休日の朝食

 悪戦苦闘の末、三人分のご飯と目玉焼きができあがった。

 ご飯は温め過ぎで熱く、目玉焼きは焦げてはいなかったものの、火が通り過ぎて黄身が固い。半熟が好きなのに。


「やーだー。半熟がいーいー」


 美奈に文句を言われる。

 これは。腹立つぞ。

 頑張ってやったことに文句つけられるとこんなにも嫌なのか、と真実は思う。


「じゃあ自分でやればいいじゃん」


 真実はムッとして言う。


「えー。真実ちゃんがやるって言ったんじゃーん」

「うっさい」


 二人がこんな遣り取りをしている間も、母親は何一つ文句を言わず食べていた。


「ごちそうさま。おいしかった」


 食べ終わった母親は、そう言って微笑む。



 嬉しい。



 温かな気持ちが、真実の中に広がる。

 ああ、こう言ってもらえると、こんなにも嬉しいのか。

 体が、フワッと軽くなる。このまま宙に浮かび上がりそうだ。


「ありがと」


 照るぜ。

 真実は思わず二人から視線を逸らす。

 でも次の母親の言葉で、体は宙から戻る。


「お父さんね、帰ってきてない」


 真実は母親に視線を戻す。


「お仕事よ……。お仕事が忙しくて、最初は職場の近くのホテルに泊まってたらしいわ。でも昨日連絡があって、今はホテルは出て、マンスリーマンションに移ったんですって」


 そこで母親は口をつぐんだ。


「それで?」


 また美奈が容赦なく訊く。

 母親はすぐには答えない。言葉を探しているようだ。


「……とにかく、それだけよ。それだけ。お父さんはお仕事忙しいの。お母さんがちゃんとサポートします。だから二人もそんなに心配しないで、ね! 二人は学生なんだから、お勉強がんばって。お父さんのことはお母さんに任せて」


 母親が無理してニコッと笑う。

 口は笑っているが、目は悲しそうだ。嘘くさい。


「嘘くさい」


 美奈が言葉にする。


「ちょっと美奈! もういいでしょ」


 真実は慌てて美奈を止めにかかる。


「もういいって何?」


 美奈は矛先を真実に変えてくる。

 真実も言葉を探す。


「だから……。私達は子どもじゃん? お父さんのことは、お母さんに任せないと。美奈には、どうにもできないでしょ?」

「そうだけど……!」


 美奈は納得できない、という顔をしている。


「そうよ。真実の言う通りよ。お父さんには……。なるべく早く帰ってきてもらえるように、お母さんからお願いするから。お仕事忙しくても、少しは顔見せてって。美奈がこんなに会いたがってるって言ったら、お父さん喜んで飛んで帰ってくるわよ。ね? 美奈?」


 母親が懇願するように美奈を説得する。

 真実も母親の説明には納得できないが、それ以上に、そんな風に取り繕う母親が痛々しかった。


「……わかった」


 美奈は、まだ納得できないという顔だが、それ以上の追及はしなかった。

 重々しい空気が食卓を覆う。

 母親が口を開く。


「じゃあ、いつも通り過ごしましょ? ね? 真実も美奈も宿題は終わってるの? 私はいつもの家事をします。二人ともご飯は終わりでいいわね。お皿下げますよ」


 母親が立ち上がり、食器を流しに運ぶ。


「ごちそうさま」

「……ごちそうさま」


 真実も美奈も立ち上がる。

 歯を磨くと、美奈は自室に入り、部屋のドアを閉めてしまった。


 真実も自室に入り、机に向かう。

 とりあえず宿題を広げるが、なかなか始められない。


 こんなこと、本当に初めてだ。

 父親は優しくて子煩悩で家族思いな人だ、と思っていたのに。

 そうではないのか。それだけではなかったのか。

 父親としてはそうでも、夫婦の間には別の何かがあるのだろうか。


 分からない。父親がこんなことをするなんて理解できない。

 父親が家出をする理由を想像できない。


 でももしかたら、本当に仕事が忙しいだけなのかもしれない。

 でも母親の反応を見るとそうは思えない。

 でも母親は、ただオーバーなのかもしれない。

 勝手に悪いことを想像して、勝手に狼狽しているだけではないのか? でも。


 あんな母親の姿を見るのも初めてだ。

 母親は真実に対しては支配的だが、基本は愛情深い人で、父親を大事にしている。真実にはそう見えている。


 そうではないのか。それだけではない、真実には見えていない夫婦の何かがあるのだろうか。


 こんなことを、今ここで自分が考えていてもどうにもならない、と真実は思う。

 でもどうにも不安で、考えずにはいられない。

 

 最近、父親とはあまり話していない。

 あまり関りが無いのに、自分の生活に父親がいなくなるかもと考えると落ち着かない。


 懇願するように美奈を説得していた母親を思い起こす。

 あんな痛々しい母親は初めて見た。

 自分が母親に反抗して酷く悲しませたことはあるが、それとは違う、何とも形容し難い悲しみを感じさせた。


 どうしよう。どうするべきだ? 分からない。

 何かをするべきなのか、するべきではないのかも分からない。

 分からない。これからどうなるのだろう。

 

 分からない。


 考えが堂々巡りする。

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