(3)
「まったく、信じられねぇ。食い殺そうとした連中に救われるなんて冗談じゃねぇな」
全身ボロボロで、逆らう気力すら失ったらしい我鬼が仰向けになって吐き捨てれば、すぐ傍にしゃがみ込んだ草禅が笑いながら爆弾を落とした。
「仕方がないだろ。お前は我が息子の式神候補として捕えていたのだからな」――と。
「はあ?」と力いっぱい嫌悪感も露わに我鬼が聞き返したのも無理からぬこと。
角を失った衝撃で、気を失った戌斬を横たわらせて介抱していた桃狩自身も驚きの顔で草禅を見たなら、草禅はぬけぬけと続けた。
「本来ならばいくつかの候補を上げて選ばせようと思っていたのだが、そなたがろくでもない騒ぎを起こしてくれたおかげで候補者を滅してしまったからな。他に丁度良さそうな者がおらんのだ」
「ふざけんな! それでなんで俺がそいつの式神にならなきゃならねぇ!」
「身動きも出来ぬくせに良く吠える。それだけ吠えられるのも我が息子が戌斬を止めてくれたお陰だろうが。命を救われた者に命を託すのは当たり前のことだろうに」
「知るか! そんな常識がどこにある! こちとら人減らしで見切られたガキだったんだ。救われた覚えもないままに鬼になった俺が、なんでお前らに使われて人間を救わなきゃならねぇんだ!」
それを聞いた瞬間、桃狩は思わず驚きの声を上げていた。
「人が鬼になったのか?」
桃狩の常識では、鬼とは妖が同族食いを繰り返した結果でしかなかった。
それがまさか、元が人間だったとは驚きだった。
「何だ小僧。そんなことも知らなかったのか。
いいか。人でも妖を喰らい続ければ鬼になれるんだよ」
「妖を?」
「そうだ。俺の村は貧しい村で、人減らしで山に人間捨てる奴が多くてな。俺も例外なく捨てられた。病持ちだったせいもあるけどな。でもな、だからって俺だって死にたくねぇ。でも俺は日に日に衰弱して行った。腹と背中の皮が付くぐらいに空腹で、そんなあるとき、目の前に妖の死体があったんだ。何があったか知らねぇが、俺はそいつを喰ったんだよ。不味かったなぁ、あれは。でも、喰わずにはいられなかった。生きるためには仕方ねぇだろ? で、俺はそれからというもの、妖ばかりを狙って喰った。喰えば食うほど力が付いたからな。面白くて喰いまくった。
そしたら、いつの間にか俺を捨てた村に辿り着いていた。俺を捨てた村だと知らずに、そこにいた妖どもを退治してやったら感謝されてなぁ。お礼に何かやるって言うから、お前らの命を寄越せって言ってやった。
そんときの連中の顔と言ったら……。
だから俺は言ってやったんだ。腹を減らした人間が生き残るために人減らしするのは仕方がねぇ……ってな。だから、俺の腹が減っているのを満たすためにお前らを喰ったところで、文句はねぇよな……ってな。
そんな奴に、人間を救うための片棒を担げって言うのか? 自分達が生き残るためなら、いくらでも弱ぇ連中犠牲にするような救いようのない連中を?
はっ! そんなこと冗談じゃねぇ!」
「だが、そんなお前を救ったのは私の息子だ」
「…………」
「まぁ、人間も様々だ。そなたの気持ちが全く分からんわけでもない」
「父上?」
どこかしんみりと同情する草禅に、やはり驚きの声を上げる桃狩。
「だが、意外と物好きな人間も割といるものだぞ」
「いるものか!」
「いるさ。現に我が息子はお前の生い立ちに同情しているぞ」
「はあ?」
頭を持ち上げ睨み付け、不愉快極まりないとばかりに声を上げれば、
「同情される言われはねぇ! 俺は今の自分に満足してるんだ」
「そうか。満足しているのか。では問題は何もないな」
「は? おまっ、何を言って」
突如膝を叩いて満足げに話を進められたなら、露骨に戸惑いを見せる我鬼。
しかし草禅はそんな我鬼に背を向けて桃狩の傍までやって来ると、その肩にポンと手を置き、さらりと告げた。
「良かったな、桃狩。我鬼が式神になってくれるそうだ」
「誰が言った! そんなこと!」
「……どう見ても、父上の考えとは違うようですが?」
「何を言う。今の自分に満足していると言ったのは我鬼本人だ。五体満足に動かせず、生死の鍵をお前に握られている
「だから違うと言ってるだろうが! 俺が身動き出来ねぇことをいいことに、好き勝手に話を進めるな!」
何故かこの時、全身全霊で否定を口に喚く我鬼と、まったく意に介さず話を進める草禅を見比べて、桃狩は本気で我鬼に同情した。
こうなっては草禅の意見を変えることは誰にも出来ない。
いや、唯一いるとすれば妻の芙蓉のみ。
しかしこの場に芙蓉はおらず。故に草禅の暴走を止める者はなく。
「まぁ、初めは不満も多かろうが、式神になるとそれなりに特典もあるぞ。
おお、そうだ。とりあえずその傷の治療をしてやろう。式神になっても満足に働けないのであれば意味がないからな」
「だから聞けよ! 人の話を!」
「鬼の話だろ?」
「揚げ足取ってんじゃねぇ!
いいか? お前がそうやって意地でも俺をそいつの式神にすると言うのなら、俺はそいつの命を喰らうぞ! それでもいいのか!」
「ああ。構わぬよ」
『?!』
笑顔すら浮かべてあっさりと頷かれ、桃狩と我鬼は揃って言葉を失った。
「いや、は? お前、何言ってんだ? 俺の言葉通じてるか?」
「勿論。式神になったお前が、主の桃狩を襲っても構わぬと言ったのだ。式神が主の命を奪うことは珍しいことではない。誰もが自分より弱い主に仕えたくはないからな。だからこそ、努力を怠る術者は式神に狙われる。故にお前が桃狩の命を狙ったとしても、別段困ることはない」
「いえ、父上。私は非常に困ります」
「はっはっは。何を言うか桃狩。父はそなたに言っただろう。次はそなたの技量にあったもっと強い式神を用意しておくと。その式神には常に殺す気でやれと命じていると。
ならば、我鬼が式神になったところでなんら不都合などないだろ」
「……」
確かに、言われてみればそうだった。条件的には何も逸脱してはいない。いないが、腑に落ちなかった。
「……狂ってるぜ、お前」
諦めきった口調で頭を倒して我鬼が吐き捨てる。
「よく言われるよ」
と草禅は軽く受け流し、桃狩を見て満足げに笑った。
それを見て、桃狩は悟った。今回の『鬼ヶ島』の反乱が今この瞬間に終わったと言うことを。
完全に破壊し尽くされた座敷。
壊されたのは座敷だけではない。『鬼ヶ島』と言う施設そのものが破壊された。
だが、桃狩が認めた仲間と家族は誰一人と欠けずに残った。
それだけでもたいしたものだと思えば、全てを守ることが出来た自分を――自分の力を少しだけ受け入れることが出来たと思った。
「さ。全てが終わったことだし。片付けは他の術者達に任せてさっさと帰ろう。いい加減私は疲れた。二日三日は寝続けるからな。後は任せたぞ、桃狩」
「はい。父上」
と、桃狩が頷いたときだった。
「おお。おお。随分と派手に暴れ回ったもんだな」
呆れ半分感心半分の声と共に、右手で猿我を支えて鵺がやって来ると、
「おお。そなたが鵺殿か」
「え? 誰だ、あんた」
面識の欠片もない草禅から突如親しみを籠めて名前を呼ばれれば、鵺が露骨に戸惑った声を上げた。
だが、草禅は全く気にした素振りもなく、当たり間のように手招きすると、胡散臭そうに警戒しながらも近づいて来た鵺を上から下まで見下ろして、満足げに頷いた。
「何なんだよ、あんた。人のことジロジロと」
「失礼なことを申すな。この方こそ桃狩様のお父上に当たる草禅様だ」
と、いつの間にか意識を取り戻した戌斬が憤慨した口調で言えば、「げっ」と鵺は顔を引き攣らせた。
だが、それすらも楽しげに笑って草禅は言った。
「君の師匠からついさっき連絡を受けたよ。全く彼は、いつも連絡が遅い。君が息子の手伝いをするように言われたそうだが、迷惑を掛けたね」
「――って言うか、あんた、師匠と知り合いなのか?」
「彼は酒が強いのか弱いのか分からないよね。今も泣き上戸になるのかい?」
と、悪戯っぽく言われたら、「あ、マジだ」と鵺が顔を引き攣らせた。
「で、君が猿我君だね」
と、優しげな微笑を浮かべられ、しどろもどろになる猿我が、緊張した面持ちで「はい」と返事をすれば、草禅は言った。
「また、君に息子が助けられたね。ありがとう」
「え?」
と猿我は心臓が高鳴るのを体中で聞いた。
それは、一体いつのこと――と訊ねようとしたとき、
「やはり、あのとき私を助けてくれたのは、猿我殿だったのか!」
と、眼を輝かせて桃狩が叫べば、猿我は全てを理解した。
(やっぱり桃狩があのときの子供で、桃狩も父親も覚えていてくれた――)
そのことが嬉しくて、嬉し過ぎて、猿我は腰を抜かして座り込み、まるで子供のように泣きじゃくった。
突然のことにおろおろと戸惑う桃狩に、
「ついさっき命の危機を救ったのは俺なのに……」
と、不満一杯の鵺。その腕の数珠はすっかり光を失っていた。
そんな一同を見て仕様がない奴らだ……と嘆息を吐いている戌斬を見て、草禅は一つ、満足げに頷いた。
決して狙ったわけではない、袖触れ合う関係だったとしても、こうして桃狩と共に行動してくれる仲間がいることに安堵した草禅が、和気藹々としている空気の中、寝不足と疲労で倒れたなら、もう一騒動湧き起こり。
そんな最中、桃狩は思った。本当に人騒がせで心臓に悪い父親だ――と。
それでも無事に救い出せたことを、桃狩は心より皆に感謝した。
(終)
桃狩鬼譚 橘紫綺 @tatibana
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