(3)
「ああ? この先にも村があるだ? 本当に人間ってやつは、どこでも群れたがるもんだな」
取り巻きの歪な鳥の妖の報告に、我鬼は面倒くさそうな声を上げた。
時は太陽が中天を少し越えた頃。本来、闇の住人である『鬼』や妖にとっては、その力が極端に落ちる魔の時刻。――にも拘らず、我鬼はひとり悠々と日の下を歩いていた。
いくら左右を雑木林が挟み、頭上で木の葉が陽光を遮っていたとしても、普通であれば好き好んで姿を現したりはしない。
現に村があると報告をした妖は、日中飛び回った代償に酷く衰弱し、我鬼に報告を入れると同時に地面にへたり込んでいた。その躰からは、シュウシュウと音を立てて白煙が昇っている。
妖にとって陽光は、術者の放つ術とほぼ同じ効力を発揮することもあるという中を、ずっと痛みに耐えて情報を持ち帰って来たのだ。
その痛みと来たら、まさに生きたまま躰を焼かれるかのごとく。
「マ、マッテくれ――」そんな中、息も絶え絶えに妖が声を上げる。
勿論。声を掛けた相手は、振り返ることなく去って行く我鬼。
だが、我鬼は立ち止まることなどしなかった。いや、そもそもが聞いてなどいなかった。
「マッテくれ!」再度、妖が渾身の力を籠めて叫ぶ。
「あ? まだ何か言ってんのか?」
ざんばらな白髪を、適当に首下で一つに束ねた我鬼が、『鬼』らしからぬ顔に、面倒くささを色濃く滲ませて振り返る。その顔は、その肌の色は、赤い色ではなかった。やや褐色染みた肌に青銀色の瞳の、精悍な顔付きの人間が、そこにいた。
ついこの前襲った町で、たまたま眼にした草色の市松柄の着物を着流し、濃い青色の布帯で腰を縛り、草履を履いて、片手に酒の瓶。あいている方を懐に差し入れ、さも早く言えと言わんばかりの表情を浮かべて見下ろされたなら、これが妖と『鬼』との違いか――と、今まさに消え去ろうとしている妖は痛感した。
同時に、並々ならぬ殺意を覚える。
一体、誰のせいで自分が死に掛けているのだと思うと、悔しくて仕方がなかった。
だが、ここで我鬼の機嫌を損なう訳には行かないのも事実。
そんなことをすれば、死に掛けてまで日中飛び回ったことが無駄になる。
だからこそ妖は、己の恨みつらみをぐっと飲み込んで、媚びるような口調で告げた。
「メ、めんざいふヲ……」
「あ? 聞こえねぇぞ」
「めんざいふヲ、クレ!」
「は? 『免罪符』だ?」
「ソ……ウダ。やくそく、だった、はず……ダ」
『免罪符』――それは、我鬼によって喰われることを回避できる、たった一つの絶対的な物。
その『免罪符』は我鬼の白い髪の毛のことなのだが、それを貰った者は、我鬼の脅威から完全に解放されると言われている。
ただ、だからと言って妖達は我鬼に忠誠を誓っていたり、逃げられない環境にいるというわけではない。逃げようと思えばいつでも逃げられる。そういう環境にいた。
そもそも我鬼は、自分にどれだけの妖が付いて来ているかなど、まるで関心がない。
そんな中で逃げるも逃げられないもないのだが、いつの頃からか『免罪符』をもらうことが、生き残る唯一の絶対的な方法だと言う考えが妖達の中に浸透していた。
妖は思う。我鬼について行けば、好きなだけ人間を襲い、喰らい、力を付けられると。
稀に自分より弱い妖をも襲い、一方で我鬼の名前を使って、他の強い妖どもから身を守ることが出来る。
我鬼の下にいない妖達にして見れば、我鬼と共に行動している連中は、全て我鬼の手下だと思われ、同時に、不用意に手を出せば、我鬼に食い殺されると思われている。
故に、我鬼と共に行動する妖は多い。
だが、我鬼の機嫌一つで瞬殺されると言う危険は付き纏う。
だからこそ、長く我鬼と共に歩むのなら、『免罪符』は必要不可欠なものだった。
それを貰うために妖達は多少の危険も犯す。
今回もそうだった。昼日中は闇に身を潜める妖達に向かい、我鬼が言った。
「誰か。この周辺を偵察して来い。無事に帰って来たら『免罪符』をくれてやる」
だが、昼日中ともなると下手をすれば術者やただの人間にすら討たれる可能性は高くなる。誰もすぐに『やる』とは言わなかった。
だからだろう。我鬼が不機嫌な気配を放ち始めたなら、妖は立候補した。
無理をしてでも誰かが実行しなければ、確実に妖達は我鬼に喰われる。
一方で、無事に帰って来れば『免罪符』を貰えて安全まで確保できる。
やってみるだけの価値はあると思ったのだ。
だが、実際にはすぐに後悔した。
陽光は容赦なく妖の躰を焼いた。あまりに辛くて、日陰を探して飛んだ。
そして、ほうほうの体で戻ってみれば、我鬼は面倒くさそうに返すと、地面にへたり込んだ妖を見るでもなく、労うでもなく、『どうしたもんかなぁ』などとのたまいながら去って行った。
約束が違う! と、妖は信じられないものでも見るかのように目を剥いて内心で訴えた。
直後、視界が白む。消えてたまるかと妖は思った。
『免罪符』を貰えれば、我鬼の髪の毛さえ貰えれば、失いかけた妖力を少しでも回復出来る。そうすれば、自分は消えずに済む!
だからこそ、訴えた。『免罪符』をくれと――
対して我鬼は、面倒くさそうに耳の穴に指を入れながら言った。
「免罪符ならとっくにくれてやってるだろーが」
「は?」
「ったく。『免罪符』『免罪符』って言葉をチラつかせりゃあ、馬鹿でも判るような無茶をしでかしやがる。そんなに俺から離れたいなら、好都合じゃねぇか。そのままお天道様に焼かれて消えな。そうすりゃあお前、今度はもっとマシなものに生まれ変われるかもしれねぇぜ。じゃあな」
と言って、さっさと踵を返して歩き出す。それを見て、それを聞いて、妖は頭の中が真っ白になった。いや、視界すらも真っ白になった。
余りに信じられない我鬼の言動に、妖は呆けていた。
呆けている間に、躰はピクリとも動かせなくなり、やがて何も考えられなくなる。自分が既に半分以上消えかかっていることにすら気が付かないままに、使い捨てにされた妖は静かにこの世を消え去った。
だとしても、我鬼は何一つ気にしていなかった。
別に我鬼は、自分に付いて来いと言った覚えはない。
だからこそ、勝手に付いて来て、勝手に解放されたがっている
逃げたければ勝手に逃げればいい。『免罪符』と言う言葉は、いつぞや襲った人間が口走った言葉だ。その札さえ持っていれば、悪事が暴かれたとしても無罪放免になるという馬鹿馬鹿しいふざけた物だった。そんなものがあるから、人間は堂々と人間を喰らう。喰らって置きながら、悪びれもなく存在し続ける。
厚かましい。ふてぶてしい――
腰の酒瓶を手に取って、一口呷る。口から溢れた酒が、顎を伝って喉に落ちる。拭う。
お世辞にも『美味い』とは言えない味に、少しばかり眉を寄せて、それでも我鬼はニヤリと嗤った。
『人間』も『鬼』も『妖』も、一皮捲れば変わりはない。
どいつもこいつも生きる者、他人を蹴落とし喰らい付き、言葉に踊らされて最期を迎える。
問題は、最期を迎えるまでに自分がどれだけ満足したと思えるか――
だから我鬼は渡り歩く。自分を捕らえられる存在が現われるのを待ちながら。
「おい、そこの男。そんな軽装でどこに行く」
「命が惜しけりゃ身包み剥いで置いて行け」
突如現われた追い剥ぎ達を見返して、我鬼は嗤う。自分と相手の力量の差を微塵も察しない馬鹿どもを見て、やっぱりこいつら馬鹿でくだらねぇと思いつつ――
「奪えるもんなら、奪ってみな」
両手を広げて挑発し、その日の昼食を頂いた――
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