食卓 素敵な世界

 テストが返ってきた。理系教科に、見事に赤点が並ぶ。

 夏休みの三者面談で文系を選択していて正解だったな、と思える立派な結果だ。


「真実、テストはどうだったの?」


 夕食の会話、母親が訊いてくる。

 真実の母親は、そこのところはしっかりしている。娘たちの学校の年間行事、月間行事などは各種お知らせでしっかり把握している。


「悪かったよ」


 箸を動かしながら、真実はなるべく平常心で答える。母親とは目を合わせない。

母親からの返しは無い。固まっているのだろう。

 少しして、母親が口を開いた。


「……悪かったって? どういうこと?」


 真実は母親に顔を向ける。これは、かなり荒れそうだ。


「赤点取っちゃダメなの?」


 これも、真実は努めて、悪びれることなく平常心で母親に尋ねる。


「赤点って……? 真実、何言ってるの?」

「だから赤点だよ。理系教科。文系もギリだけど。別にいいでしょ? 私文系だし」


 母親の顔がみるみる赤くなる。くるぞ、くるぞ、くるぞ!


「ダメに決まってるじゃない! そんなの! 絶対ダメよ‼」


 母親が、今までに一度も聞いたことがないような大声を出した。

 至近距離でそんな大声を聞いたものだから、真実はもろに面食らう。

 父親と美奈も、驚いて母親を見る。


「……なにがそんなに、ダメなの?」


 真実は努めて、穏やかに尋ねる。


「ダメに決まってるじゃない! そんなの許したら、将来立派な大人になれないじゃない‼」


 出た。だから、立派な大人ってなんなんだよ?


「……あのさ、立派な大人ってなに? 大学行くこと?」


 真実は何も気にしてない、というノリで母親に尋ねる。


「そうよ⁉ 大学行かないで、どうするの? 真実!」


 母親の怒りが一段上がったようだ。


 ここは、勝負どころだ。

 真実は深く息を吸い、吐く。


「だから、私、この高校志望して無かった。今もいい成績取って、いい大学行きたいとか思ってない。親のお金で大学に行く選択肢があるのに、それを選ばないってことが贅沢だって思われることは分かってる。自分でも自分にそう思ってるよ。でも私は、大学に行きたいとは、思えないの」


 思えない、というところがポイントだ。行きたくない、とまでは思っていないのだ。

 母親の顔に、あなた何言ってるの? というセリフが浮かぶ。


「真実、何おかしなこと言ってるの? 真実は、昔からお勉強好きじゃない。……お勉強が好きで、成績も優秀だったじゃない!」


 母親が、一つ一つの文節をハッキリとゆっくりめに、最後はヒステリックに言い放つ。

 真実も段々と、自分の中で血が頭に集まってくるのを感じる。


 でもここは大事なところだ。

 今までのように激高してはいけない。

 自分をそう抑えつつ、ゆっくりと、言葉を一つ一つ確かめながら、母親に反論する。


「それは。別に、好きで勉強してたわけじゃない。中学までの勉強は、先生の話聞いてたら分かるようなレベルだっただけで、成績良くても、嬉しいと思ったことない。高校の勉強は難しくて、好きな勉強でもないから、とっても嫌」

「……真実、本当に、何言ってるの?」


 母親の顔に、困惑が浮かぶ。

 目は真実を捉えたまま、口を半開きにして、OMGばりに首を振っている。

 やがて、母親は何か思いついた目になる。


「……じゃあ、お勉強、好きじゃなくてもいいわよ。……好きじゃなくても、嫌でもお勉強は頑張らないといけないでしょ? 頑張ってお勉強して、大学行って、結婚して子どもうまなきゃ。女の子なんだから」


 やっと絞り出した反論がそれか。想定内すぎる、と真実は思う。

 隣の美奈から、イラッとした空気が漂ってくる。

 斜向かいの父親は、例に漏れずオロオロし始める。


「母さんは、凄く『女の人』だと思うよ。でも、私は、そうじゃないの。大学行って、自分が満足できる家庭作れるだけの経済力ある男掴まえて、理想通りの結婚式して、子ども産んで、そんなのが幸せだって信じてないの。別に不幸とは思ってないけど、それが本当に幸せなのかは分からないの。だからって、何か、こうなりたいとか、バリバリ働きたいとか、そういう夢もあるわけじゃないの。私は今、何も分からないの」


 母親が、あの時と同じ目をする。

 真実が初めて反抗した誕生日の日。幼い自分の姿に興味は無い、と真実が言ったあの日の目。真実を、欠陥があると言ってなじった時のあの目。


「……真実、おかしなこと、言わないで? 女の子が結婚を夢見ないなんて、あるわけないじゃない。……あなた、今、娘時代なのよ? ……今はとにかく親の言う事を聞いて、素直にお勉強して、自分が行ける一番いい学校に合格することだけを考えていれば、それでいいじゃない。……娘時代っていうのは、そういうものよ。将来のことを夢見て、その夢が叶う時が近づいてきてるんだってことを、心待ちにして、ドキドキしながら楽しく過ごすものでしょう? 結婚を楽しみにしてないとか、将来何かになるべきかどうかなんて、どうしてそんな馬鹿なことを考えてるの? そんな考え今すぐやめなさい! みっともない‼」


 凄い大声だ。ヒステリックだ。

 今まさに、母親の素敵な世界が、ピシッ、ガラガラッと音を立てて崩れ始めている。

 真実にはそう思えた。

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