(2)
「覚悟はいいか?」
『はい』
殺気立つ妖達を眼の前に、草禅に問われた桃狩と戌斬の声がぴったり揃う。
その視線が向いているのは、草禅ではなく、こちらへ向かって来る妖達。
「お前の役目は、一匹でも多くの妖を滅すること」
「はい!」
草禅に確認され、力強く頷く桃狩は、この日のためにしつらえられた防具を身に付け刀を抜いた。
一方戌斬は、いつも通りの白装束。その中でも特に眼を引くのは、黒革で作られた首輪だろうが、それとて防具としては頼りない。
だが、人間のような防具を必要としていないことを、桃狩は知っている。
何故なら、妖をぐるりと取り囲む術者の前に、戌斬のように何一つ防具を身につけていない『式神』達が現われたからだ。
それらは全て、術者が作り出した仮初の命を持つ者達。その役目は、戌斬と同じ自分の主を守ること。
「私のことは心配するな。どうしても心配だと言うのなら、一刻も早く全ての妖を討ち滅ぼせ」
「はい!」
力強く頷いて、桃狩は向かい来る妖に向かって駆け出した。
初めに桃狩へ向かって来たのは、黒い四足獣の姿をした妖だった。
大きさは大人ほどはあろうか? 騙されたことに対する怒りか、術者に囲まれている恐怖心からか、眼を血走らせて牙を剥く。
だが、その程度の速さなら桃狩にとって何の問題もなかった。
サッと左手で抜き身の刀身を撫で上げて、四足獣の突進を、横に躱しながら振り抜いた。
紛れもなく血肉がある重い感触をしっかりと感じながら、一刀の下に斬り捨てる。
まるで魚の二枚卸のように、体を両断された妖が絶命すれば、
「バカな!」どこかで誰かが驚いていた。
だが、その気持ちも分からなくもないと思いながら、桃狩は次の妖へと向かっていた。
あちらこちらで術者の術が発動し、式神達が力を揮うせいで、爆発や突風が巻き起こる中、術者らしからぬ桃狩へ狙いを定める妖の数は少なくない。
どこかで余裕があったのだろう。術者でなければ倒せると。
ただ、それも無理からぬことだった。普通の人間が普通の武器を使っても、妖に傷一つ付けることは、本来不可能だと言われているからだ。
実際、その見解はただしかった。ただし、『概ね』と補足は付くが。
普通の人間でも、何らかの術が施された武器を使えば傷を付けることが出来る。
また、普通の武器でも、術者が使えば傷は付けられるし、術の一つも使えない人間だったとしても、その精神力が強ければ、妖を滅ぼすだけの力を武器に宿せることもあった。
そして桃狩は、後者の人間だった。
それには特殊な生まれも関係しているだろうが、どのような簡単な術だとしても、一つとして満足に使えない桃狩ではあるが、生まれ持って『破邪』の力を有していた。
その強さと来たら、気を抜けばその場にいるだけで軽い瘴気は吹き飛んでしまうほど。多少強くても直接撫でれば霧散して、力の弱い妖ならば、傍に寄るだけで命を失うほどだった。
しかし桃狩は、その類稀ない力を恥じていた。
己自身が鍛錬を重ねて掴み取ったわけでもない力。
その力と同等の力を使えるようになるために、周囲の人間がどれだけ苦労しているのか見て来た桃狩は、自分がズルをしているような後ろめたさを感じ、人前に出るときは常に手袋をし、力を封じて来た。
だが今回は、今回だけは、そんな気を使っている余裕などなかった。
向かい来る妖を、斬る。斬って斬って、斬りまくる。
養い親である父、草禅が、『我鬼』一匹に集中できるようにするために。
妖を囲む殆どの術者が、『我鬼』に向かって術を放っている。
その術を、気合一つで消し飛ばす『我鬼』の咆哮に、心臓が竦み上がるような痛みを覚えた。
そこに押し寄せる妖の大群。
桃狩は鞘に刀を納め、大きく左へ体を捻じると、息を止めた瞬間、一気に居合い抜く。
一瞬の静止。そして――両断!
蒼白く光る刃に胴体を真っ二つにされた妖達が、どさどさと草原へ落ちると、斬られた断面からボロボロと躰を崩して行く。
刹那、背後に尋常ではない殺気を感じ、桃狩は転がるように身を投げ出した。
慌てて一回転し、起き上がり様に背後を見れば、そこには銀色の鱗を有した肌の赤い着物の男が立っていた。
「っち。何なんだ、お前」
薄っすらと開いた眼から、黄緑色の鮮やかな瞳が覗き、ゾクリと怖気を感じる。
「ただのガキかと思えば、ばさばさ妖斬ってくれて、あまつさえ、妖気を回収させねぇとは……一体どんな術を使った? ああ?」
首や肩や手首の関節をボキボキと鳴らしながら因縁を付けて来る妖に対し、桃狩は少しずつ後方へ下がりながら、様子を窺った。
それまでの虎の威を借る狐のような雑魚とは違う、明らかな強さを備えた妖の出現に、緊張感が高まる。突如早鐘と化す鼓動が何よりも雄弁に桃狩の緊張を物語っていた。
「お前、楽に死ねると思うなよ」
嘯く妖が、二度地面をつま先で叩いた瞬間、突如としてその姿が消えた。
――と、思ったときには、すぐ目の前に、構えた刀の腕と腕との間に、まるで蛇のような勢いで入り込んでいた。
「?!」
悲鳴を上げる暇などなかった。突き出される腕から逃れるべく、大きく後ろへ飛び退く。
だが、伸びた手は、桃狩の胸を貫く代わりに、胸当てを掴み、引きずり戻した。
ならばと、桃狩は足を滑らせて、男の股下を潜り抜けようとすれば、男の体が再び消える。
潜り抜け様に足を狙った桃狩の考えを読んだものか、本能のなせる技か。
地面を蹴って、空中で体勢を整えた妖が、赤い着物を翻して再び肉薄して来る。
充分に引き付けて、稲妻の如き勢いで刀を振り下ろせば、軽い手応えが刀身から伝わった。目の前で、驚愕の表情を叩き斬られる妖だが、何かがおかしいと思う刹那、桃狩は左足を思いっきり引いた。お陰で体が大きく開くが、そのお陰で、突き出された妖の手は浅く胸当てを傷つけることしか出来なかった。
っち――と、忌々しげに舌打ちをする妖が、次から次へと体術を繰り出して来る。
ふと地面を見れば、全く同じ姿の妖が寝そべって――どういうことだと軽く動揺しながら、桃狩は妖の手を弾き、掻い潜り、やり過ごし、突如襲って来る足払いを避けて距離を取る。
その間に、細かな残滓と化した妖が、忌々しげな表情を浮かべる妖に吸収される。
(脱皮か!)と、唐突に理解して、桃狩は居合い抜きの姿勢を取った。
だが、「ふん」と鼻を鳴らした妖が、急激に間合いを詰める。
「破っ!」
気合一閃。鞘を走らせ刀を抜けば、斬り飛ばせたのは、更に身を低くしたせいで舞い上がった髪と、翻った袖の端。
肝心の本体と言えば、居合い斬りを掻い潜り、桃狩の懐へと潜り込んでいた。
「もらった!」と、勝利を確信した妖が腕を伸ばす。
対して桃狩は急速に旋回。
「何っ?!」
衝撃の声が上がったとき、桃狩の斬り上げた一刀は、妖の腕を物の見事に切断していた。
宙高く舞い上がる銀色の腕。
「このっ!」
「ぐっ……は」
痛みの全てを怒りに変えて、強烈な膝蹴りが桃狩の腹にめり込めば、堪らず地面に膝を付き、衝撃に思わず刀から手が離れる。
「よくも――やってくれたな! クソガキが!」
怒りの咆哮と共に、後頭部に衝撃が走る。
両手で後頭部を強かに殴られたのだと理解するも、目の前で星が飛んだ桃狩はな
す術なく地面に倒れる。
後は一方的に蹴られ続けた。
桃狩に出来たことは、体を丸めて致命傷を避けることだけ。
だが、人間相手ならともかく、妖に対して動けなくなると言うのは自殺行為の何ものでもない。だからこそ、怒りで頭に血が上った妖が、暴力だけに訴えている今が好機だった。
桃狩が二度と立ち上がれないと思っているのか、怒りのあまりに失念しているのか、手を伸ばせばすぐのところに、妖の足元に、桃狩の刀が落ちている。
蹴られ、踏まれ続けることに痛みを感じないわけではない。だが、
(耐えられないわけではない!)
視界の悪さも消え失せて、しっかりと両目で状況を見渡せたなら、妖が足を振り上げた瞬間、桃狩は動いた。
「!!」
動揺が、息を飲む気配が、如実に伝わって来た。
無理もない。動けないと思っていた桃狩が、素早く刀を取り、寝転がったまま刀を振り抜いて、妖の足を切断してしまったのだから。
「がああああああっ! ちくしょ! 痛ぇじゃねえか!」
唾を吐きながら、両腕で膝を抱え、倒れ込み、のた打ち回る妖。
対して桃狩は、刀を構えながら後ずさり、膝立ちになって呼吸を整えた。
「――このガキがぁあああっ! 絶対にゆるさねぇぞ」
尋常ならざる呪詛を吐き、血走った眼で睨み付けながら妖が吠える。
桃狩は口の中に溜まっていた唾を吐き出した。
赤い色の混じったそれを見て、桃狩は改めて妖を見据える。
右手と右足を失った妖が、躰を起こしていた。見える皮膚全てが銀色の鱗に覆わ
れ、顔すら蛇と姿を変えて、糸目だった眼はなりを潜め、爛々と怒りの炎を燃やす眼が桃狩を捉え――
「くたばれ、小僧!」
巨大な蛇と化した妖が、大地を滑って襲い掛かるも、
「これで終わりだ!」
即座に逆手に持ち替えた桃狩が、大地に蛇を縫い付ける方が速かった。
開きかけた大きな口を、上顎ごと刺し貫かれ、ばたばたともがき苦しむ妖。
ともすれば、抜かれかねない刀を、力一杯押さえつければ、妖の体が桃狩の体に巻きついた。
ぐいぐいと締め付けて来る力と、睨め付けて来る妖の視線を真っ向から受けて立つ桃狩。
ぎしぎしと骨が悲鳴を上げたとしても、桃狩は力を抜かなかった。
それは、締め付ける力が弱くなるまで――その眼光が急速に翳るまで続き、やがてハラリと蛇の躰が離れたなら、ゆらりと桃狩は立ち上がった。
ぐったりと命の火を消した妖の頭に足を掛け、刀を引き抜く。
その上で、念のためにと首を切り落とし、ふと見渡せば、立っているのは『我鬼』ただ一匹。
その一匹に立て続けに攻撃を仕掛ける『式神』達だが、その尽くを『我鬼』は殴り飛ばしていた。時に大地に叩きつけ、時に胸元を掴んで投げ飛ばし、ざんばら髪を振り乱して、『我鬼』は圧倒的な強さを見せ付けていた。
直後、強烈な雷が、大気と大地を揺るがして突き刺さる。
閃光が眼を焼くほどの強烈な雷は、術者が協力して呼び出したもの。
こんなものを受けたなら、普通の妖ならば人堪りもない。だが――
「おお。良い具合に肩のコリがなくなったようだぜ。ありがとよ」
『我鬼』はふてぶてしく笑って見せた。
動揺が術者の間に巻き起こる。
「さて。そろそろ躰もあったまって来たことだし、こっちからも仕掛けさせてもらおうか!」
そうやって吠えた後、『我鬼』は唐突に走り出した。
それも、草禅に向かって。
「父上!」
思わず叫ぶ桃狩に対し、応えたわけではないだろうが、草禅が真っ直ぐに左手を伸ばした。
その方向は『我鬼』に向かって。しかも、その手の周辺に、紫電の光を放つ数十の矢が出現した。
「っは! 雷が効かねぇのは実証済みだぜ、色男!」
完全に術者を見下した発言で、防御する気配もなく突進して来たなら、草禅が微かに笑った。
一拍後、解き放たれる紫電の矢。
それは馬鹿正直に突っ込んで来る『我鬼』へ問答無用に襲い掛かり――
「効かねぇな!」と勝ち誇る『我鬼』の言葉を飲み込ませた。
「おっ? お? おおおおっ?」
紫電の矢は、次々と『我鬼』の体に突き刺さると、その威力で持って『我鬼』の突進を押し止め、やがて後ろへと蹈鞴を踏ませ、更に――大地に仰向けにされた『我鬼』の頭上には、紫電の矢の何十倍もの大きさの紫電の槍が数本、落とされる瞬間を待っていた。
「おいおい。冗談だろ」
仰向けに倒れた『我鬼』の口から乾いた声が洩れる。
誰もが信じられない思いで槍を見ていた。
その紫電の槍を一本作るだけでも、数人の術者の協力を必要とするだろう。
だが、今回その全てを作ったのは草禅ただ一人。
圧倒的な呪力を見せ付けた草禅は、ただ静かに左手を降ろした。
ズズ……と、一度体を震わせ、紫電の槍が地面に落ちる。
それが、悪鬼と名高い白髪の赤鬼――『我鬼』の終わりを告げていた。
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