第二章『初の鬼退治』
(1)
「ほう……村って言うのはあそこのことか」
あの後、腹ごしらえを済ませた我鬼が、腹ごなしと称してたっぷりと昼寝をした後、雑木林を抜けて草原に出たならば、左手奥に小さな集落らしきものが見えた。
世界は夕日によって橙色に染め上げられていた。
「しかし、随分と眠ったもんだ」
そう言えば、夢を見たような気がするな――と、ぼやきながら、我鬼は進む。
途中、別な場所へ向かう分かれ道もあったが、何となく無視をした。ただの直感だった。そちらへ行くより、村へ行った方が、何か面白いことが起きる予感がしていた。
一体何が待ち受けているものかと、何となく心を弾ませて歩いていると、
「今度の獲物はあの村か?」
真後ろから突然問い掛けの声が上がった。
「ああ。『免罪符』欲しさに命を懸けてもたらされた情報だ。使ってやらなきゃ報われねぇだろ」
振り返ることなく我鬼は答える。
「よく言うぜ」と、呆れ返った答えがすぐに聞こえた。
「あっちの世界から見ていたぜ。お前、酷い『鬼』だな……」
「あ? 『鬼』に酷いも酷くねぇもねぇだろ。『鬼』は総じて酷ぇもんだ。
あんまりふざけたこと言ってっと、お前も食うぞ。『蛇(くちなわ)』――」
「おお、怖っ」
振り返った先で、銀色の鱗を持った肌に、糸のように細い眼の人の形をした妖が、一歩下がってわざとらしく震え上がって見せた。しかも、御丁寧に黒緑色の短い髪を逆立たせて。
「よく言うぜ」と、今度は我鬼が呆れて返す。
対して『蛇』は、ニヤリと嗤って図々しくも言い放つ。
「そもそも、オレを喰っちまうと『美味い酒』を見つけ出せなくなるが、いいのか?
手当たり次第に飲んでいれば、いずれ美味いものに当たるかもしれねぇが、その美味いものに当たった後に不味いものを飲むとなれば、きっとお前さんは後悔するぜ?」
「……やっすい命だな、お前はよ」
下らないことを堂々と掲げて命の確保を謀る、赤黒い着物を着た『蛇』を見て、心底呆れる。
だが、その下らなさが我鬼は気に入っていた。
「仕方がねぇ。不味い酒はあまり飲みたくねぇからな。止めに最高の酒を献上することを条件に、喰い殺すのは保留にしておいてやろう」
「ありがたき幸せにございます、我鬼様」
と、これはまたわざとらしく腰を折ってみせる。
我鬼は「ふん」と鼻先で笑い飛ばし、『蛇』はニヤリと嗤って見せた。
そして我鬼は歩き出す。
「いつまで寝ているつもりだ、ぼんくらども。この程度の明かりが堪えるようなら、俺の下にいる資格はねぇぞ!」
直後、地面から、空間から、ぽこりぽこりと姿を現す妖達。
橙色に染め上がる世界に、黒い影から生まれ出た妖達を引き連れて、我鬼は向かう。
未だ悲劇が迫ることを知らない気の毒な村人達の元へと――
◆◇◆◇◆
ガタガタと、引き戸が揺れた。
「お帰りなさい。お前さん。今日はお前さんの好きな――」
と、言いかけて、戸口に立つ影を見て、女は言葉を飲み込んだ。
「やぁ、今帰ったよ、お・ま・え」
と、ふざけた口調で答えたのは、女の良く知る人間ではなかった。
いや、むしろ、人の形は辛うじて取っているが、人間ですらなかった。
黒い髪に、銀色の肌を持つ、細眼の赤い着物を着た『何か』がそこにいた。
ひっ――瞬時にして心臓を鷲掴みにされた女の顔が、面白いように引き攣った。
この瞬間が堪らない――と、『蛇』は思う。
背筋をぞくぞくと快感が走り抜け、思わずにんまりと笑みを浮かべてしまう。
よろよろと、女が後ずさり、上がり框に足を取られて尻餅を着いたなら、その眼から透明な雫が一つ零れ落ち――
「そう邪険にするもんじゃないぜ。見た目は悪くないだろ? 結構いい男に化けられてると思うがな」
『蛇』はおもむろに女の前でしゃがみ込み、そっとその雫を指で拭ってやった。
そして薄っすらと眼を開けて微笑んで見せると、
「何、心配するな。何も痛い思いはさせないぜ。全ては一瞬。一瞬で片がつく。
ほら、こんな風に、な!」
直後、女の眼が驚愕に見開かれる。コフリと口から鮮血を吐き出して、恐る恐る自分自身を見下ろせば、己の胸の中に差し込まれた『蛇』の腕が見えた。
「――、――」
何事かを囁きかけ、だが、何一つ吐き出すことなく、あっさりと命を手放した人間を抱き止めて、『蛇』はやれやれと溜め息を吐く。
「本当はもっと遊んでやりたいんだがなぁ……。一瞬で終わらせないと、我鬼(あいつ)が怖ぇんだよなぁ。あいつと一緒だと、楽しんだけど、それだけが問題なんだよな」
と、しみじみと愚痴る。
そう。何故か知らないが、『鬼』である我鬼は、妖は甚振るくせに、人間を手に掛けるときは、苦しませまいとしているのか、一瞬で命を奪う。
そして、何故かそれを一緒にいる連中にも強いる。
一度命令を無視して、子供を甚振っていた妖は、それ以上に生き地獄を味合わされて、結局最期には我鬼の腹の中に納まった。
故に今、我鬼が一緒のときは誰もが一瞬にして人間を狩る。その後、屍をどうするかは自由だった。
「本当になぁ……もっともっと、楽しめたのになぁ……」
名残惜しいとばかりに、涙に濡れた大きな眼を見開いている女の顔を見る。
「かなり好きな顔なんだけどなぁ……。
ほら、こうやって紅の一つでも塗れば……ほら、やっぱり、良い女じゃねぇか」
自ら止めを刺した手を引き抜いて、女自身の滴る血を唇に塗ってみたなら、ひとりで大いに盛り上がる『蛇』。
「ああ、ほんと、もったいねぇな。もったいなさ過ぎて、涙が出て来るなぁ……。
でも、これ以上放って置くと、生き物って固くなっちまうからなぁ~。残念だけど、見てたところで生き返るわけでもあるまいし、ここは美味しく頂くことにしよう。
大丈夫、お気に入りのお前さんとオレが一つになるための儀式だと思えば、お前さんも辛くないだろ?
『ええ。そうね。わたしもそれが、嬉しいわ』
そうだろ、そうだろ。オレも嬉しいぜ」
と、訳の分からない小芝居まで始め、
「んじゃ、頂きまぁーす」
と、言葉通り耳まで開いた口で、柔らかい首筋に噛み付いたときだった。
それは、起きた。
ボン! と白煙を上げて、突如女の姿が消えたのだ。
「へ?」
猫騙しでも食らわされたように眼を瞬かせて、間の抜けた声を上げる。
「いやいや、ちょいと待ちなよ。いきなり人間が消えるなんて、ありえないだろ?」
訳がわからなさ過ぎて、思わず顔を引き攣らせて周囲を見渡せば、足元に一際白い物が落ちていることに気が付いた。
「なんだこれ?」
と拾い上げてみれば、胸にぽっかりと穴の開いた、人の形をした紙切れだった。
一体これは何なんだ? と、顎に手を当て、ためつすがめつ見ていれば、唐突に『蛇』は思い至った。同時に、『我鬼!』と叫んで家を出ると、
「っな――」
目の前に広がる光景を見て、不覚にも『蛇』は絶句した。
そこに、村など存在していなかった。あるのはただ、広々とした草原と、事態に付いて行けず様々な場所で茫然と突っ立っている妖どもと、それらをグルリと取り囲んでいる、白装束の術師達だけ。畑も家も屍も、影も形もありはしない。
「クソ!」
立たされた状況を飲み込んで、思わず悪態が吐いて出る。人型の紙を見た瞬間に気付くべきだった。その紙が、術師達が使う『人形(ひとかた)』と呼ばれている物だと言うことを。
そして、それが仕掛けられていると言うことは、何かしらの罠に嵌ったと言うことを。
「我鬼……」と、思った以上に近くにいた我鬼の名を呼べば、我鬼はニヤリと嗤っていた。
「――やっぱり、この村に来た方が面白いことになったな」
何故この状況で嗤えるのか、『蛇』には理解出来なかった。
橙色に染まる空を見上げれば、所々空間が撓んで見えた。
おそらく、妖達が逃げ出せないように結界が張られているのだろう。
一人で張られた結界だけでも時には充分厄介だと思うものが、これだけの人数――ざっと数えても五十人は下らないだけの人数で張られているのだ。
これはちょっとやそっとでは抜け出せない。
対して、こちら側は人型、獣型合わせて三十と少し。単純に力量だけを見て判断するには相手の実力が判らずに、判断し辛い――が、
「人間どももようやく本腰を入れて俺を狩りに来たか」
術者だ。術者達がいる――と、少しずつ集い始める妖と、居並ぶ術者を睥睨しながら、嬉しそうに酒を呷る我鬼。
その、ふてぶてしいまでに絶対的な存在感が、少しばかり『蛇』の心に平穏を取り戻した。
(そうだ。こっちには最強の『鬼』がいるんだ――何を動じることがある?)
だからこそ『蛇』は問い掛けた。
「――で? どうするよ、我鬼」
対して我鬼は答えた。
「決まっているだろ。あいつら全員血祭りだ!」
その号令で、我鬼はヒトから鬼の姿へと移行して、ビクつく妖連中へと活を入れ、妖達は動き出した。
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