花火 帰宅
「違うし。これは母さんの趣味だし」
テンパって、真実はちぐはぐなことを口走る。
「はは。喧嘩して負けたの?」
綸に笑われる。
「違うし。喧嘩はしてないし」
真実は精一杯反論する。
すると、綸が不思議そうな顔をする。
「へ? そうなの? 意外。断わらなかったの?」
綸にそう言われて、真実も我に返る。冷静に考えてみると、今回の浴衣で喧嘩しなかったことは不思議だ。
「……うん。最初は断ったんだけど。母さんがすごく楽しそうにしてたから、付き合ってみようかなって、思った。思えた?」
真実は綸に答えながら、最後は自分に訊いていた。
テストのことがあったとはいえ、これまでならそれはそれ、浴衣のことは浴衣のことで、徹底的に反抗して、浴衣は絶対に着なかっただろう。
テストのことを弱味に感じた? 弱味に感じたことと花火大会に楽しく行きたいって気持ちを、天秤にかけられた? 自分は少し要領良くなった? それとも母親の『女の子』の部分を認識して、母親に対して弱くなった? それはそれで要領が良いということだろうか? まあどちらにせよ、やっぱり浴衣は着たくなかった。それを着てしまった自分はやっぱり要領が良いとは言えないのでは?
綸をそっちのけて、真実は、うーんうーんと考え込む。
「なにしてんの? 真実こっち」
綸に腕を掴まれる。真実は考え事をしていて、橋の歩道の方へ向かっていたようだ。綸がバス停へ軌道修正してくれる。バスはついさっき出てしまったようで、しばらく待つことになった。
「なに考え事してたの?」
綸に訊かれる。これは答えづらい。
「えと、うちの母さんはさ、結構自分の趣味押し付けてくるんだけど、今日の浴衣とか。……綸のとこは、そういうことないの?」
自分が何を考えていたかを話す代わりに、綸に話を振る。
「親の趣味……。うちは……」
綸が考え込む。やった。成功だ。
しばらく考え込んで、綸が話し始める。
「うちの父さんさ、よく言えば少年の心を忘れない、てヤツなんだけど。つまりは今もガキなんだよね」
ガキ? そんな話、初めて聞いた。どういうことだろうか。
綸は話を続ける。
「だからさ、小さい頃は父さんと遊べて楽しかったんだよ。ヒーロー特撮関係の話で盛り上がってさ。」
ああ、そういうことか。やっぱり男の子はヒーロー好きなんだな、でも綸にそんなイメージ無いな、そんな綸が小さな頃はヒーローに夢中。考えると微笑ましい。
真実は勝手に想像して、ニヤついてしまう。
綸の話は続く。
「でも小学校入ったらさ、一気に興味無くなったんだよね。それで父さんにヒーロー特撮とかもう見ないって言ったらさ、初めて怒ってさ。それもマックスで顔真っ赤にして俺に『ヒーローに憧れないなんて、そんなの子どもじゃない!』て言ったんだよね~」
え? あの、おじさんが? そんなこと言う人なんだ……!
真実は驚く。顔が引きつる。
綸が遠い目をして、しばらく黙る。
「凄い迫力でさ。俺はなんか、滅茶苦茶ショックでさ。そのまま固まっちゃったんだけど、そしたら母さんがさ。はは」
綸が思い出し笑いをする。
「おばさんが?」
真実は続きを催促する。
「うん。母さんがさ、固まってる俺つかまえてさ、父さんのいないところに連れてってくれてさ。ははは」
綸がとても楽しそうに笑う。
「それで?」
真実が催促する。
「言ったんだよね。『父さんは、これまで父さんっていうよりお兄さんって感じだったでしょ?』て。で、『でももう弟と思いなさい。あなたより幼い弟だから、あんなバカな事言えるのよ』て。ホント、心底父さんのことバカって思ってるって感じで。はは。あと『だから大丈夫。あなたは悪くない。父さんも悪気はないけど、ちょっとおバカなの』て。はは。思い出したらマジ笑える」
綸はお腹を抱えて笑っている。綸の母親が言いそうなことだ。
「そうなんだ」
真実は、どう反応したらいいか分からず、それくらいしか言えない。
綸が続ける。
「そう、そうなんだよ。母さんがさ、すぐフォローしてくれたんだよねー。だから……そうだなあ……」
綸が言葉を探している。
見つかったようだ。
「考えてみたら、『子どもじゃなくなってく俺を受け入れてくれない親との確執』、みたいなのはさ、あの時だけで、しかも一瞬で終わったんだよね、俺の場合。はは。マジうける」
引き続き、綸はお腹を抱えて笑う。その状況を想像すると、おかしくて釣られて真実も笑えてくる。
でも他人の自分が笑っていいものかどうか迷うところだ。それより綸の母親は、やっぱりできた人だ。尊敬してしまう。綸の母親が自分の母親だったら、なんて思わず考えてしまう。
「いいなぁ、綸は。おばさんが、お母さんで」
真実は、思ったことをしみじみと口にする。
「え? そっち? ひどいこと言われた俺の方じゃないの?」
綸に言われる。そうだった! つい自分中心に感想を言ってしまった。真実が慌てる。
そんな真実を見て、綸が余計に笑う。
「まあ、うちはさ」
綸が話を続ける。
「母さんが父親役もやってる感じかなぁ。だから、息子ってこともあると思うけど、母さんは干渉しないね。あと男三人育ててる感じかも。父さんが永遠の末っ子って感じで。ヒヒ」
綸がケタケタと笑う。
父親が末っ子。それはそれで大変かもしれない。
びっくりだ。
真実は驚く。
真実はこれまで綸のことを、何も問題がなくて、要領がよくて、いつでも人生が楽しい人だ、と理解していた。でも、綸にもそれなりにあるんだということを、今日初めて知った。
考えを改めなければ、と真実は反省する。てなことを考えていると
「クシュン!」
真実だ。綸から肩掛けを借りたとはいえ、ビーサンしか履いていない足元が寒い。バスを待っている間に体が冷えてしまったようだ。
「借りる?」
綸が、自分が着ているジャケットを脱ごうとする。
「大丈夫! 浴衣だから、袖入んないし」
真実はそんな綸を急いで止める。
「そっか。気が付かなかった。あ、じゃあ、カイロ使う?」
綸が大きなカバンをゴソゴソやって、カイロを出してくれる。
「ありがとう。助かります」
真実は有難く受け取る。カイロが少しずつ熱くなる。冷えた手が、温かくなっていく。
そんな真実を、綸がじーっ、と見ている。ちょっと怖い。
「なに?」
真実が訊く。すると、綸はジャケット脱ぎ始めた。
「やっぱり。これも使ったらいいと思うよ。これ羽織って、上から肩掛けでおさえればいいんでない?」
綸にジャケットを差し出される。そこまでしなくても大丈夫かな、と真実は思うが、もう綸はジャケットを脱いでしまっているし、悪いので有難く好意を受けることにする。
カイロと肩掛けを綸に持ってもらって、綸のジャケット羽織って、また上から肩掛けでおさえて、手にカイロを持つ。確かに、さっきよりは更に暖かい。
「ありがと。あったかい」
真実の素直な言葉に、綸は、ニーッとして、ヒヒヒ、と笑った。
バスに乗って江の島を出る。電車に乗って、電車を降りて、家路に着く。
家の前で綸に肩掛けとジャケットを返し、改めて礼を言って、別れる。
「ただいまー」
「おかえりー」
三人の声で迎えられる。声はリビングの方からする。
リビングに入ると、家族がソファに座ってテレビを観ていた。
「何観てんの?」
真実もソファに座る。
他愛もなく、テレビのことや今日の花火大会の話をする。
凄い人出だったこと、電車が大変だったこと、美奈は浴衣は着なかったこと、寒かったこと、花火が綺麗だったこと。
篠崎家はしばらくぶりに、穏やかな家族団欒の時を過ごした。
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