(3)

『桃狩……桃狩……』と、草禅に優しく名前を呼ばれ、

『ああ、やっと帰っていらしたのですね、父上』と、安堵して目を覚ました桃狩は、『っひ』と悲鳴を飲み込んだ。


 目の前にいたのは、首筋を『我鬼』に食いつかれた状態で現われた草禅。

 いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ、その白い顔を自らの噴き出した血潮で赤く染めた異様な姿で。


『桃狩。父は待っていたと言うのに、お前は本当に、何一つ満足に出来ない子だね。

 お陰で父は、この通り、『我鬼』に喰われてしまったよ』

『あ……あ……ああ……』

『何を泣く必要があるのだ? 前々から言っていただろ? 力と言うものは使うべきときに使わねば、どんなに強力だとしても無意味だと。その結果がこれだ、桃狩。

 お前がもっと早くに辿り着いていたなら、父は死なずに済んだものを――

 いや、誰も死なずに済んだものを。お前のせいで、ほら。こんなに沢山の人間が死んだのだぞ』


 その瞬間。桃狩の目の前に血の海が現われた。四肢の欠けた人間だった者達が、所狭しと浮いていて、恨みがましい視線が桃狩を捕らえた。

 ごぼごぼと、泡を吹きながら、それらは言う。


『お前が……お前さえ……』『お前が、のん気に笑っているその一方で……』『何故殺されねばならぬ』『何故死なねばならぬ』『恨めしい』『恨めしい』『お前も、こちらに』『こっちに来い』

『うわあああああっ』


 桃狩は溜まらず逃げ出した。血の海に足を取られ、屍に足を取られ、倒れた際に手を付いて、真下に転がる屍の、見開いた眼と合って、謝りながらどこまでも逃げた。逃げて逃げて逃げ続けて――


『どこに行くのだ? 桃狩?』


 目の前に立つ草禅の姿を――草禅に喰らいついたままニヤリと嗤って見せた『我鬼』の姿を見て、桃狩はフッと意識が遠退くのを感じた。


 ああ。全て己が招いたことなのだなと後悔し、抗うことを止めたなら、草禅と『我鬼』の手がゆっくりと桃狩の首に伸びて来た。


『……申し訳、ございませんでした、父上』


 と、一筋の涙が頬を伝ったとき、


『起きろ!!』


 力強い声と共に、視界を眩い光が覆い尽くした。




◆◇◆◇◆




「っ――ここは?」


 ハッと眼を覚ますと、桃狩は自分を見下ろす編み笠を被っていない戌斬・猿我・鵺の心配している顔を見た。


「良かったよ、桃狩ぁ。あたしは何が起きたのか分からなかったよ」

「この馬鹿が無神経なことを言ったばかりに、心労が祟ったのでしょう」

「だって仕方ねぇだろ。妖二人連れた三人組の事情なんて知らなかったんだよ、俺は」


 眼が覚めた途端に始まる賑やかな口論を聞いて、ああ、そうか。夢だったのかと、桃狩は両手で顔を覆って安堵した。


「本当に大丈夫か? 坊主?」


 意外にも鵺が、気遣わしげに問い掛けて来る。


「あの後、いきなりお前さんが倒れたから、とりあえず近くの宿に部屋とって運んだんだ。

 ああ、今度は一応、お前さんの深笠借りて、こいつらと同じように顔を隠して運んだから、俺らが妖だとはバレてないと思うが……

 何か悪い夢でも見てたのか? 随分酷くうなされてたが……」

「ああ。少し――

 だが、これしきのことで気を失うとは、我ながら情けない」

「そんなことないよ! だって、妖が人を襲うってことは、やっぱり――」

「猿我!」

「――っ」

「良いのだ、戌斬。私もそう思ったぐらいだ。事情を知っている誰もがそう思っているはず。だからこそ、もう大丈夫だ。覚悟は決めた。そう思えるだけの夢を見たからな」

「桃狩様……」


 微笑みすら浮かべて力強く告げる桃狩に対し、何とも言えない雰囲気を醸し出す妖三人。

 だからこそ、桃狩は言った。


「こんな頼りない私だが、命を失う可能性も充分にあるのだが、付いて来てくれるだろうか?」

「勿論です!」


 と、戌斬が真っ先に力強く頷けば、


「あ、あたしだって、出来る限りあんたを支えるよ。戦力的には劣るかもしれないけどさ」


 と、慌てて猿我が赤い着物姿で覗き込んで来て、


「俺は本当に危ないと思ったらずらかるけどな」


 ニヤリと笑って、つい最近まで猿我が言いそうな台詞を吐く鵺に、


「貴様、桃狩様のお役に立つつもりがないなら、今すぐこの部屋を出て行け」


 即座に厳しい台詞を吐く戌斬。


「あれ? て言うか、その口振りだと、俺がついて来ることに同意しているように聞こえんだけど、いいのか? さっきまであれほどついて来るなって、そこの別嬪さんとしてたのに」

「――なっ」


 と、痛いところを突かれて戌斬が言葉に詰まれば、


「酷ぇんだぜ、こいつら。絶対同行は認めないって言い張ってさ。

 まぁ、別に俺は勝手に付いて行くだけだから、認められようが認められまいがどうでもいいがな……って話してたんだぜ?

 それなのに、今度はとんずらすると言ったら怒られる。俺はどうすれば良いと思う? 大将さん?」


 と、おどけて問われれば、桃狩は幾分心を軽くして答えていた。


「皆の心遣いに感謝する」


 その直後だった。


 ぐぉおおおおお――


 部屋一杯に響くくぐもった音がした。


「……何だい? 今の」

「どっから聞こえた?」


 とキョロキョロする一同の中で、桃狩は逸早く音の正体を知り、顔を真っ赤に染めて布団に潜り込んだ。


「もしかして、今のは……」


 と、気遣わしげに言葉を飲み込んだ戌斬の優しさが嬉しい反面、どこまでも恥ずかしく情けない。


「――え? もしかして今のって……」

「――腹の虫の音か?」


 と、三人が恐々と問い掛けたなら、再び盛大な腹の虫が鳴いた。

 当然のように鵺の爆笑が布団越しに聞こえて来くれば、顔から火が出るほど桃狩は恥ずかしく――


「笑うな、鵺! 仕方のないことだろう。腹の虫まで人は制御できん!

 桃狩様。今すぐ何か、宿の者に食事を運ばせますので、暫しお待ちを」


 と申し出てくれた戌斬に対し、桃狩は顔を半分出して待ったを掛けた。

 何故止めるのかと、不思議そうな顔を向けて来る戌斬に、桃狩は情けなさを覚えながら告げた。曰く――


『旅立つ前に母上が作って下さった『キビ団子』がある。それを荷の中から出してくれないか? もし嫌いでなければ皆もどうだ?』


 かくして一同は、桃狩の母、芙蓉の作った『特別なキビ団子』に舌鼓を打つこととなった。

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