠慮せず訊いてしまおう。
また祖母が驚く。
「あのね、そんなの返せばいいし、そもそも成績優秀だから借りられるものでしょ。親がいないと不良になる子も多いのに、あなたのお父さんはそうならないで学業を頑張った。ちゃんと就職して、返済できる大人にもなった。そうでしょ? あ、それよりもね。フフ」
祖母が何かを思い出したようで、楽しそうに笑う。
「それよりも?」
真実が訊く。
「あなたのお母さん、今はそうでもないけど、子どもの頃は大人しかったの。きょうだいが多いと揉まれて強くなるものだけど、あなたのお母さんだけは優しくて、細やかで、よく近所の男の子にからかわれて泣かされてね。そんなんだったから、結婚できるか心配するぐらいだったのよ。そしたらある日、顔真っ赤にして紹介したい人がいる、なんて言うんだもの。可愛くって。そんな子が勇気振り絞って連れてきた人、反対するわけないでしょう?」
今度は真実が驚く。
今の母親からは想像できない。
「じゃあ、おばあちゃんはさ、お母さんのこと、厳しく育てたりしたの? いい子に育てなきゃ、て。教育ママっていうか」
「そんなことしませんよ。子どもは伸び伸び育つのが一番。余裕も無かったしね。私も、五人の子どもを食べさせて、世話するだけで精一杯。習字とそろばんには少し通わせたけど、月謝もばかにならないから、最低限できるようになったら終わり」
これも意外な答えだ。
「そうなの? 女の子らしく、とか、良妻賢母に、とかじゃないの? なんか、お嬢様、て感じの?」
「お嬢様? どうしたの? 本当にドラマ見過ぎたの?」
真実の質問が、祖母には意外なようだ。
真実の母親は、真実をそんな風に育てているのに。
「え、じゃあ、曾おばあちゃんがそうだったとか? お母さんの、おばさんとか?」
「だから、そんなことしません。まあ、私の母、あなたの曾おばあちゃんは、女学校出の、良家の子女、て感じの人だったけど。戦争でね、そんな余裕全部吹き飛んじゃったのよ。私はきょうだいで一番上だったから、学校は中学まで。中学まで行かせてくれただけでも、有難かったわね。あとはとにかく、下の弟、妹を食べさせて、少しでも上の学校に、て働いてたからね。曾おばあちゃんもね、苦労してたわよ。私も子ども心に、ああ、この人はお嬢様なんだなぁ、て感じる人だったから。私は戦後生まれだから、戦前この家がどんな感じだったかは知らないんだけどね。とにかく曾おばあちゃんは世間慣れしてない感じで、買い出しもうまくなくて、市場でも値切れなくて。家のことも頑張ってるんだけど、要領がよくなくてね。子どもの私がよく助けてた。そうね。あなたのお母さんは、曾おばあちゃんに似たかもしれないわね」
お嬢様な曾祖母。そんな曾祖母を、祖母は子どもの頃から助けていたのか。それなら。
「そうなんだ。じゃあ、あれ? キャリアウーマンになれとか? 人に頼らないでも、自分で稼いで強く生きろ、みたいに教えたの?」
真実のしつこさに、祖母が呆れている。
「何なのよさっきから。そんなこともしません。あのね、子どもっていうのは、ほんとに、伸び伸び育つのが一番よ。私はそんな風に子ども時代を過ごせなかったの。子どもっていうのは、食べて、遊んで、寝て、時々は学校で友達と勉強して。そうやって毎日、好きに過ごすのが一番なの。放っておいても、ちゃんと大人になるし」
そういうと、祖母は別の何かを思い出したようで、ニンマリとした。
「あ、そうだ。私はね、大人になっても苦労したのよ。聞きたい?」
これは断れないやつだ。
「……うん」
仕方なく同意する。
「中学を出たらとにかく働いてたんだけど、手に職が無かったら、あんまり稼げないな、て思ってね、夜は経理の勉強したの。そしたら商社に勤められてね、戦後の経済成長もあって収入が安定してね。でも下に四人もいたから結婚しないで働き続けてたら、三十になっちゃってて。お局さん、てあだ名されてね。今じゃ考えられないわよね。もう結婚は無理かな、て諦めてたら、あなたのおじいちゃんに会ってね。いい男だったのよ~。優しくて控えめで、でも芯は強くて。上司が仕事の失敗を私に押し付けようとした時も、毅然と同僚のみんなの前で庇ってくれてね。もう~、その時はホントに素敵で。もう~、結婚申し込まれた時は死ぬんじゃないかと思うくらい私舞い上がっちゃって。顔真っ赤になって胸がバクバクして、ほんとに気絶しちゃってね。そしたらそんな私も介抱してくれて~」
話したかったのはそれか。
もう十分にのろけただろう。
以上かな? と思ったら続いた。
「ちょうどその頃、跡取りだった私の弟が海外に骨埋める、て言い出したんだけど、そしたら入り婿になってくれる、て言ってくれて。周りからは、これまでの苦労を、お天道様がちゃんと見てくれてたんだよ、なんて言われたりして。まだ学生だった妹の学費も出してくれる、て言うから、私結婚して、家に入れたの」
「じゃあ、やっぱり、女の子は結婚して家に入って子ども産むのが幸せ、て教えたの?」
真実が、話を元の筋に戻そうとする。
「もう、何よほんとにさっきから。どうして話をそう捻くるの? お・し・え・て・ま・せ・ん。自分の人生、好きに楽しく生きなさい、て教えました。どうしたのよ、ほんと。お母さんと何かあった?」
「別に……無くは……無いけど」
訳が分からない。
真実から見ると、祖母はとても理想的な母親だ。
どうして自分の母親は、こんな祖母に育てられたのに、あんなにも典型的な『母親』なのだろう。
伸び伸びと育てられた中で、本当に好きに自分の妄想というか、理想の女の人生観を形作ったのだろうか。
「子どもの頃は大人しくて、どうして今はそうじゃないの?」
分からなくて、真実はまた質問する。
祖母の表情が、呆れた表情から穏やかな表情に変わる。
「……あのね、親っていうのは、そういうものよ。特に女親はね。私はそう思う。十月十日、子どもを自分のお腹で育てて、命がけで人一人産んだりゃそりゃ、強くなるわよ。あの子もそう。あなたのお母さんはね、がんばって真実と美奈を産んで、何もできなたった赤ん坊のあなた達を世話して、危なっかしい子どもの時も、大きな怪我も病気もさせず、立派に育てた。とってもいい母親だよ。私の、自慢の、娘。真実も親になったら、きっと分かるわよ。真実のお母さんはね、真実から見たら要領がよくないとこがあるかもしれないけど、頑張り屋の、ほんとに立派な母親」
祖母が、諭すように話す。
分かっている。分かっているのだ。
でも真実は、どうしても苦しい。
完璧ではなくても、親としてとても頑張っている母親を痛いほど分かっているから、余計に祖母の言葉が胸に沁みる。
命がけで子どもを産んだ。
世話して、ちゃんと育てた。
いい母親。
祖母の自慢の娘。
それに比べて自分は。
なんと情けないことか。
まだ母親の世話になっているのに、母親への苛立ちを止められない。
頑張り屋の母親に比べて、自分のことはできないで、ただ怒りをぶちまけているとは、なんと最低か。
でもそう思うほど、自分を責めるほど、胸の奥から苦々しい気持ちが湧き出てきて、悲しみが溢れ出て、涙は流れるのに、喉が締め付けられるように痛くて声が出せなくなる。
母親は頑張っているけど、その頑張り方がどうしてもおかしい。
自分がこんなに苦しい思いをしている時点で、何かがおかしい。
でもそれが何かは、うまく説明できない。
でも何かが確かにおかしくて、苦しくて、辛い。
母親に向けて溢れ出る苛立ちは何なのか。
それはそんなにも悪いことなのか。
年相応ではないのか。
真実と母親の間柄なら、当然のことではないのか。
そう考えると、また、こんな風に考えてしまう自分への嫌悪感が湧いてくる。
そして、自分をこんな風にする、自分を抑えつけて痛めつけてくる全てを破壊したくなって、もどかしい気持ちを爆発させて、暴れて、正気を失いたい衝動に駆られる。
どうしても、いい母親なのであろう自分の母親と、いい親子関係を築けない。
祖母の言葉に胸を締め付けられて、あまりに強く締め付けられて、涙が流れる。
祖母は察したのか、母親と具体的に何があったのか、訊こうとはしなかった。
代わりに、膝を抱えて泣く真実を抱き寄せ、言い聞かせるように優しく話す。
「今はね、真実は、そういう年頃なんだよ。真実は最初の子どもでしょ? だから、真実の年頃の子どもを育てるのも、あなたのお母さんにも初めて。何が良くて何が悪いか、分からないことも多いんじゃないかしらね」
嗚咽をこらえて、真実がつっかえながら訊く。
「おばあちゃんも、そうだったの?」
「そうだねぇ……。あまり思い出せないけど……。でも私が子育てしてた頃は、世の中がどんどん豊かになるところで、だけど、まだ大学行くのは恵まれたことだったし。親の私は、子どもの将来にそんなに悩まなくって、上の学校に行かせられるってだけで、子どもたちは楽しくやってるだろうし、私ともうまくやってくれてると思ってたから……。あの子たちが真実ぐらいだった頃に、今日みたいな話はしなかったと思うわね。ただあの頃はとにかく家族が多くて、私は家のことが大変で、忙しくしてたから……。もしかしたら、本当は真実みたいに悩んでること、言えないでいた子が、いたかもしれないわね」
そうなのか。
深くは分からないが、そうなのかもしれない。
母親にとっても、初めての子どもの反抗期。
子どもの頃、大人しかったという母親。
女親としての母親。
色々な考えが、真実の中で右往左往する。
答えは見つからない。
涙も止まらない。
そんな真実を、祖母が包み込む。
何も訊かず、ただ、真実を泣かせてくれる。
ただ、真実は泣き続けた。
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